第12話: 秘めた素質の一端を垣間見る(祖父から見たらね)
そうして、東京競馬場へと案内された千賀子たちは、昼過ぎぐらいに到着したわけ……だが。
記憶にあるソレと似ている点はあったが、同時に、色々と前世の記憶と違っている点も多くて、千賀子は普通に驚いた。
記憶にある物が無かったり、記憶に無い物があったり、けっこう汚かったり、あるいは綺麗だったり……それだけでも、色々と刺激的であった。
と、同時に、人の多さにけっこう面食らった。
千賀子は、前世を含めて競馬場に足を踏み入れた経験がない。テレビ越しに見たことがあるぐらいで、競馬という賭け事に手を出した経験もない。
ただ、それを差し引いたとしても、だ。
今日は、もはや人で溢れかえりそうなぐらいの賑わいだ。
祖父が話していた『日本一の馬を見に行く』と、今が5月である事と、後は昼前到着だというのに徐々に人が集まり続ける状況から見て……千賀子は、内心にて唸った。
──この頃から、日本ダービーは人気だったのか、と。
ぶっちゃけてしまうと、千賀子は競馬をイメージ的な程度しか知らない。
有名な競走馬の名前だって、うろ覚え。
それも近年テレビで紹介されたぐらいのやつで、昭和の競走馬なんて名前を聞いてもピンと来ないものばかり。
それぐらい無知なので、今日の混み具合が平常なのか、それともダービーの日だから賑わっているのか、それも分からなかった。
……ちなみに、だ。
千賀子がどれだけ無知なのかというと、『競馬』には『中央競馬』と『地方競馬』というものがあって、『芝』と『ダート』があることすら知らない……と言えば、想像しやすいだろうか。
あと、実は東京優駿が日本ダービーという名でも呼ばれるようになったのはもっと後のことで、今は『東京優駿』としか呼ばれていなかったりする。
「千賀子~。私たち、馬主の皆様にご挨拶してくるから、ちょっと待っててね~」
「え、自分の馬のレースを見に来たんじゃ……あと、遠藤くんの腕を離したら? 恥ずかしそうで、彼の顔が真っ赤だよ」
「パパの馬は午後の最後のレースに出るから、今はまだだよ~。『ポンポコシップウ』って名前の馬だから、出来たら応援してね~」
「あ、そうなんだ……いや、だから遠藤くんが……うん、まあ、道子が幸せなら、それでいいよ」
そんな感じで、見るモノ全てに新鮮味を覚えていた千賀子だが……このまま別れて行動するのかと思っていると、道子に呼び止められた。
聞けば、道子の父が所有する馬が走るのは午後になるらしく、その前に、知り合いの人達に挨拶をするのだとか。
別に、千賀子としては構わない。祖父も、特に拒否はしていない。
ただ、そろそろ小腹も空いてきたし、持って来た握り飯を食べようかな……と、思っていると。
「せっかくですし、どうですか? この近くに私たちが馴染みにしている店がありますので、挨拶が終わったら是非とも御馳走させてください」
なにやら、道子の父がそんな提案をしてくれた。
千賀子としては、まったく構わない。いや、むしろ、握り飯より上等な物が食えることに、内心飛び跳ねたい気持ちであった。
だが……それと、祖父の内心は全くの別である。
現代ですら、年下にそういう親切をされることにプライドが傷つけられてしまう老人は多い。
ましてや、今は昭和だ。祖父の世代からして、年下から奢られるなんて、まるで格下扱いされたと思って機嫌を損ねそう……だが。
「それは有り難い、御馳走させてもらうよ」
祖父は欠片も気にした様子もなく、道子の父に頭を下げた。
……いや、まあ、千賀子としては、特に気にしていないのなら構わないのだけれども。
「──ん? なに言ってんだ。偉い人が奢ってくれるというんだ、素直に受け取ってやればいいんだよ」
とはいえ、気になったので素直に尋ねれば、祖父からはそんな返答がなされた。
なんでも、祖父にとって、道子の父は年下の小僧でもなんでもなく、己より立派な1人の男でしかないのだとか。
そんな男から奢ると言われたら、断る方が失礼だ。お返しは、機会が噛み合った時にすれば良い……というわけらしかった。
……なんとなく『爺さんは、理屈で考える方よ』と祖母が話していた理由が分かった気がした。
