第23話 チャレンジカップ④ 夢世界の現実
その夜、代表選手たちは全体ミーティングや食事を終えたあと、各自部屋に戻りそれぞれの時間を過ごしていた。
錠は特にすることもなく、畳に敷かれた布団に寝転びイヤホンで音楽を聴いていた。窓際のチェアでは中羽もヘッドホンをつけていたが、彼の場合は語学の本を手にしている。
そこへ、いきなり岡屋が現れた。岡屋の辞書にノックなどない。
「お、錠もいるじゃん」
おまけのように言われた錠だが、突然の来訪者に面食らってかすれた声を出した。
「も、ってなんだよ。いて悪いかよ」
「それより錠、お前さ」
入って手前にいた錠に目をとめた岡屋の思考回路は、さもプログラムどおりであったかのように、錠との会話を処理しはじめた。
「お前、テツさんにひどいこと言ったんだって?」
錠はなんのことか、すぐにはわからなかった。
「裏切り者とか、なんとかさ。メシのときによ」
「はん、あれか。あれはおっさんがサポーターの肩持つからだよ」
「俺、とっとと食って出たからそのへんは知らねーけど」
「っていうか、なんでお前にそんなこと言われなきゃなんないんだ。どいつもこいつもよっ」
錠は一気に機嫌を損ねた。
「巷の素人は知らねーんだな、テツさんの事情」
「はあ? 事情? なんだってんだよ。言ってみろよ」
一方的に降りかかる火の粉に苛立ちながらも、錠は聞き返さざるを得なかった。
「テツさんだって好きで出てったわけじゃねー。俺たちにはよくあることだ。俺たちにはな」
「俺たちだあ? 偉そうに。Jリーガーが、なんぼのもんだよ」
「テツさんはボンバに引退勧められたんだよ。ボンバ、今金ないから」
岡屋の言うとおり、一文字は一昨年のオフに、資金難の所属クラブから引退を勧告された。ベテランとはいえいまだに代表に入る実力者だが、一シーズン通して活躍するのは無理な体だ。シェフ市川でも一年目は復調したものの、現在はほとんど出番がない。代表でも皆のリーダーとしての役割のほうが大きいのが現状だ。
「まあ、テツさんだから指導者の待遇は用意されてたみたいだけどな」
「だったら……。だったら敵になるより引退してもらったほうがいいっての」
錠はすねるように口を尖らせた。
「やっぱ、あれだな。お前らは選手のことなんて何も考えてないんだな」
「あん?」
「俺たち選手にも夢やら現実やら、いろいろあるっての。菓子のおまけじゃねーんだよ」
岡屋はいつもどおりひょうひょうとした顔つきながらも、引かずに言い返した。
「サポーター裏切って何言ってやがるってんだよ。お前らだってサポーターのことなんて考えてねえだろ」
錠も引き下がらない。そこへだ。
「よう、静かにしてくれよ」
中羽がヘッドホンを外しながら二人をけん制した。
「おう、ヒロ。言ってやってくれよ、この素人によ」
中羽は本のしおりを挟み直しながら、錠に顔を向けた。
「俺たちは期待されたパフォーマンスを見せるのが仕事だ。そして、いろいろな意味で自分の実力とクラブのバランスが取れなくなったら、チームを替えるほかない」
「どうせお前は自分の欲のためにクラブやサポーターを捨てて、もっと金くれるところに行くんだろう」
中羽は閉じた本に目を移し、言葉を返した。
「お前らだって、もっといい会社から声かけられたら行くだろう」
「あ、こいつまだ働いたことないからわかんねーんだよ」
中羽は、岡屋のほうは見ずに話を続けた。
「俺たちにとってサッカーは職業なんだよ。お前らが小さいころから塾行って、進学校入って、いい大学出て、それからいい会社に入るように。俺は小さいころから少年クラブでサッカーして、名門校に入って、そうして今働いてる」
「ヒロの言うとおりだ。俺たちプロは定年までとかないから、お前らよりもっと厳しいけどな」
「けっ、塾になんて行ってないし、いい学校でもねえよ」
錠はどこかで東大を意識しながら開き直った。そこへ中羽が冷めた口調で一発打ち込む。
「どうせ勉強するなら、一流大に行って一流企業に入らないとな」
きつい一撃をくらい、錠はとっさに顔を歪めて立ち上がった。
「このやろう、その三流のやつに頼らなきゃならねえくせに」
そう言い放つと、逃げるようにして部屋を出た。
中羽は顔色ひとつ変えずに再びヘッドホンをつけた。岡屋は立ち呆け、そして部屋を見回した。
「そういや、俺は何しに来たんだっけ?」
その声は中羽の耳にはもう届かなかった。
