第156話 十の物語

 マッチはものすごい勢いで社会に普及していった。その利便性から火打石に取って代わる速度はかなりのものであり、作れば飛ぶように売れたのである。

 景気の拡大で魔法適性検査も増え、分離の魔法使いの数も増えたことで、その供給量も増えていることも一因である。

 さて、そんな社会事情とは関係なく、ある暑い日にアーチボルトラントにはオーロラ、ダフニー、イヴリン、シェリーが来ていた。偶然にも温泉旅行の日程が重なったためである。温泉で温まったシェリーは、スティーブの作ったかき氷を食べながら


「暑いわね。涼しくなる魔法はないかしら?」


 と、弟に訊いた。

 訊かれたスティーブは少し考える。エアコンを今から作るのは時間が足りない。氷の魔法を使うと部屋が水浸しになる。

 そこで思いついたのが怪談であった。


「怖い話でもしましょうか」

「怖い話で涼しくなるの?」

「怖いと思うと鳥肌が立って涼しく感じるものです」


 怖い話を聞くと体がストレスを感じ、交感神経が活発になる。その結果、心臓の血管は拡張して心拍数は上がり、逆に毛穴や皮膚表層の血管は収縮するので、鳥肌が立ったり血流が悪くなって身体が冷たくなるのだ。

 という説明は長くなりそうなので割愛し、涼しくなるとだけ姉にこたえた。

 それを聞いた他の面子も怖い話を聞いてみたいと盛り上がった。ダフニーを除いて。

 ダフニーが乗り気でない様子を見つけたナンシーが意地悪な笑みで話しかける。


「あら、近衛騎士団長ともあろうお方が怖い話が嫌いなのかしら?」


 ナンシーにからかわれたダフニーは、ムッとして言い返す。


「そんなことがあろうはずもない。しかし、怖い話で涼しくなるのかが疑問だっただけだ」

「じゃあ、全員が参加するっていうことね」


 ナンシーに言われてダフニーは覚悟を決めた。実は、ダフニーは怖い話が苦手なのである。幽霊やゾンビが出たという報告を受けても、自らが調査に行かないように立ち回るくらいには苦手だった。

 それでも、ここでナンシーに弱みを見せたくないという思いからの、参加の決定だった。


「しかし、怖い話ということであれば、聖女様も呼ぶべきではないだろうか?本職がどういう反応をするのかを見たい」


 ダフニーはそう提案した。なんとなく、聖女がいれば怖さが軽減される気がしたのである。


 こうして、オーロラ、ダフニー、イヴリン、シェリーに妻であるクリスティーナとナンシー、そしてユリアとカミラ、メルクールとユピターが加わり、スティーブが怪談を披露することとなったのである。

 ユリアたちがやってくるまで待っていたので、すっかり日は暮れてしまい、スティーブの屋敷の食堂は十本のロウソクだけで明かりを得ていた。ロウソクはスティーブ以外の各々の前に置かれている。

 なお、護衛のハリーとスカーレット、ベラは壁際に立っている。


「随分と暗いわね」


 とシェリーが周囲を見回す。


「一つの話が終わるごとに、クリスティーナから右回りで自分の前のロウソクの火を消してください。最後の一本が消えた時に何かが起こります」


 スティーブがそう説明をした。クリスティーナは目の前のロウソクを見ながらスティーブに訊ねる。


「どうして十本なのですか?」

「これは十の物語と言われる由緒正しい怪談のスタイルなんだよ」

「とおのものがたり?」


 本来は百物語なのだが、それではとても長くなる。なので十としたわけである。柳田国男の『遠野物語』をもじったりもしているが。

 何はともあれ怪談は始まる。スティーブはゆっくりとした口調で語り始めた。


「ある貴族が王都にある中古の屋敷を購入した。周囲の屋敷と比べて半値以下の屋敷だったので、不思議だったのだが――――」


 食堂はスティーブの声以外の音はしない。みんな黙ってスティーブの話に集中していた。一話目の終盤にさしかかると、スティーブはちょっとしたいたずらを思い付く。


「貴族が違和感を感じて、職人を呼んで壁をはがすと」


ガシャン!!!


