27 今の私に出来る事を――どうなったとしてもやるべき事はあるよね、きっと

「少し先の方で、街から来たと思しき馬車が道を外れて横転――魔物に襲われているようです……!!」

「っ!?」


 神官さんの言葉に、私・八重垣やえがき紫苑しおんは少し身を乗り出して眼に意識を集中――視力を強化する魔法を使用した。

 すると、確かにそこ――街道から少しズレた場所には少し大きめの馬車が横転、荷物が散乱している様子と、その周囲にゴブリン達がいるのが視界に映った。

 乗っていた人たち数人は集まって、それぞれ角材などを使って牽制しているようだったが――正直長くもちそうにない。 


 私達の乗る馬車は、あと5分ほどでその現場に辿り着くだろう。


「わ、わわ、わ、私達はどうするんですか?!」

「それは――」

「このまま駆け抜けるに決まってるだろ!」


 これまで神殿への送り迎えで何度か顔を合わせた事がある御者さんが半ば叫んでいた。

 彼は必死に前を見て、一心不乱に手綱を操り、馬車を走らせている。

 

「立ち止まってこっちも襲われるわけにゃあいかねぇ……!」

「そ、それは……」

「お気持ちはお察しします――しかし、今の私達に出来るのは、一刻も早く街に着いて、助けを呼ぶ事だけです」


 確かに神官さん達の言うとおりだ。

 この馬車には十数人の人が乗っていて、その殆どが普通の、戦いとは無縁の人達だ。おじいさんやおばあさんもいる。

 そんな人達を魔物に相対させて、危険に晒すわけにはいかないよね。

 うん、その判断は間違いなく正しい。


 だけど。

 このままただ通り過ぎていいんだろうか?


 あの人達の危機に何も出来ずにいるのは――。


 数日前のスカード師匠の言葉が頭を過ぎる。

 それは冒険者としての心構えを教えてもらっている時だった。


『――いいか?

 冒険者として戦っているとほぼ確実に遭遇する事だが、どうしても逃げなくちゃならない時がある。

 例え守りたいものがあったとしても、もっと守りたいものの為に、な』

『もっと、守りたいもの?』

『色々あるが――主には、自分自身の命や、自分の仲間、身内の命だな。

 同じ命でも全く知らない他人よりも、優先したいものは純然と存在している』

『そ、それは――』

『言わんがする事は分かる。

 さっきはああ言ったが、同じ命だ。俺だって助けられる時は助けたいと思う。

 だが、それでも、そうだとしても分が悪い時はある。

 死にそうになって、殺されそうになって、そんな時逃げたって誰が責められる?

 誰にもそんな権利はない』

『……はい、それは、そうです』

『ちゃんと分かってるみたいだな。

 そう、だからな。

 お前達だって、自分の命が危ない時や優先すべき事がある時は逃げていいんだ。

 誰に何を言われたって笑われたっていい。

 蘇生契約で復活できるからって、誰が好き好んで死にたいんだ。

 蘇れたとしても、心に癒えない傷を負いたい奴なんかいない。

 逃げて悔しいんなら、次は逃げずに済むように努力すればいい。

 その為にも生きなくちゃ話にならないんだ。

 ――ただ……』




 私は、少しずつ近づいていく襲撃の場所と、馬車の中と――自分を見比べる。


 ううう、めちゃ手が震えてるなぁ。

 我ながら情けない……昔から、こんな感じだ。

 私はずっと変わらず弱いままで、世間様にはお恥ずかしい限りです、はい。


 でも、そうだとしても。


「――うん」


 自分を納得させるように小さく頷いて……私は決断した。


「あ、あ、あああの。

 わ、私には――出来る事があります。ほんの少しだけ、ですが」

「え――?」

「わ、私は、降りて戦います。

 馬車はこのまま速度を落とさずに走り抜けてください。降りる方法が私にはあるので」

「な?! やめとけって!」

「そうです――貴方自身の命も、尊厳も大切なものなのですよ……?」

「ああ、あそこにいるのはゴブリン――女がアイツらに捕まったら、もう悲惨なんてもんじゃねえんだ。

 死んだ方がマシ、なんて状況だってあるんだぞ……?!」


 ああ、うん、ですよね。

 私が何度か想像して勝手に大騒ぎしてた薄い本的年齢制限同人誌展開だろうね……。


 御者と神官さん達が必死に声を掛けてくれる。

 お二人共に、こんな場面をきっと何度見てきて、その上で言ってくださっている。

 二人の男性の表情には、そういう経験からの確信があるように見えた。

 もしかしたら、似たような事をして良い結果にならなかった事を何度も見てきたのかもしれない。


 その心遣いを裏切ってしまうのはすごくすごく申し訳ないです――だけど。


「二人の言うとおりだ」


 幌の中から同行者である堅砂かたすなはじめくんが声を掛ける。

 すぐ側には揺れで倒れないように彼の足にしがみつき、不安げにこちらを見上げるレーラちゃんもいた。

 

