第5話 取引不成立
俺はヨシュアを殺しにきたんだ。
単純な言葉だった。それなのに、リリエリは一瞬意味を理解することができなかった。本能がとっさに目を背けさせたのだ。
一呼吸の間に意味を咀嚼してなおも、たちの悪い冗談なのだと思い込みたかった。だがレダのどこか軽々しい態度が、かえって彼の発言が本気ものであることをリリエリに突きつけている。
ヨシュアは死なない。首が折れようが神経毒を吸い込もうが、時間さえあれば蘇ることが可能だ。そういう呪いをかけられている、らしい。
だからこの男がいくら優れた魔法使いであろうと、ヨシュアを殺すことなんて出来るはずがないのだ。
……本当にそうだろうか?
リリエリは広場の上空に浮かんだ太陽と見紛うほどの火球を思い出した。
例えばヨシュアが塵の一つも残らないほどに焼き尽くされたとして、彼は復活できるのだろうか。
嫌な仮定がリリエリの頭に浮かんだ。どうにかそれを振り払いたくて、リリエリは数秒かけて言葉を選んだ。虚勢を張るための、そして願望を示すための言葉だ。
「ヨシュアさんは、死にません」
「ああ、……知ってるんだな? アンタはヨシュアの正体を知った上で、パーティを組んでるってことか」
そうかそうか、とレダは自身の口元を手で覆った。笑いを隠すような、考え事をするかのような曖昧な動きであった。
この反応。
この男は、死なないというリリエリの言葉を、強がりではなく事実として受け取った。
――レダもまた、ヨシュアが"邪龍憑き"であることを知っている。
「知ってるんなら話は早い。アンタが持ってるヨシュアの情報、全部よこしな。もちろんただとは言わないぜ。数年は遊んで暮らせるだけの金と引き換えようじゃないか」
「……なにを、言ってるんですか」
「情報さえくれれば、後は俺様が対処しておいてやるって言ってんだ」
対処、とは随分ぼかした言い方をしたものだ。それが意味するところなんて、たった一つじゃないか。
「ヨシュアさんの情報は売れません。いくらお金を積まれたとしても」
「なぁ、ヨシュアの正体を知ってるんなら、俺の言ってることがわかるだろ? アイツは人の形をしている内に殺すべきなんだ」
「……確かにヨシュアさんは人とは違うところがあります。でも、彼が何をしたって言うんですか。ヨシュアさんは何も悪いことはしていないし、むしろ、」
「甘い考えしてんじゃねぇぞ」
がつ、と鈍い音が聞こえた。レダの履いた重たげな革のブーツが、床に強かに打ち付けられた音だった。
怒りだ。
奥底に溜め込んでいた感情が、とうとう破裂して溢れ出したかのようだった。
声が態度が表情が、たった一つの感情に染まっている。レダの纏っていた軽薄さはもはや一欠片すらも残っていない。
「何も悪いことしていない? それはいつまで保証されるんだ? 今日か? 明日か? 明後日か?」
「それ、は、」
「アイツはいつか邪龍ヒュドラに成り果てる。周囲のありとあらゆる物質を腐らせて、朽ちさせて、大切なものを全て破壊していくぞ。そうなってからでは遅いんだよ!」
レダの口調はどんどんと強いものへと変化していた。刺し違えても構わない。何が何でも邪龍を殺す。そういった気持ちが全て怒りに変換されて噴出しているかのように思えた。
リリエリの両手は、いつの間にやら小さく震えていた。身の竦むような恐怖によるものであった。
リリエリが否を唱えたならば、この男は即座にリリエリを殺して次に進んでいくのかもしれない。宮廷魔術師という身の上でそれを行うのかは定かではないが、少なくともそれが可能な力をこの男は有している。
恐ろしかった。
この男に正面から逆らうことも、ヨシュアに対する懸念が具体性を持って突きつけられているということも。
それでも。
「だからって貴方にヨシュアさんを殺させやしない。ヨシュアさんは、私の大切なパーティメンバーです」
ヨシュアを見捨てて逃げる選択肢は、二度と浮かびやしないのだ。
リリエリの啖呵は、啖呵と呼ぶには酷く非力なものだったろう。事実として、リリエリがこの宮廷魔術師なる男に勝てる可能性は皆無だ。
ただ純然たる気持ちだけが乗った、ワガママに似た言葉だった。吹けば飛ぶような脆い根拠しか持たないそれを、ただリリエリの気持ちだけで構成されたそれを。
レダは真っ直ぐに受け止めて、――笑った。
この場に余りにも似つかわしくない、心からの笑み、のように見えた。
「殺させやしない、か。宮廷魔術師たる俺様に対して! 一介の冒険者に過ぎないアンタが!」
声を上げて笑うレダを、リリエリはただ呆然と見ていた。この男の感情が余りに急に揺れ動くものだから、容易にはついていけなかったのだ。
「ははは! いいな。殺させやしない。実現するといいなぁ! 俺もそう思うぜ」
「……馬鹿にしないでください。こっちは真剣に言ってるんです」
「あぁ、あぁそうだよな。はは、その言葉が聞けてよかったよ。本当に」
未だに肩を震わせているレダを思い切り睨みつけても、事態はまるで変わらない。
なんて嫌な男だろうか。どうせリリエリには何も出来ないだろうと高を括っているみたいなその態度。
怒りで視界が滲んでいた。腸が煮えくり返って溶け出してしまいそうな感覚だ。
「はー、言いたいことは言えたし、そろそろ俺はお暇するかな。せいぜい後悔しない選択をしてくれよ」
がつ、とレダは床を蹴った。
そうして、何の未練も興味もないですといった態度で、さっさとリリエリの家の窓に向かうと、ひょいとその先に身を踊らせて視界から消えた。あっという間の出来事に、リリエリは声の一つもあげることができなかった。
怒りを向ける先が立ち去ってしまい、渦巻く感情がぐるりと悔しさに変わる。
こんな時すら、リリエリには何もできない。戦う力がないからだ。歯向かう力がないからだ。
悔しい、悔しい、悔しい。掌に深々と爪が突き刺さってなお、手を握りしめることをやめられない。
悔しい。だが好都合だ。
相手はリリエリを舐めている。ヨシュアを殺すという目的を曝け出してなおリリエリを害さなかったことがその証左だ。
であれば、リリエリにだってできることはある。
リリエリは思い切り頬を叩いて両手の震えを無理矢理押さえつけた。あまり時間は無いだろう。
誰よりも早くヨシュアを見つけて、彼を隠す必要がある。
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