クローントクローン

近衛瞬

黎明編

第1話 儚き空の下で

 小雨が降りしきる中、黒のジャケットに身を包んだ少年が息を切らせながら走っていた。ネオンライトが霧を通してほのかに少年の顔を照らす。その閑散としたビル群の奥に、少年の背後を見つめる白いアーマーを纏う男の姿があった。


「こちらβ、目標を発見」


 その男が無線で連絡を取ると、持っていた小銃を握りしめ言葉を重ねた。


「始末します」


 そういうや否や、男はその銃を少年の背中に向け、落ち着き払った様子で引き金をひく。耳をさすような音がビル中に反響した後、雨の音がその残酷さをかき消すように戻ってきた。


 


-----


 


 カフェ「カルボーテ」はいつも以上の賑わいだった。突然の小雨のせいで多くの人がひと時の休息を求め、立ち寄る。カーラもその一人であった。彼女は白色の襟付きシャツに青のジーンズという恰好で、食後のコーヒーを堪能していた。すると来店したばかりの男性客二人が、彼女の後ろで話し合っている声が聞こえてきた。


「実は……俺の彼女が浮気をしていたんだ」


「まじかよ。相手は?」


「俺のクローン」


「良かったな。托卵の心配がなくて」


 会話がプツリと止まった。話し相手の険しい顔を見ると、男はその場に相応しくない発言をしたことに気付き、すぐに謝罪をした。その謝罪を受け取ったのか、もう一人の男が呆れた顔をしながら話を続ける。


「というか、問題はそのクローンが優秀で、俺の評価まで上がってるから、頭が上がらないんだよ」


「そいつの会社に浮気を報告したら、処分が下るんじゃないか?」


 憐れむような表情を見せる男の顔を横目に、コーヒーを飲み終えたカーラは、横に置いてあった茶色のコートを手に取り、カフェの入口の方へと向かった。


「そんなことをしたら、寝取りをする遺伝子が入ってるって、俺の評価まで下がるんだよ」


「なら、話し合いで解決するしかないのか。それかお前がそいつを……」


 徐々に男たちの会話は遠ざかっていき、ドアに手をかけた時には、既に聞こえなくなっていた。店から出るとカーラは男たちの会話を頭の中で反芻し、蒼の瞳を灰色の空に向けながら、ふとつぶやいた。


「クローン社会の成れの果てかしら」


 雨は上がっていたが、濃厚な雲は霧とともに、依然高層ビルを覆っていた。




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 昼近くになっても晴れ間がさすことは無かった。つい先ほど、団長のレテロから緊急の徴集がかかり、カーラはとぼとぼと職場に向かっていた。電車などの公共交通機関を使う必要はないが、道が複雑であり、幾度も上がったり下ったりを繰り返さないとたどり着けない場所だ。


 古びたガンショップが見えてきた。カーラはその店の中に入り、店内の客たちを観察する。幸い客はそこまで多くなく、誰にも気づかれることなく店の裏に入ることは難しくなかった。


 ドアを開けると、馴染みのある声が聞こえてきた。


「遅かったな」


 団長のレテロだ。黒色の髪と髭は短くまとまっており、サングラスも相まって、まだ30にもなっていないのに大人の男の色気が出ている。


「あんたがこんな辺鄙な場所にアジトを構えるからよ」


 休暇中に突然呼び出されたこともあり、カーラは少しイライラした様子で返した。


「文句は政府に言え。人口爆発のせいで地価が上がっているんだ」


 それを聞いたカーラが、以前から早いうちに拠点を移動させる提案を出していたことを話そうとすると、遮るようにレテロが先に本題に入った。


「それよりこれを見てみろ」


 レテロはテーブルに置いてあった銃を取り、カーラに手渡した。


「新型?」


「ああ、そのモデルを作っていた研究段階の技能クローンの一人が二時間前に逃げ出した」


 カーラはその銃を静かに眺め、その銃の精巧さに感動を覚えていた。その様子を見ながらレテロが少し言い辛そうに言葉を紡ぐ。


「それでカーラ。軍がそのクローンを始末、可能なら捕獲をして欲しいそうだ」


「私たちに?探索用の技能クローンに任せられないの?」


 あまりこの依頼に乗り気ではないのか、カーラは面倒臭そうに尋ねた。


「ミイラ取りをミイラにするつもりか?反乱が伝播すれば社会基盤が揺らぎかねない。だから俺たち傭兵隊に仕事が回ってきたわけだ」


 正論を言われ、一瞬カーラは言葉に詰まったが、態度を変えようとはしなかった。


「私、休暇中なんだけど」


 そんなカーラを無視して、レテロは話を続けた。


「それとついでに、お前のクローン体の一人から言伝を預かっている。『あなたが軍隊にいた時にヘマをして、私を含むクローン達全員に迷惑をかけてるんだから、ここでしっかり名誉の回復に努めなさい』とのことだ」


