第50話 王女捜索2

「あら、リュクスちゃん! またいつものかしら?」

「そうなんですよー、姫様にも困ったもんですよ」


 果物を売っているおばさんに笑いかけて、俺は頭を掻く。姫様の脱走が「いつもの」として認知されていることに乾いた笑いが漏れる。


 シュバルツブルグは治安がいい。それは俺が肌で感じていることだが、じっさい旅人からの話でも、そうらしいという事は聞くことができた。


 まあ国の第一王女が無警戒に城下町を歩いて、何の事件も起こらないのだ。それはもう、ここよりも治安のいい都市は無いと言っても過言ではないだろう。


「お疲れ、一応聞くけど、姫様見た?」

「見ていない――と言うように言われています。ちなみに少し前、市場に向かって歩いていくのを見ました」


 もう既に顔なじみになっている衛兵に、彼女の行き先を聞く。彼は彼で姫様に口止めをされているらしく、俺達は二人して苦笑いをした。あの姫様は、どこまでも手がかかるのだ。


 治安の良さを維持できる秘訣は、勿論衛兵たちが仕事をしているというのもあるが、俺は姫様が直々に、ほとんど抜き打ちチェックのように、市場や広場に現れるおかげだと考えていた。


 姫様がそこに行くということは、連れ戻すために兵士がそこに赴くという事で、そこでは悪いことができない。彼女自身、そんなことは全く考えていないのだが、結果としてそうなっているのだから、そういう意味では計算ずくのヴィクトリア殿下と対照的な、天性のセンスだけで暮らしている彼女なりの政治とでも呼ぶべきなのだろうか。


 市場の方へ向かって歩いていると、人だかりができているのが見えた。姫様が城下町でうろつくのは、そう珍しい事ではない。いや、アバル帝国とかオース皇国で為政者の子供がうろついていたら大事件なのだが、イクス王国に関しては全くそんな事はない。


 なので、あの人数が集まっているということは、姫様がそこにいるという訳ではなく、それ以外の事態が起きている可能性が高い。値切り交渉が難航しているとかだろうか?


「どうすればいいんだ……」

「とりあえず私の伝手で材料は今日中に集まりますが、技術は……」

「エリー様は手先が器用ですし、最悪工場の親方に教えてもらいながら……」


 集まっている商人たちは口々にそんな事を言っている。姫様の行方を知ってるかもしれないし、ちょっと気になったので、声を掛けてみることにした。


「すいませーん。姫様見ませんでした?」

「っ!?」


 俺が声を掛けた瞬間、全員が身構えるように俺と距離を取った。なんだ、嫌われる事でもしたかな?


「あ、ああ、リュクス殿か、エリー様は、えーっと……」

「さっきまでここに居たんですけど、用事があるみたいで魔法研究所の方に行きましたよ」

「そうそう、そっちに行きました!」


 ……怪しい。あからさまに動揺している彼らをいぶかしんだが、どうやら口を割る気はないようだった。仕方ないので、俺は彼らの誘導に乗る事にする。


「わかった。ありがとう。そっち探してみるわ」


 なんだかんだ。この街の住人は姫様の事を家族のように思っているし、同時に将来の為政者だという事も理解している。だから、姫様に危害が加わるような事はさせないはずだし、彼女が希望したからと言って、目に余るような問題行動はさせないはずで、正直なところこの追いかけっこも、ヴィクトリア殿下にとっては織り込み済みなのだろう。


「はぁー……追いかけるこっちの身にもなってくださいよ、姫様」


 足を進めつつ、俺は誰に言う訳でもなく愚痴をこぼす。面倒だとは思いつつも、口元が緩んでいるのを自覚した。



――



 御前試合とは、アバル帝国皇帝が観覧に訪れる武道大会であり、それはこの国の娯楽のうち最大級の物だった。


「へっ……前哨戦だから、さっさと終わらせてやるか。おい出来損ない。痛いのが嫌なら早めに降参しろよ」


 俺と義兄の試合は、その大会で一番最初に組まれていた。正直なところ、後半の方がうれしかったのだが、まあそれは仕方ない。俺は奴に一度も勝てていないし、明らかな格下と戦わせて、調子を上げておきたいと言ったところだろう。


