銀翼の遺産を求めて
@rose-k946
1.自由を渇望する少年
「この綺麗な大空を、自由に飛べたらなぁ……」
緑したたる大地に座り、そう呟いたのは『
爽やかな風が吹き渡り、柔らかな緑の草がそれに合わせて音もなく揺れている。
――そんな美しい風景の中で彼は、自由を求めていた。
「毎日毎日仕事ばっか、もううんざりだ! やめよう!」
まだ少し幼さが残りつつも、引き締まった目鼻立ちをした蒼空はその顔を決意に満たした。
辞職の意を伝えに行こうと、芝生の上を滑らかに動く。
彼は自分で動いているわけではない。大地に広がる植物にその身体を支えられ、運ばれていた。
これは、『人器』と呼ばれる遥か昔の聖遺物の力。
人器とは、とある「道」においてそれを極めた者の死亡と同時に、その者の力を宿して生まれる遺産である。
それは世界各地に存在していて、所有者は人器に宿る力を意のままに使うことが出来るのだ。
「やっぱこの人器便利だなぁ……『植物を操作する力』」
蒼空は、ネックレスにぶら下がる石をいじくる。
太陽の光をキラキラと反射させる深緑の宝石は、とても美しかった。
彼が大事そうに眺めているそのアクセサリー型の人器は、祖父の形見である。
――風。目に見えないからどう動いてるかは肌で感じるしかないけど、きっと世界中を自由に旅してるんだろうな。
蒼空は草の匂いを感じながらそう思った。
「仕事辞めたら『冒険者』にでもなるかな〜。もっと色んな人器欲しいし。人器コレクターとして名を馳せていくのもありかも」
冒険者とは、『ダンジョン』と呼ばれる地下迷宮を探索して高価な宝物を手に入れ、それを売ったお金で生計を立てる者たちである。
ダンジョンからは、稀に聖遺物が発掘されることがあって、その中には勿論、人器も含まれていた。
「ま、とにかく今すぐ仕事場行かないと! 今後のことは仕事やめた後考えよう」
やがて楽に移動できる草原が終わり、小さな町への道が始まる。
自分の足で歩くしかない、と蒼空は渋々立ち上がった。
彼の足にはしっかりと締まった筋肉が見えるが、全体的に細っそりとしており、食べ盛りにも関わらず満足に食事を摂れていないことが分かる。
小さな町の名は、『ラディクスタウン』。彼はそこで古びた宿に泊まりながら毎日働き、細々とした生活を送っていたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「よし! 辞めてやったぞーー!!」
仕事を辞め、再び草原に戻ってきた蒼空は両腕を高く掲げ、そう叫ぶ。その少し高い声は天まで届く勢いであった。
いつの間にか沈みかけている太陽は地平線に引っかかっている。少しでも目を離せばその瞬間に落ちてしまいそうだった。
斜陽が赤い光を緑の草に投じ、それらは燃えるように輝いている。
「いててて……喋るとヒリヒリする」
蒼空の右の頬は赤く染まり、少し腫れ上がっていた。
仕事を辞めることを伝えた時に、「てめえを雇ってやってた恩を忘れたか!」と雇用主から拳骨を食らったのだ。
「ラディクスにはもう居れないなぁ……次はどこを拠点にしようか」
この世界で金も学も無い少年が生きていくのは難しい。
しかし蒼空は、自分の未来を悲観することはなかった。
ようやく手に入れた自由を、これからどのように謳歌していくか。ただそれだけしか考えていなかったのだ。
冒険者として生きていくなら、ダンジョンに潜り高価な宝を探し出さなければならない。
それ以外の収入源はほとんど無いのである。
彼は近くにダンジョンのある街を探すため、折り目だらけでしわくちゃになっている、黄ばんだ地図を開いた。
そして彼が歩いて行ける距離に、自分の求める条件に合っているダンジョン都市『アドベント』を見つける。
「うーん、……いやぁー、ここならダンジョンも近いけど。高いんだよな〜、宿代。金持ちばっかのとこなんだもん」
蒼空は、そのキリッとした眉の間に皺を寄せ、困ったように唸る。
地図と睨み合っているうちに、すっかり辺りの薄闇は夜へと変わってしまっていた。
今日は野宿になるな……。そう、彼は確信した。
「はぁ、初日から野宿かぁー。まあしょうがないし、さっさと寝床を作ろう」
蒼空は下をじっと見つめ、何かを探すような仕草をしている。
何かを見つけたのか、突然止まりしゃがみこんだ。
そして彼は、周りと違って逞しく育っている太い植物に手で触れる。
「大樹へ成長してツリーハウスになれ」
植物に触れたまま蒼空がそう言うと、ネックレスの宝石がほのかに光った。
そして、その植物は周囲に大きく根を張っていき、雑草を踏み躙りながら急成長をし始める。
一晩のうちに雲を突き抜けてしまいそうなほどの勢いであったが、地上から四、五メートルの高さでその成長は止まり、木の上には少し狭い小屋が出来ていた。
仮に一般人がこの瞬間を見ていたら、彼を神の使いだと勘違いするだろう。
何でもないただの植物を一瞬のうちに大樹へと変え、成長させるだけではなく小屋や梯子まで作ってみせたのだから。
それほどまでに、人器の力は常識を覆すものなのだ。
