一〇八 おまえさえいなければ




 この男を殺そう。




 ——帝立学園に入学してから転がり落ちるみたいだった。それまでボクの身の回りは順風満帆と言ってよかったのに、何ひとつうまくいかなくなってしまった。


 ユウヅツのクソ野郎がウハクの目の前にあらわれてからだった。


 ウハクはボクの言うことを聞かなくなったし、「言うこと聞かない」なんて親が幼児にするような表現を妹に使いたくなかったのに使ってしまったし、それで、ボクは自分が、ウハクを自分が世話すべき相手だと思っていると分かってしまった、対等に扱っていないって。

 支えてあげなきゃ代わってあげなきゃボクがやってあげなきゃって、そういうのがウハクはみじめだったんだろうなと今は分かるし、でもだってオマエにはできないじゃんって思う。


 たぶんユウヅツと会う前からウハクは実兄トカク・ムツラボシの存在が邪魔で、いなけりゃよかったまでは思われていないと信じたいけど、せめて双子じゃなければくらいは思ったろうな、せめて無能な姉でなく妹でよかったとあの子は散々言われてきたし、ボクはそんな嫌味に噛みついてきたけどたしかに妹でよかったとは思う、助けてあげるロールプレイがしやすいもの。

 いっそボクが妹のことを見下せれば楽だったろうけど、あの子はたしかにボクにはできないことができたしなんかよく分からない審美眼があったし、気弱さえ無くせれば、あるいは自信さえ持てたら何の問題もなかった。自信を、横にいるボクが、ボクのせいで、吸い取ってしまっていたから、あの子は自分で普通にできることすらオドオドしながらしかできない。


 それでも、ユウヅツさえいなければ多感な少女期を乗り越えるくらいはできたはずなんだ、波風立てずに帝立学園を修了して、連盟学院ではハナとかキノミ達に支えられてそれなりにやれたはずだ、帝立学園での従者達があんまり良い奴らじゃなかったのは認めるよ? 年齢の兼ね合いでどうしても人事がうまくいかなかった。アイツら、ウハクがユウヅツに接触するのをマトモに止めなかったどころか協力してたし、そのくせウハクの評価だけは思いきりおとしめた。ほんとうにきらい。


 でもユウヅツさえいなければウハクなりにうまくやったはずだ、ユウヅツの存在があの子を自棄にした、ユウヅツに会えるなら他のことはどうでもいいって、自分への悪意も利用してやるって、従者達の放棄を歓迎した。

 本当ならそんなことにならない、あの子は自分に向けられる悪意に気付くのだけはうまかった、それを上手に跳ね除けるみたいなことは持ち前の引っ込み思案で不得手だったけど、というか悪意に敏感であることこそがあの子を臆病にしていた原因だけど、でも悪意を悟るのが上手いって長所だろ、悪意を察知してやっちゃいけないことをやらずにいれば評価はそこまで悪くならない、だってあの子は、あの子と瓜二つのボクが言うのは本当にアレだけど、ただボンヤリ座ってるだけでも周囲から好感を持たれるんだよ顔が良くって華やかだから。

 おとなしくしていれば『お姫様』として申し分ないし、ボクのせいで劣って見えるだけで歴代の皇帝達と並んでも特別に外れているわけじゃなかったし、というか暴君の百倍マシなんだよ為政者が周囲の顔色をよくよくうかがう性質ってことは。

 ウハクこそ皇帝にふさわしいって本当に思う、資質も血統も申し分ない、あの子以外ありえないし考えたくない。異論ある奴もいるだろーけどどう考えたってバカクお兄様の百倍マシだろ。ボクよりもマシだよ、ボクは家族のことしか考えていなくて国民のことなんて本当は極論どうでもいいんだから。ボクは周囲をいかに自分の思い通りにするかしか考えていない。相手のためとか思わない。ボクは本当に好き勝手にその時の気の向く方に勢いで駆け回ってるだけだから上に立つ器じゃない。


 ユウヅツを好きになってからウハクの破滅願望がバチバチに燃え上がった。あの子まるで誰から嫌われても憎まれても明日のこともどうでもよくって今この瞬間にユウヅツを一目見る以上のことは無いみたいだった。そういう衝動の一端を理解できないでもないが、それにしたってウハクの挙動はおかしかった、その原因がユウヅツの魔性にある!!


