2章11話 見えた煙と消えた証拠


(父さんがいなくたって、俺は別に不幸なんかじゃねぇのに!!!)


 肩に触れた瞬間。最初に、そんな強い想いが僕を襲った。

 トラさんに触れた時よりも、強く。共感なのか、引っ張られているのかわからないまま、僕は飲み込まれそうになって。


 でも同時に、その光景を見た。


 山の方を立ち上る煙。それはとても霧のようには見えなくて。

 それが、少しずつ消えていく。まるでそんなもの無かったかのように。

 不安、不安。間違いだったらどうしよう。


 怒りや戸惑い、苛立ちと悲しみ。


 凄く理解できる感情も、全く分からない感情も、どちらも通り過ぎて、はっと気がついたら楽さんに支えられていた。違った、多分引き寄せてくれたんだ。


 長い時間ぼーっとしてしまった気がしていたけれど、悠太くんは怪訝そうな顔をしているくらいで、そこまで時間は経っていなかったようだった。

 でも、その表情が疑問から焦りに変わっていって。


「久我山……お前大丈夫かよ、それ……鼻血」


 そう言われて僕は、鼻から少し血が垂れてきているのに気づいて拭う。

 凄く沢山の情報を頭の中に詰め込まれたような、お風呂に長く入りすぎてのぼせた時と同じ感覚だった。


「あ、ううん、大丈夫…………煙ってさ、あっちの山に朝出てたやつ、だよね?」


「へ…………そ、そうだよ! 確かにそっちから見たんだ! 久我山! お前も見たのか!? なぁ、俺の勘違いじゃなかったよな!!?」


 そして、窓の外を指さしながらの僕の言葉に悠太くんは一瞬ぽかんとした後、今度は僕の肩を悠太くんが掴んで揺さぶるようにして言った。


「……ちょ、ちょっと悠太、あんた落ち着きなさいよ! 詩音くんが壊れちゃうでしょ!?」


 絵美がそう言いながら、腕を持って止めるようにしてくれる。

 僕は足に力を込めて、楽さんにも目配せで大丈夫と告げて、言った。


「う……うん。とは言っても全然はっきりとじゃないけれど。でも、きっと悠太くんのそれは見間違いじゃないと思う。いたずらでもないし。僕は信じるよ」


 すると、悠太くんは、少しだけぽかんとした表情で僕を見て。


「久我山…………お前! めっちゃいいやつだな! 何か、感じ悪い態度とってごめん!」


 深々と頭を下げて、そしてさっきまでの色んな感情が混ざったような表情を消して、にっと笑った。それを見て、僕は首を振る。


「……僕もさ、お父さん、居ないから。だからさっきの、少しわかるし。それに嘘じゃないのにうまく説明できなくて、嘘とか勘違いって決められるのも、嫌だから。それに全然気にしてないから、謝らなくていいよ、えっと、悠太くん」


「久我山……」


「詩音でいいって」


「おお、詩音な! お前も俺のことは悠太で良いぜ……でもそうなったら教頭先生のとこに行ってやっぱ嘘じゃなかったって―――――」


「いや、それは難しいんじゃねぇか?」


 そして、興奮したように悠太がそう呟くが、そこに楽さんからの待ったがかかった。


「……何でだよ……じゃなくて、何でですか?」


 悠太が、楽さんにそう言って、お母さんに目で咎められるようにして、言い直すのがこんな時なのに少しおかしくてくすりとしてしまう。

 それに、僕も楽さんに同意だった。


 悠太が嘘をついているわけじゃないことも、実際に見たことも、視えたけれど、それはあくまで僕の中だけのことで、それに――――。


「残念ながら、証拠があるわけでもなけりゃ、詩音がかばって嘘をついたと思われても反論できないからな。信じる信じないなら、元々問題ないわけだし」


 楽さんの言う通りだった。

 今更もう一人、同じクラスの男子が見たと言っても、特に何も変わらないだろう。


「……そんな」


 悠太が、しょんぼりとした顔で俯く。


「楽さん、何とかならないの?」「トラさんの時は何とかしてくれたじゃん」


 絵美と絵夢が、そんな悠太を見て、そう横からねだるような口調で言った。

 でも、僕は楽さんの表情が、諦めろと言っている訳では無いとわかって、楽さんの言葉の続きを待っていた。


「まぁ慌てるなって。二人共・・・、確かに見たんだろ?」


 少しだけ意味ありげに僕の方を見て、楽さんは悠太を見つめる。

 僕は頷いて、悠太も同じように首をぶんぶんと縦に振った。


「じゃあまぁ、考えられることはいくつかあるな」


 そして、楽さんが指を折りながら僕達にも伝わるようにゆっくり言葉を続けてくれる。


「一つ目、火事が起きてたけど、すぐに誰かが消したか自然に鎮火した場合」


「二つ目、煙は出てたけど、焚き火や野焼き、別の理由があった場合」


「三つ目、煙に見えたけど、霧とか別のものだった――って可能性だな」


 言われてみれば当たり前で。

 煙は確かにあった。でも火事の証拠は無かった。


「要は、お前が見たってことは確かでも、原因が火事だけとは限らねぇってことだ。でも、だからって嘘ってわけじゃねえし、それに何よりな、ちゃんとそういう通報をするのは偉いことだと俺は思う。ということで少しばかり、大人のつてってやつで悪あがきの手伝いをしてやろう……つってもまぁ、人頼みだけどな」


 そうやってにやっとする楽さんの表情を見て、僕ははっとする。

 顔立ちは似ていないのに、それはとてもいい考えが浮かんだ時の、お母さんの顔と似ていて。

 僕はそれだけでとても安心してしまうのだった。

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