「別にあそこにいる人達を見捨てようなんて言ってるわけじゃない。

 街に着いてすぐに警護兵なりに知らせるのが俺達のやるべき事だ。

 師匠の言葉を忘れたわけじゃないだろう?」


 少し前に思い返していた事は堅砂くんも聴いていた事だ。

 その上で、彼は『もっと守りたいもの』を選択している。

 間違っていない。いるはずがない。

 ――さらに言えば、彼は『もっと守りたいもの』の中に私も入れてくれているのだ。

 どうでもいいのなら、今私に声を掛ける必要なんかないのに、こうして今真剣な表情で止めてくれている。

 いや、ホント、ありがたいよ、うん。 


「う、うん、ちゃんと覚えてる。堅砂くんは何も間違ってないよ。

 だけど――私は、間違えててもあの人達を助けたいんだ」

「どうしてもか?」

「うん。

 ――あそこにね、私達と同い年位の女の子がいるの。

 もし私があの子だったら、きっと助けてほしいって思うよ。だから」

「嘘を吐け。あそこに君がいたら――こう思うんじゃないのか? ここは危ないから早く逃げてほしい、と」

「……ど、どど、どうかな。

 私は強くないから、そう思えないんじゃないかって思うけど。

 でも、ただ――私は言えないから」

「何をだ?」

「こ、この場を無事に通り過ぎて助けを呼んで――それが自分に出来る最大限だったって。

 数日前の、元の世界の私なら、それが最大限だったけど」


 もしここにいるのが本来の世界の私であれば、ここで通り過ぎる事に納得も出来たんじゃないかな。

 どんなに自分が情けなくて、歯を食いしばって、涙を流し、泣き叫んだとしても、私には何も出来ないのだから。

 でも――


「で、ででで、で、でも、今は、今の私は――きっと、ちょっとくらいは、違うと思うから」


 そう、違う。

 納得出来る事と、本当はどう思い、何をしたいかは違うよね。


 出来る事の有無は関係なくて。

 私は、あの人達を助けたいんだ。


 そして今は――ほんの少し、それを可能にするかもしれない力がある。

 同じ行動を取ってもただ死ぬだけだった、数日前とは違う。


 それが少し前の、本当の世界にいる私と、今の私との違い。


「バカか君は。確かに出来る事は増えただろう。

 だけど、あそこにいる数を相手全部を圧倒出来る強さを俺達はまだ持ってない。

 君自身も言ってただろう……君は、俺達は、勇者でも英雄でもないんだ」

「う、うん、ごめんね。分かってる」


 今この瞬間に限っては、私がもらった『贈り物』が、英雄や勇者のような、もっとすごい、どんな敵をも倒せる凄い技能や武器ならいいのに、と思わないでもない。

 だけど、他の誰かじゃなく、私自身に限って言えば……そうだから、あるいはそうじゃないからで、誰かを助けるかどうかを決めるのは――何か、上手く言えないけれど、何か違う気がするかな。

  

 勿論どんな思いであれ、誰かを助ける事は素晴らしい事だから、その事に異を唱えたいわけじゃないですよ、ええ。


 きっと、そう……私は、ただ単純に――今、出来る事から逃げたくないだけだ。

 

「で、でで、でも、あの後、師匠が言ってたよね?

 『ただ、それでも逃げちゃいけないと思うなら、立ち向かうしかないな』って。

 わ、私にとって、きっと今がその時だから」


 頭で、心で逃げるべきだと分かっている事があっても、それでも立ち向かいたいと思う時……きっと、そこからは絶対に背を向けたらいけないんだと思う。

 それは自分自身から逃げる事で、そうなったらもう、全てが恐ろしくなるだけだと思うから。


 正直めちゃくちゃに怖くてどうしようもないんだけど。

 今も足が生まれたての小鹿ばりにガクガクしてるんですけど。


 だとしても。

 

 例え、立ち向かったその結果が、どんなに惨いものだとしても。


「――決意は、硬いみたいだな」

「ほ、本当にごめんね」


 つまらなさそうに深い息を吐く堅砂くんに頭を下げる。私には、それしかできなかった。


「その、ごめんを重ねて申し訳ないんだけど、堅砂くん、レーラちゃんをお願い。

 レーラちゃん――」


 私はレーラちゃんの頭を優しく撫でながら笑いかけた。

 心配無用だと教える為に、私に出来る限り力強くニッコリと。


「……紫苑お姉ちゃん、困ってる人たちを助けたいんだ。

 だからちょっと行って来るけど――うん、大丈夫、お姉ちゃんは強くなったんだから……!!

 だから、ちょっとだけ良い子で待っててくれるかな」

「おねえちゃん……うんっ! ちゃんと、待ってるからね――!」

「うん、ありがとう。じゃあ……」


 丁度、頃合いは良かった。

 馬車は気付けば横転した荷馬車のすぐ傍を駆け抜けようとしていた所だった。


 なので、私は、ふぅー、と息を吸って、吐いて、心を整えて――


「いや、八重垣、君――!!」


 私が今からやろうとしている事を察してか、堅砂くんが声を上げようとする。

 その彼に、今まさに心配をかける事やレーラちゃんを任せる事、全部の謝罪を込めたつもりで両手を合わせてから、私は幌から飛び降りる。


「八重垣紫苑、行ってきます……!!」


 その瞬間、私は自分を鼓舞するように――歯を剥き出しにした、獰猛な笑みを浮かべていた。

 ええ、こうなったらもう、とことんやってやりますとも!

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