 コイツは悪気はないとか言っていたけど悪気がないわけないだろってくらい思わせぶりだし断り方が曖昧だしぼんやりしてるわりに親切で人懐こくて好意にてらいがなくて最悪だ、ボクに対しても親切でそれが『皇子様』だからじゃないって分かるから嬉しかった、他人に恋愛感情は向けないし行動に性欲が感じられない、下心がないように見えるから好きになってしまう、その理由を聞かされて余計に最悪になった、悪気はないかもしれんが頭は悪い、分からないからできませんで通るのは幼児までだ、女児だって七つにもなれば金的は痛いと理解はできる、産んだことがなくても子供を産むのは痛いと理解はできる、持って無くたって対応できるはずだ、恋愛感情がないのは仕方がないがそれでサークルクラッシャーになるのはおまえがバカなせいだ、頭が悪いだけだ、言い訳するな。おまえのことが大嫌い、ずっと嫌いだった、良いやつでおもしろくて楽しかったけど嫌いだった!




 トカクは激情が全身の皮膚を焼くみたいだった。総毛立つような怒りだ。これは殺さないと気が済まないなと、身体が動きだす前に確信するくらいの。


 トカクは初めて気が付いた、自分は本当はこう思っていた。

 

 全部おまえのせいだろって。


 ウハクがこんなことになったのはユウヅツのせいで、ユウヅツにはそれをあがなう義務がある、のに、楽になろうとしているのが許せない。


 ウハクを置いてコイツだけ自由になるなんて!!!


「ぶっっ殺してやるッッ」


 という刹那の激昂をトカクが自覚したのは、トカクがユウヅツの胸ぐらを掴んで、寝台から引きずり落とした後だった。

 思考より先に喉から声が飛び出る。


「これだけ目をかけてやってきたのに恩知らずがッッ!!!」

「う」

「死にたいなら殺してやる、殺さないでって言うくらい残虐な方法で骨の髄まで後悔させてから!!!!」


 トカクはユウヅツの首根っこを引っ掴むと窓へ寄った。ガチャガチャと乱暴にカギを開けて開け放つ。


「死ね! 死ね! おまえみたいなものは! やる気がないなら最初からこうしておけばよかったッ」

「う〜……」


 ユウヅツのやる気のない身体を、トカクは窓枠に押し込めようとした。


「もう一回落ちて今度こそ死ねッッ!!!!」

「何やってるある!?」


 さすがに騒ぎに気付いたらしいリゥリゥが血相を変えて療養室に飛び込んできた。

 状況を見るや、それ以上があったのかというくらい顔色を青くする。


「やめるねーーっ、我の監督責任になる! やめろ! やめろーーっ」

「邪魔をするなッッ」

「何があったある!? なんでこんなことなるね!? ちょ……本当に落ち……誰かーーーーッッ!! 人殺しーーーーッッ!!」


 リゥリゥがトカクの十倍くらい叫んだので、間もなく人が集まってきた。


「皇太女殿下! お気を確かに!」

「その子どもを今からどうこうしたって何にもなりませんよ!」


「コイツは生きてるだけでこっちの人生をメチャクチャにする害悪なんだよ! 自分で言った! 駆除だっっ」


「とにかく落ち着いてくださいませ! 殿下は冷静ではありません!」


「離せ! ワタクシは皇太女だぞ!!」


 離せーーーッッと叫びながらトカクは衛兵に引きずられて退場した。





 数刻後、トカクは『ウハク』の姿でメチャクチャな醜態をさらしたことに泣いていた。


「……泣くくらいなら、やんなきゃよかったある」

「やかましい!」



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