会社の喫煙室は1週間後になくなる

七村メイナ

第1話 絶望な月曜日

 誰もいない静かな2階の喫煙室。節電のため、人が来なければ電気は点かない。

 休憩時間のチャイムが12階建てのオフィス内に響き渡ると、営業部長の澤田は4階フロアを早歩きで脱出し、階段を駆け下りると傍にある喫煙室に入る。

 窓のない部屋だが、1つの灰皿を独占し、紙煙草を箱から1つ取り出すと片手に持つライターで火を付ける。ニコチンを吸うと、安堵の溜め息を漏らす。

 ほんの数日前なら満足げに吸えたものだが、不安と不満を抱きながら吸わざるを得ない決議があった。それは、1時間前に目を通した議事録に書かれていたものだ。


『3月29日をもって、喫煙室を撤廃する旨を了承した』


 喫煙者をオフィスから排除するのか、5日前の会議でそう反論をしたかった澤田だが、立場上勝てなかった。

 250人いる社員の中で、喫煙者はたったの2人。割合で言えば1%にも満たず、撤廃は当然である、との見解で一致していた。しかし、普段から顧客との対話を繰り返しながら、次々と入社する若者を育てていると、ストレスしかない。澤田はそのストレスを、煙草でしか発散できないと思い込んでいた。

 1週間後に訪れる地獄を想像して溜め息を吐いていると、黒いミディアムヘアで162センチと少し足の長い、井達イダチが入室する。


「あ、お疲れ様です」

「いだっちゃん、お疲れさん」


 休憩時間に二人が顔を合わせることが絶対になるのも、この喫煙室があるおかげである。

 井達は加熱式煙草を取り出し、電源を入れる。


「部長、私達、生きていけますか?」

「生きることは辛うじてできる。ただ、仕事ができるかは別だ」


 いつもより声のトーンが低くなり、休憩するにも気分が重くなる。


「反対してくれたんですよね?」

「バカ言うな、反対するにも上司20人近くいる場で1人だけ孤立した意見なんかできるわけねぇだろ」


 俯きながら弱音を吐く澤田に、井達はすぐさま目を向け、えっ?、と声を漏らす。


「なんで言わないんですか」

「お前言えるか? あの偉大な社長もいるんだぞ?」

「言いますよ」


 加熱式煙草を手に持ちながら胸を張る井達に、澤田は言葉を失う。


「タフだなぁ、いだっちゃん」

「部長が弱いだけですよ、そんな古い紙煙草なんて吸ってるから」

「関係ねぇだろ、紙煙草がなかったらお前の吸ってる加熱式なんてこの世に生まれなかったんだよ」

「口あんまり大きく開けないでくださいよ、煙が充満するでしょ?」

「お前も最初から煙吸ってんだろうが! 意味わかんねぇこと言うな」

『うるさいよ!』


 非常につまらない喫煙者たちの言い合いに、入口からバケツで水がかけられた。喫煙室の前の廊下を掃除していた青い服のおばちゃんが呆れて、二人を睨み付ける。


「アンタ達、さっさと煙草やめて真面目に仕事したらどうだい?」


 おばちゃんは扉を力任せに閉め、空になったバケツとモップを持って3階へ上がっていった。そして、休憩終了の10時5分を知らせるチャイムが長調で鳴る。


「俺、部長だよな?」

「部長、バスタオル借りてきてください」

「パシリにすんな」


 すっかり気分が沈みきった二人は、各々のデスクに戻っていった。

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