「きゃあああああああ」


 スティーブが収納魔法で収納していた金属の食器を見えないように取り出して、床に落とすと大きな音が響き渡った。それにダフニーが叫び声をあげたのである。

 叫び声をあげたのはダフニーだけであったが、参加者の心拍数は跳ね上がっていた。しかし、皆顔に出さないあたりは流石である。


「これはちょっと最後のおちまで行く雰囲気ではなくなったね」


 スティーブはそう言って、クリスティーナにロウソクを消すよう促す。クリスティーナはふうっと息を吐いてロウソクを消した。

 それから話が進み九話目まで終わった時、スティーブが参加者を見回すと、ダフニー以外は余裕の表情であった。スティーブとしてはそれがちょっと気に入らない。もう少し怖がらせてやろうという気持ちになったのだ。


「最後は話だけではなく映像も加えようと思う。幻惑の魔法を使うから、レジストするマジックアイテムを着けているなら外してください」


 そう言うと、オーロラとイヴリンがマジックアイテムを外した。おや、っとスティーブは思う。

 近衛騎士団長であるダフニーも、敵の精神攻撃を防ぐためにマジックアイテムを装着していると思っていたからだ。


「ダフニーは着けてないの?」

「いえ」


 怖がって外そうとしないダフニーを見て、ナンシーは挑発する。


「あら、近衛騎士団長ともあろうお方が、お話程度で怖がるとは」

「くっ」


 ダフニーは悔しがるが、マジックアイテムを外す踏ん切りがつかない。

 スティーブはダフニーを気遣う。


「怖ければここで終わりにして、外で待っていてもらってもいいよ」

「大丈夫です」


 外で待つことで仲間はずれになるくらいなら、怖い話を聞こうとダフニーは踏みとどまった。そして、マジックアイテムである指輪を外す。


「それでは、最後の話を始めましょうか」


 スティーブは十話目を語り始めた。


「ある国で騎士が国王から湖の調査を任せられた。騎士は馬に乗ってその湖に到着すると、周囲に霧が出てきたことに気が付いた。濃い霧で視界が悪く、このままでは調査も出来ないと思い、周辺の村で休憩しようと思った。そして、道を歩いていると一軒の食堂が現れた。騎士は腹が減っていたから、そこで食事をとろうと考えた」


 スティーブの語りに合わせて、参加者の目の前に濃霧の光景が浮かぶ。濃霧の中に明かりが見えて、食堂に入る騎士を背中から見ている視点だ。


「騎士が食堂に入ると、中には店主がひとりと奥の席に三人の親子がいた。親子は若い夫婦と10歳くらいの女の子。店主が騎士にこっそり耳打ちする。『あの親子は馬車で湖に落ちて死んだ貴族の幽霊なんです。話しかけられても絶対に相手をしないでください』と」


 店内の様子を見やすくするために、この時は騎士の視点に切り替わる。店の奥には品の良い服を着た親子が座っており、騎士の方を見ていた。その顔は真っ白で血の気は無い。彼らの足元は水で濡れていた。


「騎士は『忠告助かる。話しかけねば良いのだな。では、離れた席に座るとしよう。店主、腹が減ったので早く出来る料理を頼む』と言って、親子から離れた席に座った。店主は注文を受けると厨房の方へと入っていく。料理が出てくるのを待っていると、子供が騎士の方へと歩いてくる。『遊んで』と言って騎士のズボンを引っ張る」


 子供が騎士のズボンを引っ張る感覚が全員に伝わってくる。真っ白で生気のない顔は死者そのものであり、ダフニーは恐怖から目を強く瞑った。しかし、脳に直接映像を見せている幻惑の魔法の前には効果は無く、他の者と同じ少女の顔を見せられることになった。


「騎士は最初は無視していたのだが、あまりにも子供がしつこいのでついに怒りが爆発してしまった。『あっちへ行け!』と怒鳴ってしまったのである。すると、店の奥から店主が出てきた。その顔は先ほどの店主とは似ても似つかない腐乱したものであった。彼は騎士に向かって『あーあ、声をかけてしまいましたね。俺と同じでこの世界から出られなくなりましたよ』と言った。騎士は恐ろしくなり、急いで食堂を飛び出すと、表につないであった馬にまたがり駆け出した。後ろからは親子と店主が人とは思えぬ速度で追いかけてくる」