「あの安くてボロい宿でも敷き布団くらいはあったのにな……」
身を完全に任せるのは少し心許無い梯子を上がり、狭い小屋に入った蒼空は、自分の寝床を案じて嘆いた。
彼の言う敷き布団も、実際は綿の抜けきったただの布のようなものであったが、それだけでも彼には大事な寝具だったのだ。
彼は、古びた地図を適当にポケットへ突っこんだまま寝転んでいる。当然さらにボロボロになるのだが、だからと言ってリュックの一つもない彼にはどうする事も出来なかった。
「あー、結局次の拠点どーしよっかな…………いや! 明日のことは明日考えよう! それこそが自由の醍醐味!」
自分を縛り、焦らせるものは何もない! という思いが蒼空の意識の全てを占めていた。
日常を支配していた仕事を辞めたことで今、彼の自由への渇望が満たされている。
だから、するべき事を先延ばしにし怠惰になるのも、仕方の無いことであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
木で出来た小屋の壁にある隙間から差し込んでいる、柔らかくて暖かい太陽光を感じ、蒼空は目を覚ます。
鳥のさえずりを穏やかに聞ける朝を迎えた彼は、自分がもう仕事に支配されていない事を思い出した。
同時に、大空を自由に旅する鳥を見ることで、一度は満たされた彼の自由への渇望が、再び生まれることになる。
「そういえば。なんだっけ、禁欲のー……いや、
それは蒼空を雇っていた人間が、手に入ればこの世界で一番自由になれる人器だと、日々言っていた伝説の聖遺物である。
「この空を自由に飛び回る力か……欲しいな」
あの鳥のように自由に生きたい。それは、今後の旅の目標、或いは人生の目標ともなり得るほどの強い想いであった。
蒼空は、『銀翼の遺産』を求めて冒険する事を心に決める。
「したいことが決まったんだ。だったら、しのごの言ってる場合じゃないな!」
そう言って地図を開き、まずは一度諦めようとしたダンジョン都市『アドベント』に向かう事にした。
きっと、目標達成まで果てしない旅になるであろうが、彼の顔には迷いのカケラも見えない。
心にあるのは、好奇心と探究心。幼い頃から親がいない彼は、自分を抑えて必死に生きてきた。
だが、本来はこのように年相応に未来を妄想して楽しむ姿こそが、ありのままの彼なのだ。
何の荷物もない上に無一文であるため、出掛ける準備はすぐに終わった。
蒼空は梯子を使って地上に降り、一晩世話になった大樹に手で触れる。
「ありがとう、助かった。元に戻って普通に育ってな」
その言葉に反応し、昨日の夜と同様にネックレスの宝石がほのかに光を放つ。そして、ツリーハウスは消えた。
「さてと……よっこいしょっ」
蒼空は草原の上に座る。硬い床で寝たせいか、動く度に腰が傷んだ彼は、その歳にあるまじき声を発していた。
そして、草に運ばれて移動する。この草原でよく一人空を見ていた彼は、その移動方法に関してはすでに無意識で行える領域になっていた。
「風が気持ちいいな、この風はどこから来たんだろう……。アドベントから来たのかな」
少し強い風が蒼空の耳を撫で、太陽に照らされた草花の香りを花に届ける。
彼は冒険の第一歩となるダンジョン都市からの向かい風を受け、この先が波乱に富んだ旅である事を暗示されているような気がした。
「お……見えてきた。ダンジョン都市『アドベント』。そろそろ草原も終わりかぁ」
まだまだだいぶ距離はあるが、その都市の象徴であるダンジョンは地下迷宮であるにも関わらず、地上に巨大なピラミッドが見えた。
ピラミッド上部には神殿があり、さらにその上には飾り屋根がついている。
また、石造りのピラミッドに、羽の生えた蛇の石像がとても小さくギリギリ見えた。
「こんな遠くからでもあんなにでっかい……! 近くで見たら迫力凄そうだな。……あ、草ゾーン終わった」
痛む腰をなるべく反らさないよう、猫背でゆっくり立ち上がる。座っていた時と違い、風の圧力を全身で感じた。
歩いていくと、ピラミッドだけでなく都市の建物などが見えてくる。
ラディクスタウンとは全く違う、頑丈そうな石造りの高い建物。そこに入っていく人々もまた、蒼空が人生で見てきた衣服とは素材からレベルの違う物を身にまとっていた。
「これ俺が泊まれる宿あんのかな、もしかして今日も野宿!? やだやだやだ、腰痛くなんだよな」
ぶつぶつと文句を言いながら歩き続ける。
だが、そもそも一文無しの蒼空が泊まれる宿はラディクスタウンだろうと存在しない。
つまり、ダンジョンへ入り何かしら価値のある物を手に入れられなければ、彼は今日もまた野宿をすることになるのだ。
それに気付いた彼はほとほと困り果てた様子で頭を抱え、こめかみには冷や汗がうっすら滲んでいた。
「やばい……急がないと。早くダンジョン行かないと!」
向かい風を押しのけて前に駆け出す。整備された道の地面は、足で強く蹴るたびにちゃんと蒼空を押し返していた。
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