器量が深いというか、なんというか……とまあ、そんなわけで、挨拶を終えるまで暇となった千賀子だが……ふと、だ。
「ふむ、千賀子。せっかくだから試しにおめぇ、賭けてみるかい? ちょうど、もうすぐレースが始まるからな」
祖父が、そう提案してきた。
えっ、と目を瞬かせる千賀子を尻目に、祖父は道子たちへ話を進め……あっという間に終えると、道子(装備:遠藤くん)とその父は、馬主席の方へと向かって行った。
「全員揃っていたら早く終わるらしいが、おそらく次のレースが終わった後、その次のレースが始まる前ぐらいは掛かるだろうってよ」
「……つまり?」
「もうすぐ始まるレースは賭けられるってわけだ。ほれ、走れ走れ、レースは待っちゃあくれねぇぞ」
「わっ、わっ、押さないでよ、お爺ちゃん!」
了承をした覚えはないが、何時の間にか賭けをすることで話が決まったようだ。
そして、祖父の言う通り、レースは個人の都合など待ってはくれない。
祖父に押される形でタカタカとたたらを踏みながら、案内された先は……馬券の取引を行っている受付の前であった。
……正直な感想を言わせてもらうならば、だ。
前世から千賀子がイメージしていた競馬場、そんな光景で……いや、むしろ、それよりも酷かった。
床に散らばった紙切れやら煙草の吸殻やら、あるいは破り捨てられた新聞紙と思われるモノやら……酷いモノになると、割れた酒瓶らしき残骸すら散らばっている。
他には、来ている人たちの身なりが……あまり、よろしくない。
みすぼらしい、というわけではない。ちゃんと、普段は仕事をしているというのは、血色から察せられる。
ただ、ダルダルに伸びたシャツとか、色が剥げてしまっているズボンとか……なんだろうか。
余力を全て賭け事に回している者特有の気配というか、妙に目が血走っているというか……あまり、近くにはいてほしくないタイプの人達が多いように見えた。
もちろん、全員がそうではない。
中には、ちゃんとした身なりの人も居る。身なりは先ほどの者たちに似ていても、穏やかな表情というか、競馬という賭け事を余裕と共に楽しんでいる者だっている。
とはいえ、目立つのはやっぱり近くには居て欲しくない感じの人達ばかりで……パッと見回した限り、千賀子と同年代の子供は全く見掛けなかった。
(うわぁ……なんか、空気がピリピリしているような……)
とりあえずは、変に目を付けられないよう……先日『ガチャ』にて引き当てた『R:透明感』を発動しつつ……そっと、祖父の手を握った。
「ん?」
「はぐれたら嫌だし、いい?」
「ああ、いいぞ」
どうやら、千賀子の方から意図的に接触したりすれば、『R:透明感』の効果も弱まるようだ。
たぶん、こちらから意図的に接触するという行為が、効果の任意とやらに引っ掛かるのだろう……で、だ。
祖父曰く、混むのは最後の大レースぐらいで、その前に行われるレースはそこまで混まないのだとか。
言われて、千賀子はそりゃあそうだと納得した。
石油王とかならともかく、ほとんどの人は資金に限度がある。最後の大レース用の金をここで失ってしまえば、本末転倒もいいところだ。
それでも、早く到着した結果、只々レースが始まるまでボケーッと突っ立っているのも退屈なわけで……せっかく来たのだからと、少額でポチポチする者が出ている、というわけなのだろう。
……それにしては、目が血走っている者を見かけるが……まあ、ギャンブラーというやつなのだろう。
祖父の手を両手で掴みつつ、順番の列に並び……待つ事、10分ほど。その間、千賀子は……祖父より、簡単な説明を受ける。
内容は、馬券の種類というか、買い方だ。
馬券の種類は時代に応じて増えたり廃止されたり(廃止されることは滅多にないけど)するが、そんなに難しく考える必要はない。
要は、どの馬が1着になるかを当てる『単勝』と、1着から3着を当てる『複勝』、この二つを覚えておけばよくて、どちらかを選んで買えば良いというわけだ。
前世の現代では『応援馬券』とか『ワイド』とか『3連単』とか種類は増えるが、昭和の今の時期ではまだ、馬券の種類も少なかった。
……で、だ。