 馬に追いつこうと奇声をあげて追いかけてくる四人の映像は、十の物語の参加者全員に恐怖を与える。


「なんとか四人を振り切った騎士は、夜になってしまったが王都に帰ってきた。そして、安心したら腹が減っていることに気が付いた。ふと見ると、道端に屋台があって明かりがついている。屋台の店主は後ろを向いていたが、騎士は彼に話しかけた。『腹が減った。何か食えるものはあるか?』すると店主は『それなら今から肉を焼くから待っていてください』と言った」


 後姿の店主は中年男性っぽい声だった。ダフニーはこの時点で嫌な予感がしていた。スティーブは続ける。


「店主は騎士に『こんな夜中に何をなさっていたのですか?』と問う。騎士は王都に戻ってきた安心感から、湖に調査に行って濃霧にまかれて、不思議な食堂で死者に出会った話をした。『いやー、あれはもう思い出したくもない』と騎士が言うと、店主が振り向く。『みいつけた』」


 そこで屋台の店主が振り向いて、その顔が食堂の店主であるところで幻覚が終わって、スティーブの屋敷の風景が戻ってくる。

 スティーブは最後のロウソクを消すように、ナンシーに指示した。


「ナンシー、ロウソクを消して」

「承知」


 ナンシーがロウソクを消すと、部屋は闇に包まれる。突如、スティーブの前に明かりが灯り、先ほど幻覚でてみていた死者の少女が現れた。

 その少女が笑いながら全員に訊ねる。


「もっと怖い話が聞きたい?」


 そう問われて、ダフニーとクリスティーナとシェリーは絶叫した。

 実は、ここまでがスティーブの作り出した幻覚だったのである。魔法を解除すると、ナンシーの前には火のついたロウソクがあった。

 スティーブは意地悪く笑う。


「さあ、最後のロウソクを消してみようか?」

「やめておきましょう」


 とクリスティーナはロウソクを取り上げる。


「それでは今日はこれでお開きということで」


 スティーブは十の物語を終了させた。

 そして、シェリーとクリスティーナにすごく怒られる。


「スティーブ、なんでこんな怖いことをするの!」

「だって、姉上が涼しくなりたいというから。実際に涼しくなったでしょう」

「やり過ぎよ!」

「スティーブ様、私も義姉様に同意です。やり過ぎです」


 シェリーとクリスティーナが怒るなか、教会からやって来た四人は落ち着いていた。


「非常に楽しい催しでした。話に映像が加わると、恐怖が増しますね」


 とユリアはスティーブに笑顔を向ける。


「怖くなかったですか?」

「死霊魔法を見た後では、最初から作り物とわかっている分怖さは減りますね」


 オーロラとイヴリンは表情からは、胸の内がうかがえなかった。ただ、イヴリンはスカーレットに


「帰ったらあなたにも今のをやって欲しいの」


 とお願いしていたので、とても気に入っていたのだろうと推測できた。

 概ね好評に終わったことで、スティーブはこれを商売に出来ないかと考えた。そして、後に王都で怪談を劇場で披露することになる。突然音を出して観客を驚かす仕掛けなどは人気となり、チケットは直ぐに完売となったのであった。

 ダフニーは部下に誘われても、常に都合が悪いと断っていたとは風の噂でアーチボルトラントまで伝わって来たのであった。

 なお、無表情をつらぬき通したオーロラであったが、怪談には二度と参加しないとハリーに伝えた。実は怖かったのである。ハリーは小さいころからオーロラを見ていたため、そのことを知っていた。心の中でよく参加したなと思ったのである。

 そこはオーロラも仲間はずれになりたくはなかったというのがあった。

 そして、我慢をしていたために無表情だったのである。叫び声を上げなかったのは貴族教育のたまものであった。途中で叫び声を上げられたらどんなに良いだろうと思っていたのである。

 誰にもばれなくて良かったと思うオーロラであった。

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