お裾分け

 休日の昼下がり、優雅な睡眠を楽しんでいたら呼び鈴に起こされてしまった。

 近場にあった櫛で雑に髪を整え、マスクですっぴんを隠してモタモタと玄関へ向かう。

 覗き窓を確認すると、隣の部屋に住んでいる初老の女性が立っていた。

 彼女とは日常的に挨拶を交わし、ゴミ出しの時間などが被ると少しだけお喋りをする程度の仲だ。

 さほど警戒する必要もないだろうと思い、

「少々お待ちくださいねー」

 と声をかけてから、チェーンを外してドアを開けた。

「あらら、お昼寝中だった? ごめんね。はい、もしよかったら、これをどうぞ」

 ふんわりと寝癖のついた髪に上下緩くなったスウェットというだらしない姿に微笑むと、彼女は紙袋を差し出してきた。

 許可をもらい、紙袋の中を確認する。

 すると、そこに入っていたのは焦げ茶色の物体が入った大きめのタッパーだった。

 いわゆる食品のお裾分けだろう。

 物体は冷え固まっているが、横に傾けるとゆっくりと動いてゆく。

 トロミがついているようだしニンジンなどの具材も入っているので、初めはカレーかと思っていたのだが、よく見てみるとビーフシチューだった。

『美味しそうだけど、なぜ急にビーフシチューを?』

 大学入学をきっかけに現在のアパートで一人暮らしを始め、今年で二年目になる。

 彼女は私が引っ越してくる前からアパートの住民だったので、知り合ってから一年以上経っているわけだが、食品を渡してくるのは初めてだった。

 コテンと首を傾げると、彼女がふふふ、とおっとりした照れ笑いを浮かべる。

「私もね、子供たちが独立してから結構時間が経ったし、分量を間違えずに作れるようになったのよ。でもね、カレーとかビーフシチューみたいな煮込み料理って、どうしてか一気に大人数分作った方が美味しいのよね。そんなわけで、余っちゃって」

 ついでに、今まで私にお裾分けを渡さなかったのは、若い子は手作りの食品を嫌がるかもしれないと思ったことや、痩せた女性だから貰っても食べきれないかもしれないと思ったことが理由なのだと話してくれた。

 のんびりとした様子がどことなく可愛らしくて癒される。

 可愛い人は何歳になっても可愛いようだ。

 親からは滞りなく仕送りが届けられているしバイトもしているので、別に極貧というわけではないのだが、それでも偶に、サークルやゼミの飲み会がスライディングで予定に滑り込んできて、家計を圧迫することがある。

 そうなると、ふりかけや卵を駆使した白米メインの食事を迫られることになるのだが、段々飽きてきて、ゆでたもやしに焼き肉のたれで炒めたもやしを乗せた極貧丼を作り出したりもする。