 カーラは、相変わらず上から物を言う彼女に腹を立てながらも、痛いところを突かれていたので、反論が思いつかなかった。


「ヒロトはすでに捜索に出ているから連絡をとっておけ。その銃はやる」


 カーラはレテロから銃を受け取ったが、腰に身に着けたホルスターには既に銃が一丁あったため、それをコートの内ポケットにしまった。


「はいはい、レテロ団長」


 無気力に徹することのみが彼女ができる唯一の抵抗だった。


「あと、ターゲットが暴れた時のために、これを持っていけ」


 そういうと、レテロは巻き尺のようなものを手渡した。


「巻取りが出来るワイヤーだ。強化ステンレス製で人間の力じゃ千切れない。お前がデブじゃないなら、それをひっかけて建物に上ることも出来る」


「ふーん」


 生気の無い返事をするカーラを見て、レテロが心配そうに口を開く。


「一応言っとくが技能クローンに余計な感情を持つなよ。あいつらの遺伝子は労働に特化し、生まれてからそれ以外の世界を知らない。半端に同情すれば両方が不幸になる」


 レテロの発言にカーラは虚を突かれた思いをした。それを隠そうと、彼女は去り際に、レテロを振り返りながら、皮肉を交えて答える。


「心得ているわ。前に浮気されたあなたを慰めていた時あなたが言い寄って来たもの」


 その言葉を言い残し、カーラは店を出た。返す言葉が思いつかず、残されたレテロただ静かに俯いていた。



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(困ったわね)


 アジトを後にしたカーラはその言葉を反芻する。呼び出しの要件が悪い方向で予想通りだったため、行きでさえ重かった足が、帰りはもっと重く感じられた。カーラが自身の暮らしているアパートの前に着くと、レテロから依頼の詳細が来ていた。


[逃亡した技能クローンはX253型R9-03。日に二十時間作業しても疲れない期待の新種だ。茶色の髪に瞳。現在10歳で身長139cm、体重35kg。軍が一度発見し射殺を試みたが、直前に何者かに連れ去られたらしい。十分に気をつけろ]


 逃亡したクローンの写真も添付されており、それを見たカーラは改めて自身の今後を憂えた。さらに重くなった足でアパート内の階段を上がり、自身の部屋の扉に手をかける。


 扉を開くと、明かりがついており、小学生ぐらいの茶髪の男の子がゲームをしていた。カーラの帰宅に気付くと少年は手を止め、彼女の方を向き、満面の笑みで声をかけた。


「おかえり、カーラ。早かったね」


 憂いの根源が何も知らない様子で、カーラの表情をのぞき込む。


「ただいま」


 彼女は、疲れを隠そうとせず、気だるそうに返した。




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 カーラが傭兵隊のアジトに向かう少し前、カフェでの雨宿りを終えた彼女は自宅へと向かっていた。特に予定という予定はないが、天気の回復が見込めないため自宅で新作のゲームでもしようかと考えていた。そんな矢先、白色の防具に身を固めた兵士達が、何やら慌てた様子で周囲を見回している。カーラが兵士たちを眺めていると、隣で走り去る少年の影が見えた。彼女が振り返ると同時に兵士たちも少年に気付き、持っていた銃を少年に向けた。


 そこからは一瞬だった。カーラは咄嗟に少年の手を取り、脇道に引き込んだ。兵士が発射した銃弾は空を切り、霧の中に消えていった。残響がカーラと少年の耳に振動するように残る。少年の手を取ったカーラは止まることなく、人混みの中に入り、追ってきた兵士たちを撒くことに成功した。


「お姉ちゃん、かっこいいね」


 今の状況を把握していないのか、少年は笑顔で緊張感のない発言をする。


「どうも。ところであんたは何であいつらに追われてるの?」


「ん~。盗賊とかなのかな。警察もちゃんと仕事して欲しいよね」


 カーラに謂われのない疲労感が襲ってくる。カーラは少年の見慣れない服装に気が付いた。


「あなた、もしかしてそこの工場で働いていたの?」


「そうだよ~」


 カーラは驚きの余り、言葉を失った。技能クローンの脱走など、前代未聞だったからだ。


「あなたはどこに行こうとしてたの?」


「ん~どこか」


 遠くでさっきとは別の兵士たちが辺りを見回していた。


「ここじゃ落ち着けないから、取り敢えず私の家に行きましょう」


「やったー! ありがとう。でも僕パジャマ持ってきてないよ」


「安心して。そんなに居させないから」


 カーラと少年は並んで西の方角へ歩き出した。二人の出会いが今後社会を大きく動かすことを、彼らはまだ知る由もなかった。

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