祖父より手渡された(競馬場に来た時、ササッと祖父が買った)新聞を見やり……千賀子は、首を傾げた。
どうしてかって、文字ばかりで馬の事が全然分からなかったからだ。
○○の馬の成績だとか、調教の具合だとか、前回レースがどうだとか、色々と書いてはある。
だが、ぶっちゃけてしまえば馬の名前なんて知らない千賀子にとって、呪文が連なっているようにしか見えなかった。
これがまあ、現代ならば騎手の顔写真や、色分けして分かりやすいようになってはいるが……そうして、だ。
「どれを買うんだ? せっかくだ、単勝と複勝を予想して、一つずつ選んでみな」
「え、そんなお金あるの?」
「ははは、金を注ぎ込まなけりゃあ、一枚の馬券なんて子供の小遣いみてぇなもんさ」
言われて、そういうものかと納得した千賀子は、大して質の良くないザラザラっとした紙面へ、視線を滑らせた。
こういうのは、じっくりと腰を据えて予想するべき……なのだろう。
賭け事なんて、前世でもせいぜい付き合いでパチンコに行ったぐらいで……どうしたものかと、千賀子はう~んと考え込む。
「おう、次だぞ、千賀子。もう決めたか?」
「お爺ちゃん……おススメって、どれ?」
「そんな深く考える必要なんざねぇよ。パパッと目に留まったやつでいいぞ」
「う~ん、そういうものなの……?」
しかし、どれが良いのか分からぬまま……あっという間に、受付がすぐ目の前へと迫って来ていた。
……まあ、たしかに、知識なんぞ皆無な己が頭を悩ませたところで意味など無いし……まあ、いいか。
そう、己をひとまず納得させれば、前の人が横に動いて、ガラス越しに受付の女性と対面した千賀子は……隣の祖父へと告げた。
「コレが単勝。それと、コレと、コレ、合わせて複勝で」
「おう、それじゃあ──」
祖父の注文を聞いて、受付の人が手慣れた様子でパチパチと機械を操作した後で……スッと、小さな紙切れをガラスの隙間から差し出された。
それは、馬券である。
裏側が磁気面になっている現代のモノとは違い、この頃の馬券はパンチで刻印が成されている。
「ほら、間違っても落とすんじゃないぞ」
祖父より馬券を受け取った千賀子は頷きながら、祖父に連れて行かれるまま客席へ。
まあ、客席とは言っても、現代のソレよりも安っぽいというか、簡素な作りではあるけれども。
簡素といえば、馬が走るであろうコース上もまあ……ちぐはぐだ。
芝が生えているところもあれば、地面が剥き出しになっているところもある。よくよく見やれば踏み跡だらけで……目で、ここがコースなのだということを教えてくれた。
そして、既に客席の方には先客がそれなりに居る。
今か今かと苛立ちを隠しきれずに待っている者、緊張を解したいのかその場で足踏みをしている者……なんとも落ち着きのない。
「……しかし、ずいぶんと大穴を狙ったな」
「え?」
とりあえず、はようレース始まれ……と思いながら待っていると、祖父は苦笑しながら……ちょいちょいと千賀子が持っている馬券を指差した。
「単勝の方もよろしくない成績の馬だが、複勝で選んだ二頭は、どちらも下から数えた方が早いような馬だぞ」
「えぇ……そんなの知るわけないじゃん」
「ははは、知った程度で当たりゃあ誰も苦労ねぇよ。このレースだけでも17頭出ているんだぞ」
「もう! 意地悪だよ、お爺ちゃんは!」
まあ、賭け事なんて負けるのが当たり前な勝負だし……そんな思いと共に溜息を吐いた千賀子は、そのままレースが始まるのを待った。
……。
……。
…………そうして、時間にして数十分後。
(へえ……この頃の競馬って、一頭一頭が柵みたいなところから出るんじゃなくて、前を塞ぐロープが頭上に上がればスタートなのか……)
初めて見る競馬は、中々に刺激的であった。
それは、賭け事の刺激じゃない。というか、当たれば儲けもの程度の感覚なので、外れても仕方がないなと思っている。
そんなことよりも、だ。
離れているとはいえ、体重400kg越えの動物が全力で駆ける姿は、おおっと手を叩きたくなるぐらいに感動的でもあった。
なんとなくだが、競馬を愛する者の気持ちが少し分かったような気がした。
(……あ、レースの結果……えっと、これ、当たっているの?)