 我ながらアホな事をしていると思うが、奇行に走ってしまうほど食への飽きは辛い。

 なお、そのような状況下ではスイーツやお菓子のような贅沢品を買う余裕はない。

 食べるのが大好きな私としては、食生活が充実していないと心がすさむ。

 そして、つい先日、反強制で飲み会に参加させられ続けた私は、碌に食料がないという空しい状況下で空腹を誤魔化すべく睡眠をとっていた。

 そんな私にとって、大きな肉のゴロゴロ入ったビーフシチューは最高級の品だ。

 まばゆい輝きを放っている。

「ありがとうございます! ごちそうになります!」

 キチンと頭を下げて礼を言えば、女性は「いいのよ」と穏やかに微笑んだ。

 パタンとドアを閉めた瞬間、力を込めていたお腹の筋肉が緩み、グゥゥと大きな音を鳴らす。

 胃がご飯をくれと騒ぎ立てているようだ。

 さっそくビーフシチューに舌鼓を打つべく、耐熱性の容器に移して電子レンジにかけた。

 ここ数年間、電子レンジを駆使してきた私の腕は超一流だ。

 電子レンジの世界に検定があるのならば二級は固い。

 一級だってとれてしまう。

 そんな電子レンジマスターの手によって温められたビーフシチューは均等に熱せられ、ほこほこと温かな湯気を放っていた。

 食欲を誘う香辛料の香りが湯気に乗って私の元までやって来る。

 再度、私の胃袋が唸りをあげる。

 大きなスプーンに肉や崩れたタマネギを乗せて、いっぺんに口に放り込んだ。

 その瞬間、脳に走った言葉は一つだ。

 美味い。

 とにかく美味い。

 今まで食べたビーフシチューの中で一番美味い。

 圧力鍋で作ったのか、どの具材も柔らかくて味が染み込んでいる。

 また、野菜の一部が溶け込んでトロミのあるルーを更にドロけさせ、全体の濃厚度を上げている。

 甘みと酸味のバランスが絶妙で、正直、具材など無くても十分だと感じてしまうほど完璧なルーだ。

 おまけに、大きな牛のすじ肉もスプーンを差し込めばホロリと崩れるほどしっかりと煮込まれていて、トロリと溶けながら口内を旨味で満たしていく脂の部分と、噛めばモキュモキュとした肉肉しい食感を与えてくれる赤味肉の部分を両方同時に味わえる。

 この差異が非常に楽しく、かつ美味しい。

 舌で押しつぶせるほどやわらかいので、食べていて嫌な引っ掛かりもない。

 これぞ正に、噛まずとも飲めるドリンクなお肉だ。

 肉に満足したらホクホクの大きなジャガイモやニンジンを食べ、ルーをゆっくり味わう。

 そうしてひたすらに具材を食べ進めたら、今度はルーが少し残る器に白米を投入した。

 絵面はあまりよくないが、それもこれも余すところなくビーフシチューを味わい尽くし、かつ腹の容量を満たすためだ。

 賛否両論ある食べ方であり、私は基本的にはパン派だったが、その常識が覆るほどに美味だった。

 至高の一品であるビーフシチューが米をコーティングし、白米を控えめで上品な甘みのある贅沢なピラフのような存在へと昇格させている。

 素晴らしい。

 スタンディングオベーションからの感涙待ったなしだ。

 無我夢中で味わい尽くし、器の中がピカピカになったことに満足感を覚えながら、ご馳走様でした、と丁寧に手を合わせる。

 そして、最高の気分のまま至福のお昼寝タイムに突入した。


 翌日、私は熱心に感想を語りながら、お隣さんに綺麗に洗ったタッパーを返した。

 彼女は「喜んでくれて嬉しいわ」と、相変わらずの柔らかい笑みを見せている。

 それから私は、数日前に実家から届けられ、

「せめて缶詰とかレトルトを送ってくれよ! なんで! なんでカボチャ!!」

 と絶叫した巨大なカボチャをお隣さんに手渡した。

 正直、私の手には余り過ぎる食材だったので、歴戦の主婦として素晴らしい腕前を持つ彼女にプレゼントすることにしたのだが、貰っても困るだろうかとも思い、内心ドキドキしていた。

 だが、お料理大好きな彼女は私の杞憂など吹き飛ばす勢いで喜び、さらに翌日にパンプキンタルトやかぼちゃの煮つけなどを作って持ってきてくれた。

 もちろん、それらは全て絶品で心が感涙を流した。

 そして、その日以降、私は自分の手に余る食材を渡し、彼女はそれ料理したり意図的に食事を多く作ったりして、余った物をプレゼントしてくれるという、物々交換が定期的に行われるようになった。

 稀に一緒に料理をすることもあり、高校の家庭科で習う以上の家庭料理はほとんど全て彼女から学んだ。

 おかげで、お正月に実家に帰った時には母に褒められるほどの腕前になっていた。

 そして、やけに懐かしく感じる母の手料理を食べながら、

『お隣さんの家でも息子さんたちが帰って来て、楽しくご飯を食べているのかな? 私がプレゼントしたリンゴ、皆で食べていてくれたら嬉しいな』

 なんてことを思ったりもした。

 そこまで頻繁に交流があったわけではないのだが、それでも、お隣さんと関り合った時間は私にとっての宝物だったのだろう。

 社会人になり、職場の関係でアパートを出た今でも、ふとした時にお隣さんの存在が懐かしくなる。

『お隣さんほど美味しくは作れないんだよな。コクとまろやかさが足りないというか、なんというか。やっぱり、歴戦の主婦の力が味にも影響したりするのかなぁ。それとも、足りぬのは愛情? なんてね』

 コトコトと圧力鍋で煮込まれるビーフシチューを眺めて、苦笑いを浮かべた。

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