天上の青を希って

平沢ヌル


 ヴィンセント・メリル氏。それが、その方のお名前でした。

 ことの始まりは、ロンドンに住む曾祖母が九十一歳で亡くなったことです。曾祖母は遺言していました。

「自分が死んだ際には、家族の者がそのことを伝えに、メリル氏の元に赴くように」

 そして、それが確かに自分と分かるようにメリル氏に手渡せと、彼女の宝石箱の中から、一つの指輪を私たちに示していたのです。

 私たちは噂したものでした、メリル氏とやらは一体、曾祖母の何なのかと。年頃の娘たちのことですから、おそらくは昔の恋人だろうと言い合っていました。

 しかし、それにしては奇妙なことがあったのです。それは、大人同士の恋の証に贈られるようなものではなかったのです。子供の指であれば嵌るような小さな指輪であり、それを見た当時の私にも、当然歳を経た曾祖母の節くれだった指にも嵌りません。また七宝焼のフクロウの飾りがついていて、オレンジ色の羽に白い腹、そして星のような目が半ば閉じられている、そんな指輪でした。つまりは、お祭りの出店で子供が欲しがり、ねだられた親が買ってやるような、そんな安物の指輪だったのです。

 もう一つ、奇妙なことがありました。それは、彼女の死をメリル氏に伝える役目、それを曽祖母によって指名されたのが、当時十六歳の娘だった私だったことです。


 私たちの誰一人としてメリル氏のことを知りませんでした。ですが言われた通りの住所に手紙で報せたところ、メリル氏は旅の手筈を整えてくれました。ロンドンから三時間の鉄道の旅の末、湖水地方の眠ったような小さな駅に辿り着くと、迎えの馬車がやってきました。

 霧深く、太陽の気配の感じられない十一月の夕方、馬車は静かに灰色の道を進んでいきました。そうして、私はメリル氏の屋敷へと導かれたのです。


 その日のうちに、私はメリル氏と対面しました。しんとした空気の中、黒檀の家具が静かに佇み、暗紅色のカーテンが眠たげに揺れる、メリル氏の屋敷の応接室でのことでした。

 とても奇妙な人でした。

 ほとんど白い髪に白い肌の、背の高い男性でした。顔立ちは端正で、遠目から見れば、二十代の青年に見えました。ですが近寄って見ると、彼の肌には細かい皺が、まるで紙をくしゃくしゃにしてから広げたような無数の皺が広がっていました。そして、その目は鮮やかな紅でした。

 私は思い返していました。世の中にはこんな風に、色素がほとんど無い人がおり、彼らは極端に光に弱いのだと。メリル氏もそうした人なのでしょうか。


「では、セレステは死んだのか」

 それが、私が最初に聞いたメリル氏の声でした。テーブルを挟んで向かい合っているのに、まるで遥か遠くから聞こえてくるような声でした。

「はい、そして、これを」

 セレステ・アダムス。それが、曾祖母の名前でした。私は封筒に入った指輪を、メリル氏に向けて差し出しました。

「彼女は、何か?」

「私たちには、何も。その中の手紙に、何か記されているのではないでしょうか」

「…………」


 メリル氏は封を開けると、中に入っていたものに目をやります。指輪、そして、短い手紙と思われる紙片。それらに目をやるうち、メリル氏の表情が変化しました。目を見開くと、顔を覆ってしまいました。

 そうして、声もなく黙り込んでしまいました。


「……あの、いいでしょうか」

「何だろう?」

 その口調に、初めてメリル氏は、私に関心を向けたようなのです。

「曾祖母とは、どういう関係だったんでしょうか? ……ええと、差し支えなければ」

 私は躊躇いがちに口にします。彼の悲しみ、それと曾祖母との関係の謎。それらを天秤にかけた結果、謎への好奇心が勝りました。


「……ああ」

 そうして彼は語り始めたのです、彼の物語を。

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