まあ、それはそれとして。
本来の目的をすっかり忘れていた千賀子は、隣の祖父へと尋ねようと振り返り……はて、と首を傾げた。
何故なら……まん丸に見開かれた目で見られていたからだ。
それはまるで、人知を超えた……そう、言葉には出来ないが、神掛かった偉業を前にしたかのような……そんな、強い眼差しであった。
「……お爺ちゃん?」
声を掛ければ、それでようやく我に返ったのか……ハッと、目を瞬かせた祖父は……改めて千賀子を見て、深々とため息を零した。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもねえ」
「そう? ねえ、当たっていたかな?」
「ああ、当たったぞ」
もう一度尋ねれば、祖父は苦笑と共に頷いた。それを見て、思わず千賀子はグッとガッツポーズをした
「やった、単勝が当たったんだね」
「違ぇぞ、複勝も当たっている」
「──え?」
「単勝も、複勝も、両方大当たりだ、やったな。ともに万馬券だぞ」
けれども、そんな千賀子の喜びにも困惑が混じった……が、(これがビギナーラックというやつかな?)すぐに受け入れた千賀子は。
「ん~……どうしたらいいの?」
「好きにしたらええ、千賀子が当てた金だ。このまま換金してお終いにしてもええと思うし、いくらかを次のレースに宛がってもええ」
「次のレースが始まる前に、道子たちが戻って来ると思うけど」
「結果は後で見れるさ。馬券だけ買っといて、後で確認すればええ」
「あ、そっか……」
言われて、しばし考えた千賀子は……一つ頷いて、祖父へと馬券を差し出した。
「じゃあ、今当てた分を全部次に……単勝がコレで、複勝は……コレとコレで」
「……全部、賭けるのか?」
「もちろん、全部だよ」
「……少しは残そうとか、思わねえのか?」
思わず……といった様子で呟いた祖父に、千賀子は笑って答えた。
「降って湧いたようなお金なんだから、無くなる時だって突然でしょ」
「まあ、そりゃあ、そうだけどよ……」
「無くなったって、子供の小遣いが無くなっただけなんだしさ」
その言葉の直後……しばしの間、ぽかんと呆けていた祖父は「……なるほど、こりゃあ一本取られた」ははは、と心底楽しげに笑ったのであった。
……ちなみに、だ。
この後、次のレースの馬券を買い終えた辺りで道子たちと合流を果たした千賀子は、予告していたとおり昼食を御馳走になった。
その時、案内された店は丼物も提供する蕎麦屋で、どちらも滅茶苦茶美味かった。
タレもそうだが、丼の味も蕎麦の味も絶品で。値段をあえて見ないようにしていたから、さらに美味く感じた。
普段の食事中はけっこう仏頂面の祖父ですら、堪らずといった調子で顔を綻ばせていたあたり、美味しいと思っているのが己だけでないことに、千賀子は余計に嬉しくなるのであった。
……。
……。
…………そうして、時間は流れて。
あれから、さらに当たっていた馬券の配当金を合わせて、新たに東京優駿の馬券を買った千賀子は。
──ついに、東京優駿の勝者を決めるレースを前にするのであった。
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