透明人間ロックンロール

復活の呪文

プロローグ:夏は死の匂いがする

「夏は死の匂いがするの」


誰かが俺に向かって語りかける。若い女性の声だ。

海の近くだろうか、さざ波の音が聞こえる。

揺蕩う様にぼんやりとした陽光が彼らを包んでいる。


「青く染まった空、風に靡く緑。夏の景色を見ていると、吸い込まれて死んでしまいそう」

スラスラと語る彼女。その声色には、心の底から絞った様な必死さがあった。


「君も夏は嫌い?」

「嫌いだな」

普段通り、俺は雑に答えた。


「日本特有のじめっとした暑さが嫌なんだ。出来る事なら家に籠っていたいよ」


「ふーん。何だか意外ね。もっと、アクティブな人だと思ってた」

沈黙の中、波がメトロノームのように決まったリズムを刻む。

隣に座る彼女へ目を向けると、俺と同じ高校女子制服を着ている事がわかった。


————————しかし、その全身は透明だった。


本来あるはずの、若さに溢れた顔、艶やかな髪、しなやかな手脚。

それらは全て存在せず、向こうの景色が透けて見え、制服だけが海風に靡いていた。


だが不思議と、不思議と恐怖や驚きを感じなかった。


どのくらい時間が過ぎたのだろうか。

2人で漫然と海を眺めていると、俺は誰にも話した事のない、あの事を話そうと思った。

名前はおろか、顔すら見えない相手に。


「さっき、夏が嫌いなのは天候のせいって言ったけど、あれは嘘なんだ」


「そうなの? じゃあ、本当の理由を聞かせてよ」


「……夏に、親父が死んだんだ」


「……詳しく、聞かせてもらえる?」


セーラー服が揺れる。どうやら、こちらへ顔を向けたらしい。


「ありきたりな話だよ。事業に失敗して絶望したんだ。借金、責任、全てから逃げて死んだ」


「……そっか」


俺は、重い空気に耐えかね海を見ようとしたが、太陽光が反射し、目が眩んでしまった。

光で海にいる事を再確認し、幼い頃、父に海に行きたいと縋った事を思い出した。

晴れる事を願い、久しぶりに作ったてるてる坊主と、父の骸が重なる。


「ちょうど、今みたいな夏だったと思う。だから、夏が来るとどうしても思い出す。夏は俺にとって、死の象徴になっているんだと思う」


彼の堰き止めていた感情が溢れ出す。

ここでやめておけと理性が訴えるが、口と体が分離したかの様に喋り続けてしまう。


「あいつは、現実と過去の対比に勝手に絶望した負け犬さ。思い出なんかに縋るから、絶望するんだ。だから、思い出なんていらない。必要なのは、未来だけだ」


無言の彼女。表情がわからないが、彼女が真剣に聞いてくれていると思った。


「……本当に、そう思うの?」

しばしの静寂の後、彼女が切り出した。


「思い出に意味が無いって言うなら、何でまだ、他人と関わろうとしているの……?」


「それは……」


答えを、返せなかった。


「君の生き方は、とても苦しそう。本当は、喉から手が出る程欲しい物があるのに、無理して目を瞑ってる……」

彼女の声は震えている。


「私も同じ。失うのが怖いから、最初から諦めて楽になろうとしてるの……」

俺は、透明な彼女の顔に、何故だか、涙が流れている気がした。


砂浜に水滴が落ち、黒く濁る。

自分でも気付かぬ内に涙を流していた。


「君も、俺と同じなのか……?」


「そうよ……だって私は……」


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