第21話チンピラ、幼少期を振り返る。
前世でこの俺の暴力性に気付いたのは、小学校四年生のことだ。
男子小学生の四年生、そりゃあ遊び盛りの喧嘩盛り。とはいえ、拳が出るような喧嘩であっても、痣や掠り傷が出る程度で――大抵は教師か親が止めに入るよう、俺は決まってそういった責任感のある大人の前でしか喧嘩をしなかった。
当時、なぜ俺はそんな馬鹿な真似をしていたのか、自分自身でも分からなかった。喧嘩なんて、普通大人の前じゃあしない。喧嘩両成敗なんて言葉もある、『喧嘩をした』という事実が悪であり、野蛮であることなんて子供の脳みそでも分かる。しかし、この世界に転生して――自分の本能に、我ながら驚いてしまった。
誰かが止めなければやりすぎる。そして、俺は前世で一度だけやりすぎてしまった。
それは、きっと誘拐事件と呼ばれる犯罪の場面だったのだろう。白いワンボックスカーに小太りの男が小学生女子を無理やり連れ込もうとしている場面であった。
――女子なんか誘拐してもうるせえだけだろ。
教室の邪魔になる位置でたむろして、アイドルの〇〇くんがすごい格好良かっただの、YouTuberの〇〇の配信見た? だの。近くで話し合っているのに、席の遠くで本を読んでいる俺にも聞こえる声量で話すもんだから、同じ生き物に思えなかったほどだ。
そんな普段デカい声が「助けて!」なんて叫べば、まあ耳を塞いでいても聞こえてくる。
助ける? 誰が? ――まさか、俺が?
うだるような夏の暑さに汗を流し、プールの塩素の残り香を身体にまとった、どこにでもいる小学四年生の目の前で起こる、ささやかな非日常。
――悪い大人からは逃げましょう。
あの小太りの男は、悪い大人ってやつで。今にもワンボックスカーに連れ込まれそうになっている女子は、悪い大人から逃げられなかった可哀そうなヤツだ。
悪い大人の犯罪から守るために、良い大人たちは口を揃えて「逃げろ」と言う。さして親しいわけでもない女子を一人見捨てさえすれば、いつも通りの日常がそこにある。
――逃げよう。
1+1より簡単な問題だ。悪くて怖い大人から逃げるなんて、小学四年生なら当然の判断だ。そして、どこでもいいから電話を探して警察に通報すれば立派な小学生にランクアップするだろう。
だが、困ったことに。俺ってヤツは、「逃げる」という判断を下すプロセスが他人とは違っていたらしい。
その小太りの男に恐怖を抱くことはなかった。ただ、「ここでなにか面倒事を起こしたら、その後始末に俺も巻き込まれるだろうな」という冷静な判断に基づくものだ。もっといえば、事件現場に遭遇してしまった自分に辟易さえしていた。警察に通報して、事情聴取、あとはゴシップ好きの同級生に根掘り葉掘り聞かれて――ああ、想像するだけで億劫だった。
しかし、現実ってヤツはどこまでも残酷で――どこまでも俺を楽しませてくれた。
小太りの男の右手に、きらりと夏の光を反射した包丁が目に入ってしまったのだ。犯行の直前に近くのホームセンターで購入したものだろうか、おそらく新品。
今時こんな短絡的な犯行があんのか。いいや、短絡的ってことは、つまり誰にでもできる犯罪なわけで。だからこそ、目の前の男は――性欲に突き動かされたのか身代金目的なのかは知らないが――不純な動機で、台所の料理道具を購入したに違いない。
小太りの犯罪者と目が合う。短絡的な、そして慣れない犯罪に手を染めた人間は、その一部始終を眺めていた人間をどのように思う? 怖がらないでくれよ、俺はただの小学生だぜ? そうそう、挨拶なんてどうだ。俺からやってみようか? そうだな、「こんにちは、元気な娘さんですね?」とかどうだ。
「――――!!」
言葉にならないような怒声を上げて、男は女子を手放し――包丁を片手に、こちらへと向かってくる。見てんじゃねえ、とか、殺してやる、とか。きっと、そんな感じの知性を必要としない台詞だったと思う。
いや、困ったね。本当に困った。
なんたって――ここには、悪い大人と良い子しかいないのだから。
普段、道徳の授業を俺ほど真面目に受けている小学生もいないだろう。クラスメイトは居眠りか、学校の宿題を内職していたり、ノートの端に悪戯描きをしていたり。そりゃそうだろう、道徳の授業はいまさら教えられるまでもなく、人としての当たり前の常識をわざわざ授業でやっているのだから。不真面目な授業態度だって、彼らなりに有効に時間を使っていたに違いない。
だが、俺の場合は1+1よりも難しい問題がたくさんあった。
たとえば、そう。
悪いヤツを殺すのは、悪いことなのか?
その答え合わせが、したくなってしまったのだ。
暴力と、暴力と、あとは――そう。暴力。普段の俺の身体は、俺自身でも驚くくらいよく動いた。まるで、退屈な毎日の中で掛けられた枷を外したような。ひどく清々しい気分であった。
小太りの男の身体は本当にいい教材だった。人間には急所と呼ばれる場所があって、そこを攻撃されると大人でものたうち回るくらいには痛いらしい。耳は思ったより簡単に千切れるし、目も鼻も簡単に潰れる。あとはそうだな、指の骨を折るのは簡単だけど、太い骨は捩じった方がいいとか。
遠くから聞こえるサイレンの音を聞きながら――あの日、俺は初めて自分の異常性を楽しんでいたのだ。
◇
「ねえ、マジでその笑顔やめて。本当になに考えてんのか分かんなくて怖いんだけど」
「こんな美少女と手を繋いでいるのに贅沢なことを言いますね、モニカお姉ちゃんは」
「…………手、離していいの?」
「いいわけねぇだろ、ぶっ殺すぞ」
あれから水遊びを経てモニカと親睦を深めた俺は、彼女に学園までエスコートさせている。
モニカ・ハウゼルという女を生かす理由は色々あった。別に殺してもいいのだが、原作の知識とやらを「一度邪魔されかけたから」という理由で失うのは愚の骨頂だろう。もちろん、彼女の話を鵜呑みにするつもりはないが。それでもこの学園内で情報量がゼロよりはマシだ。別に嘘を吐くなら吐くで構わない、信用のない情報源がどのように扱われるか、嫌というほど身体に分からせてやったつもりだし――その上で俺を騙すなら、覚悟あってのことだろう。
なにより、彼女は一応人間である。人間を殺すってのは、この世界でも歴とした犯罪だ。魔族を利用して自分の手を汚さずに始末することもできなくはないが――よほど俺の邪魔をしない限りは、当面の間は一つの情報源として大切にしなくっちゃな。
「学園、楽しみですね!」
「どこが!? ただでさえ魔族もいるってのに、こんな……こんな化け物と一緒に生活なんて……! 終わった、この世界終わったァー!」
なにやら原作の知識とやらで面白い結末を予想したモニカは、情けない声で悲鳴をあげている。
俺が言うのもなんだが。……勇者パーティーのメンバーに入れるには色物過ぎねえか? コイツ。
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