第12話 未来への布石

 早朝、フリーデはいてもたってもいられず、訓練場へ向かう。


『立派にテストに合格しますね!』


 ユーリはそう言って、意気揚々と訓練場へ出かけていった。

 早朝の城内にはミルクのように濃厚な朝霧がたちこめている。

 こっそり訓練場に顔をだすと、ユーリが訓練場を走っていた。

 その様子を、スピノザをはじめ何人かの兵士たちが見守る。

 走ったあとは腕立て伏せや腹筋、懸垂などなど。


「何してるの? 訓練をするんじゃないの?」


 物陰に隠れて観察したフリーデが思わず一人ごちると、


「……基礎体力をつけるところから始めるんだろう」


 背後でそれに答える声。


「そうなの……って、ギュスターブ様……っ!?」


 いつの間にかギュスターブがが背後に立っていた。


「あ、あの、これは違うんです! 盗み身とかではなくて……!」

「心配だったんだろ。別に慌てなくてもいい」

「うう……。で、でもたしかに基礎体力をつけるのは大切ですよね。それじゃあ、テストというのはああして基礎的なことに耐えられるかを試す、ということなんですか?」

「ユーリが本当は何が目的なのか、見定めるつもりなんだろう。本当に強くなりたいのか、それともただ単に騎士というものに憧れを抱いて、武器を振り回したいだけなのか。面白みのない基礎を積めば本心が分かる。前者なら続けるだろうし、後者ならあっという間に飽きる」

「……そうなんですね」


 ギュスターブの言う通りだった。

 それから一週間、スピノザは同じような基礎訓練を受けさせ続けた。

 それとなくユーリに訓練の内容を聞くと、走ったり、腕立て、腹筋と、一度も武器に触ってはいないと言われた。それでもユーリは文句も不満も口にしない。


 ただ筋肉痛は辛いみたいだったから、お風呂に入りながらマッサージをフリーデがしてあげた。そうすると翌日に疲れが残りにくいようで、ユーリもよろこんでくれた。


 そして一週間目。


「ギュスターブ様! フリーデ様!」


 朝食の席上、ユーリがはしゃいで食堂に飛び込んできた。


「さっきスピノザ様から明日から剣の使い方を教えてくださると言って頂けました! テストは合格だそうです!」

「おめでとう」


 ユーリの頭を撫でると、「えへへ」とユーリはくすぐったそうに微笑む

 ギュスターブも目元を優しく緩める。


「よく頑張ったな。でもこれからが大事だ。訓練を頑張るのも大切だが、休息もしっかりとれよ。無理をして怪我をしたら俺も、フリーデも悲しい」

「はい。スピノザ様からもそう言われたので」


 ユーリは本当に頑張っている。

 早朝から起きて体力作りに励み、昼は文字の読み書きの練習。

 前世のフリーデの学生の頃よりよほど努力家で、勤勉。

 これはたしかに未来の皇帝だ。


 ――やっぱり物語の主人公は子どもの頃から逸材ってことね。


 そんなユーリの成長ぶりを間近で見ることができて幸せだ。

 その日はユーリのこと以外にも、朗報があった。

 フリーデはギュスターブから呼ばれ、執務室を訪ねた。

 部屋に入るなり、フリーデを出迎えたのは、ギュスターブの笑顔。


「な、なにか?」


 フリーデはびくっとして恐る恐る訪ねる。


「ルード、報告を頼む」

「はい。奥様、氷の件でございます」

「ど、どうだった?」

「奥様が提案してくださったことを試したところ、無事に帝都まで運びこむことができた、と商人たちから連絡がありました。それもかなりの金額で販売することができました」

「本当!? やった!」


 人目も憚らずはしゃぎ、それからはっと我に返る。


「ご、ごめんなさい」


 子どものようにはしゃいでしまったことが恥ずかしく、赤面する。

 しかしそんなフリーデを馬鹿にするでもなく、ギュスターブとルードは微笑ましい笑顔を向けてくれる。


「よくやってくれた、フリーデ。これでうちは大きな収入の柱を得ることができる。商人たちからも注文が殺到しているぞ」


 無事にうまくいって、ほっと胸を撫で下ろす。


「ルード、魚のほうは?」

「はい。こちらも奥様のお考え通り、商人たちが魚の販売を催促してまいりました。こちらが地産地消する旨を告げると、以前からは考えられない金額を提示する商人も現れ始めて……」


 ルードも品のいい笑顔を見せてくれて、満足そうだ。

 これでフリーデの言葉には一定の重みが加わったと考えていいだろう。


 ――いよいよ、本丸のシオンね。


「ギュスターブ様、お願いがございます」

「新しい提案か?」

「……商売に関することではありません。一人の人物を、招きたいと考えておりまして」

「詳しく頼む」

「シオンという女性です」


 彼女が研究熱心な医者で、女性ながら素晴らしい向上心があり、また植物学にも詳しく、新しい植物の品種改良なども手がけていることを説明差する。


「……北部では過去にひどい寒波の影響で陸の孤島となり、食糧配給が滞り、多くの餓死者が出たという記録がある、と本で知りました」

「たしか百前ほど前の大寒波によるものだったか」

「はい」


 百年前といえば、王国領が領地の拡大政策を推し進め、北部地域が大きく広がった頃。 その時にも大寒波にともなう飢餓で、大勢が亡くなった。


「奥様はまた北部が飢餓に襲われる、とお考えなのですか?」

「可能性はあると思います。北部は昔にくらべて便利になったと言っても、過酷な環境に変わりありませんから。また百年前と同規模かそれ以上の寒波に襲われればどれほどの被害が出るか……。備蓄食糧はあるでしょうが、それとて北部の人々を十分に救えるほどないはずですよね。あくまで都からの救援を前提にしています。かと言って、備蓄量をいきなり増やすと言っても、民を困惑させるだけ」

「シオンという女性なら、それを解決できるのか?」

「北部の気候でも育ちやすい新しい品種の野菜を作ってくれる可能性がございます。これまでそのような試みをなさってはいませんよね」

「たしかに……。新しい品種となれば、時間も労力もかかる。伝手も資金もなかったから」

「それに北部には最新の医療を学んだ医者がほとんどいません。私はそれを憂えています。必要なのは若さと情熱に溢れた人です。シオン・クラスポーにはそれがあると思います。彼女にはここで最新医療を教えると同時に、寒冷地でも栽培可能な植物に関する調査をしてもらいたいのです。北部には南部には見られない植生が見られます。彼女の活動をサポートすることは、領民のためにもなります」


 ギュスターブは虚空に目を向け、考える。


「俺はいいと思う。新しい品種や医療の発展は北部の益になる。ルードは?」

「……感動でございます!」


 ルードは涙を流し、天を仰ぐ。


「る、ルード……どうしたの?」


 思わぬリアクションにフリーデはもちろん、ギュスターブもまた唖然としていた。

 ルードはポケットから取り出したハンカチで目尻を拭う。


「まさか、奥様がここまで北部のことを考えて下さっているなんて、このルード……感謝感激でございます……!」

「大袈裟よ」

「いいえいいえ! 大袈裟ではございません! もちろん私は賛成でございます」

「なら、書状をすぐに出そう」

「ありがとうございますっ」


 その日のうちにギュスターブは、早馬で書状を届けてくれることになった。

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