錠はそのままホテルを抜け出した。怒りに任せて飛び出したため、キャップもサングラスもない。人気の少ない夜の裏通りを歩きながら、どこかに素で入れるところはないか思案していると、近くで争うような声が聞こえてきた。
少し先の小さな駐車場をのぞくと、奥のほうで二人の男が激しくもつれあっていた。錠は特に隠れるでもなく、入り口付近から見物を始めた。一人は錠と同じくらいの体格だが、もう一人はかなり大きな男だった。勝負はやはり大きいほうが圧倒的に押していた。
やがて弾き飛ばされた小柄なほうは起き上がることもできず、体を力なく転げさせて仰向けになり、大の字になって荒い息をもらした。
あーあ、勝負あったな。
錠がのん気につぶやいたそのとき、小柄な男が勢いよく立ち上がり、大男に殴りかかった。
「うわ」
その手には何か棒のようなものが握られていた。腹部を直撃され、うずくまる大男。形勢逆転。
錠もさすがに衝撃を受けた。このまま一気に攻め立てるのかと思ったが、小柄なほうにも余力はないようだ。武器を投げ捨て、一言残してその場を離れていく。
「どうだ、見たか」
ふらふらの状態でこちらへ向かってくる小男から、逃げるようにして錠は歩きはじめた。
しばらく裏通りをさまよい、やがて宿舎に戻ってきた錠を待っていたのは、いかつい顔だった。
「おい、てめえ何してやがった」
部屋の前で腕組みをしながら、一文字は錠を威圧した。錠は目を合わせずに反抗する。
「ちょっと散歩してきただけだよ」
「誰が出ていいと言った。外出禁止のはずだぞ」
「うるせえな、くだらねえこと言うなよ。俺は自由なんだよ。だいたいモラルなんかで俺を――」
そこまで聞いて、一文字は錠のえり首をつかみ持ち上げた。
「う、く、苦しい……」
あまりにもの怪力に錠はどうすることもできない。
やがて一文字は錠を放るようにして離した。そして咳き込む錠を見下ろして言った。
「モラルは人を縛るためにあるんじゃない。人の自由や権利や、幸せを守るためにあるんだ。無能の言い訳に自分は自由だのモラルを壊すだの格好つけやがって。そんなこと言えるのも周囲がモラルを守ってるからだ。モラルがなけりゃ、一番先にてめえがやられてるんだ」
錠は首を押さえながら聞いていたが、立ち去ろうとする一文字に精一杯の言葉を浴びせた。
「無能だと。俺のどこがだ。てめえら一点も取れねえくせに」
一文字は一瞬歩を止めたが、振り返らずに消えていった。
初戦から数日後、第二戦はまたも超満員となった。
この試合もスタメンは第一戦と同じ布陣だった。司令塔は枡田、右のフォワードには友近が入った。錠に岡屋、中羽も控えだ。いつものようにベンチの隅に連なり、声がかかるのを待つ。
「俺たちも出たいよなあ、錠」
あれだけ言い合っておきながら、岡屋は変わらずなれなれしい。逆に中羽との会話は全くなかった。
この試合も左サイドから攻め立てる日本。だが、前線で枡田にボールが渡るたびに彼はドリブルで突破をはかり、その都度相手に囲まれ奪われる。
やがて枡田は守備に戻らず、前線に残って次のチャンスを待つようになった。
ここで加瀬が立った。まだ前半の二十分過ぎにも関わらず、中羽に声がかかる。そして三十分、枡田に代わって早くも中羽の投入となった。交代を告げられたその瞬間、枡田はピッチの上で苦渋に満ちた表情をさらした。
中羽の入った直後だった。中羽からのスルーパスに友近が素早く反応。余裕を持って受けた友近は、一人かわしてシュート。次の瞬間、友近の代表初ゴールが生まれた。
錠にとって中羽の活躍はうとましいが、ベンチのほうを見て手を掲げる友近に、軽くガッツポーズをとって応えた。
「らしくねーな、錠」
岡屋が真顔でツッコミをいれる。
「なんだよ、悪いかよ」
「まあ、ヒロとはシェフで組んでるからな、トモは」
「ひがんでんのかよ。岡屋らしいわ」
「みんなライバルなんだよ。トモは特にな。予選に入ったらお前にもおいしいとこは絶対渡さねーからな」
その後、またもシェフのコンビで追加点。中羽は南澤にもアシストし、自らゴールも奪ってみせた。終わってみれば一ゴール三アシストで勝利に多大な貢献をもたらした。
しかしチャレンジカップの結果は、一勝一分ながら得失点の差で日本は二位に終わった。
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