第2話
他人にはクロノスの姿が見えない、というのは本当だった。
街を歩いても家にいても学校の中ですら悠の周りをついて回る少女に目を向ける者はいない。悠としては年端もいかない少女についてまわられるのは落ち着かないのだが、クロノスは全くのお構いなしだった。
悠の生活に不可思議な存在が増えて数日。
少々の変化があったとはいえ、悠の日常は平常通り時を刻んでいく。
相変わらず家に居場所はないし、今目の前にはクラスのピラミッドの頂点に君臨する男子生徒たちが並んで立っている。
ああまた虐められる。次は何をさせられるのか。殴られたり蹴られるのか。或いは小間使いのように従わせられるのか。どちらにしても地獄だが、悠はもうこの日常に慣れてしまっていた。それは周りも同じで、偶々現場に出会しそうになった生徒はこちらを見るとぎょっとして、次の瞬間には何もみなかったというように踵を返していく。巻き込まれたくないのだろう。人間なんてそんなものだ。自分の身の安全が何より大切。小説の中のお話みたいに自分の身体を張って守ってくれようとする友人なんて現実には出来っこない。でも世界はそうできているんだから、仕方ない。そう、仕方ないんだ。
自分のような底辺の人間はただ耐えて日々を消費するしか方法がないのだから。せめて今日は早めに終わればいいななんて思いながら、悠はリーダー格の生徒を見上げた。
「相変わらずムカつく目付きだな。自分の立場分かってんのか?」
「分かってるよ、俺が一番」
無意識に出た小さな呟きは皆の耳に入ってしまったらしい。全員が目を釣り上げるのが分かる。まずいと気付いた時には頬を張られていた。
ぐわんと視界が揺らいで思わず地面に倒れ込む。
しかし生徒たちの暴力はそれで終わらなかった。悠は出来るだけ身体を丸めて内臓を守りながら時が過ぎるのを待つ。やがて痛みも感じなくなってきた頃、漸く視界が欠け始め、悠は意識を手放すことができた。
◆
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるならイカれてるよ」
気がつくと目の前にはクロノスがいた。
そういえば虐められている時も後ろでみていたなと思い出す。なんだ、ドクターなんて言っても結局何もしてくれないんじゃないか。
他人に視認されない特別な存在なら、スーパーヒーローみたいに助けてくれてもいいのに。やはり世の中は理不尽だ。
悠はとにかく床の冷たい感触から逃れようと上半身を起こした。途端に身体中に痛みが走る。
「・・・っ!」
「・・・そのまま、動かないで」
クロノスはしゃがみ込むと急いで胸元のポケットから懐中時計を取り出した。
「時計・・・?」
「私の能力です」
クロノスが懐中時計の側面のボタンを押すとぱかりと蓋が開く。中には七色に光る時計がはまっており、クロノスが何やら呟くとぐるぐると長針と短針が回り始めた。
その時である。徐々に身体の痛みが引いていくのが分かった。
みれば怪我がみるみる治癒していくではないか。
「私の力は時の流れを操ること。あなたの身体の細胞の時を早めて治療しました」
「・・・そんなことしても明日にはまた元通りだよ」
「またあの方々に殴られるのですか?」
懐中時計をしまったクロノスは無表情のまま尋ねる。
「そうだよ。どうせなら君の能力であいつらをやっつけてくれたらありがたいんだけれど」
「それは無理ですね。私は人間に危害を加えることは出来ません」
それが悪人だとしても、とクロノスは付け加えた。
「役立たずだね」
「すみません」
「いいよ、俺は何にも期待してない」
悠は立ち上がるとクロノスを置いて下駄箱へと向かっていく。時刻はまだ夕方だ。また公園で時間を潰す事になるだろう。
「ついていきます」
「ご勝手に」
二人の会話は誰にも聞かれる事なく、赤く染まる廊下に木霊して消えた。
◆
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