「よろしくお願いします。義兄さん」


 対外的には、俺は遠縁の養子という事になっている。だから、俺が彼を義兄と呼んでも違和感はない。


「では、どちらが参ったと言うか、気絶以上の状況になった時にこの戦いは終わります。双方それでよろしいですね?」

「ブラド様ー! 早く勝ち上がってー!」

「オッズはどうなってる?」

「馬鹿野郎、こりゃほとんどデモンストレーションだよ、賭けにならねぇから胴元も何も言ってねえ」


 ここにいる全員が、俺の敗北を確信している。俺はそれに満足して、今まで調べたことをを確認する。


 闘技場の入場口には誰も居らず。裏口まで全力で走れば、止められる事もない。闘技場を出れば、地下水路の点検口に逃げ込んで、スラム街まで抜けることができる。


 そしてスラム街には衛兵がほとんどおらず、入り組んでいる。そこまで行けば、追っ手を撒いた上でヴァントハイムの外へ出られるだろう。


 俺は籠手を嵌めた手で片手剣を握る。防具はこれ以外付けていない。逃げるときに邪魔になるからだ。


「さあ、いくぜぇっ!」


 気合と共に、彼は俺へと突進してくる。整った顔が妙に苛ついた。


 片手剣で何とか受けきり、続く連撃も紙一重でいなしていく。正面から打ち合えば、まず勝ち目がない。俺は慎重に、相手が気持ちよくなれるように試合を演出する。


「何の作戦だか知らねえが、防具もつけずに戦うとか舐めすぎなんだよ! 決闘中ならどうなっても事故で片づけられるのを知らねえわけじゃねえだろ!」


 その台詞と同時に相手は大きく片手剣を振りかぶり、俺から武器を弾き飛ばす。想像通りの試合展開に、俺は口元が緩むのを抑えるのに必死だった。


「ああ、知ってるよ」


 だからわざわざ、この瞬間まで握りたくもない剣を握っていたのだ。手から離れた瞬間に、俺は一歩大きく踏み込み、鎖帷子で守られた喉元へ拳を叩き込んだ。


「が――っ!!」


 喉を攻撃したのは、降参宣言をさせないため、そして籠手だけを付けていたのは、拳で戦うためだ。俺は体勢を崩した男に、殴った方とは逆の手で掴みかかり、顔面に力の限り籠手をもう一度叩きこむ。


 俺の母が死んだのは、こいつとランカスト当主夫妻が主犯格だ。


 当主夫妻――俺の父親と、こいつの母親が、常に母を鬱陶しそうに扱っていたのは気付いていた。そして、その雰囲気を察したこいつと、侍女たちが実行犯となって、母親を死に追いやったのだ。


 だから御前試合という大舞台で、こいつらの鼻を明かしてやろうと思った。剣術の才能が無いように振る舞い、陰で拳闘の鍛錬をする。屋敷の人間全員が、俺を居ないものとして扱っていたからか、誰にも気づかれることなく強くなることができた。


「ごっ……! ……」


 拳に何度目かの骨を砕く感触があった時、俺は拳を収めた。本当なら殺してやりたいが、殺してしまえばランカスト家は俺をなりふり構わず殺そうとするだろう。それは避けなければならない。それに、効果は十分だった。


「……」


 息を整えつつ周囲を見回すと、観客は全員唖然としていた。皇帝家族ですら微動だにしていない。俺はそれに満足すると、踵を返して想定していた経路を走り始めた。


「……っ! 奴を追いかけろ! 逃がすな! それとブラド様の治療を――」


 冷静さを取り戻した誰かの言葉を背に受けつつ、俺は走り続ける。


 御前試合という大事な場面で、自慢の息子がボコボコにされた当主夫妻は面目丸つぶれ、皇帝の目の前で格下に負けた奴のプライドは根元から折れて、名声も地に落ちる。


 まあ本当に実力があれば、這い上がってくることもできるだろうが、少なくとも今まさに一杯食わせてやったという事が、楽しくて仕方なかった。


「ははっ」


 地下水路を抜け、スラム街をヴァントハイムの外へ向かって走っている時、俺の口から息が漏れた。


「はは、はははははっ」


 止めようとしたが、それは無理だった。浮浪者たちが俺を奇異の目で見るが、スラム街ではそう珍しい事でもなかったのか、すぐに興味を失って、元の生活に戻っていく。


「はははははっ、あはははははっ、はははははっ!!!」


 目立つのは避けるべきだというのはわかっていた。走り過ぎて、酸欠で頭がグラグラしていた。それでも俺は、声を抑えることはできなかった。

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