たどりびと ~記憶のかけらに触れる時~

和尚@二番目な僕と一番の彼女。好評発売中

序章 冷たさと温かさ

プロローグ


 雨の冷たさよりも、お腹が空きすぎて冷たいことの方が、よっぽど寒い。

 そんなことを初めて知ったのは、が6歳のころのことだった。


 今日は月に一度のお出かけで、少しいつもと違う景色に見とれていたら、いつのまにかともはぐれてしまって、遠くに見えたと思った後ろ姿を追いかけたら、振り向いた人はおかあさんじゃなくて、ぼくは、とても困ってしまっていた。

 でも、迷子という言葉と、迷子になった時にどうするかは知っている。


『もしも迷子になったら、下手に動いたりしないで待ってるの、約束よ』


 おやくそくは大事だ。

 おやくそくを守れたら、時々おやつが増えたりする。

 それに、色んなひとは、ぼくたち子供がおやくそくを守れるいい子だと、笑顔で褒めてくれた。


 だから、この時のぼくはおやくそく通りじっと待っていたのだけど、いつまでもおかあさんは来なくて。

 昨日の夜も、そして今日の朝ごはんもたくさんは食べられていなかったから、ぼくは段々と辛くなってきて、本当に動けなくなってきてしまった。


 時々道を行く人からはチラチラと視線を向けられるけれど、声をかけてくれる人はほとんどおらず、声をかけてくれた人も、おかあさんを待ってますと言ったら去っていく。


(おなか、すいたなぁ……さむい、なぁ)


 一人や、待っていることは大丈夫だったけど、ただ空腹が辛かった。

 もう純粋に力が入らなくなって立つのも嫌になって、疲れていて泣くこともできずにただ座り込んでしまっていて。

 少し先に見える建物にも、色んな場所にも、美味しそうなものは凄くあちらこちらに溢れているのに、ぼくはその味をほとんど知らなかった。

 おかあさんが作ってくれるスープは美味しかったけれど。


 そして出てきた時にはあんなに明るかったのがだんだんと暗くなって、でも、街に明かりがついて明るさが変わらなくなった頃。ぼくの頭の中がお腹すいたと寒いに支配されて、寒いなぁが冷たいになり始めて本格的にまずいんじゃないかと思い始めた、そんな時だった。


「ぼく、大丈夫? こんなところに一人で……まずはこれを羽織って。お腹が空いているならこれをお食べなさい。後、ジュースとかはなくて、お茶しかないのだけれど」


 少し頭も朦朧としていたぼくは、目の前に差し出されたものを理解できなくて。

 でも、ふぁさりと肩にかけられたものと同時に温かさが宿って、顔を上げると、ほかほかと湯気がたった美味しそうなものがぼくに差し出されていた。


「え……?」


「ほんとうはねぇ、知らない人からご飯をもらっちゃいけないとか、事情とかもあるのかもしれないけれど、坊やはずっとここにいたでしょう? 気になってしまってねぇ」


 ぼくにそうやって声をかけてくれたのは、とても優しげなおばあさんだった。

 透明じゃない、何だか少し格好いい傘をもっているのが印象的なその人は、雰囲気と同じくらい優しい声で、そう告げてくれていて。


 確かに、おかあさんには色々な注意を受けていたけれど、その時のぼくには知らない人からのその温もりと、眼の前の食べ物が魅力的すぎた。


「えっと……」


「いいのよ? お食べなさい。でも熱いから気をつけてね」


 その言葉に、ぼくは、その食べ物を恐る恐るかじってみる。

 最初は柔らかい生地で、二口目からは、温かい肉の汁と美味しさが口いっぱいに広がった。


「あ……あつい…………でも、おいしい」


 そこからは無我夢中で、気づいた時には全て食べきってしまって。

 ありがとうを言わないとと気づいたのは、もらったお茶のペットボトルをごくごくと飲み干してしまった後だった。


「うふふ」


 その間も、そのおばあさんはにこにこと傘を差しながら待っていてくれた。それがとても、とても温かくて。


「あ……! えっと、ありがとう、ございます」


「あら、偉いのね。きちんと御礼も言えていい子でした……ねぇ坊やは、どうしてここにいるのかしら?」


 人心地付いたぼくに、おばあさんがそう聞いたから、ぼくはなるべく丁寧におかあさんを待っていると告げた。

 すると、おばあさんはすこし考えるようにして。


「そうなのね。でも、随分と長く待っているようだけれど、おかあさんはどこに行ってしまったのかしら?」


 そう言葉を続けたので、ぼくは一生懸命今日あったことを話した。


「あら、あらあら。つまりは迷子さんということなのかしら……それはおかあさんも心配しているかもねぇ。えっと、こういう時は警察に電話したらいいのかしら――――」


 そして、そのあとおばあさんの助けでぼくは警察官の人にもう一度一生懸命説明をして、後からやってきた、おかあさんにたくさん怒られて、抱きしめられた。

 でも、どんなに怒られたことも、パトカーに乗ったドキドキも。


 空腹の辛さと、冷たさと、その時にもらったおばあさんの温かさと、そして美味しさには勝てなくて。

 後から『肉まん』という名前だと知ったそのご馳走の美味しさと温かさは、ぼくにとっての一番深いところに残り続けたのだった。


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