第36話 自我の芽生え

「申し訳ありませんが、お断りします」

「そ、そんな……」


 左右の肩と頭の上に子ネコを乗せた私の答えに、ラーガスト革命軍の代表は愕然とした表情になる。

 彼が私にあることを頼んできたのは──そして、私がそれを即座に断ったのは、総督府に滞在して三日目のことだった。


 初日の騒動以降、誰もが忙しい毎日を送っていた。

 ミケや将官達は、ラーガスト王国軍の残党の取り調べや、駐留する武官の交代に伴う引き継ぎ作業などでてんてこ舞いだ。

 軍医であるロメリアさんは総督府内の医局と協力し、ベルンハルト王国軍のみならず、ラーガスト革命軍及び残党、民間人を含め、健康チェックに勤しむ。

 処分保留中のメルさんは、逃亡の恐れはないということで、従来通りロメリアさんの護衛兼助手として働いていた。

 私もネコ達と手分けして、多忙ゆえに疲れもストレスも溜めまくっている彼らを癒やして回る。

 この日は、ネコはミケ、チートはミットー公爵、ソマリはロメリアさんとメルさんと行動をともにしていた。

 そんな中、私が残りのメンバーを連れていたところ、総督府の廊下で革命軍の代表に呼び止められたのだ。


「そういえば、タマコ殿。マルカリヤン様に面会していらっしゃったそうですね?」


 そう尋ねるのは、革命軍の代表に同行していたベルンハルト王国軍の大佐だ。

 彼は私と、私の謝絶にショックを受けている様子の革命軍の代表にさりげなく距離を取らせた。


「「「ミー! ミーミー!」」」


 私の肩や頭の上にいた子ネコ達が大佐の方へ飛び移り、三方から戯れつきつつその負の感情を食べ始める。

 この総督府の責任者を務めている彼も、ネコ達の糧をたんまりと溜め込んでいた。


「うふふふ、相変わらず懐っこくて可愛い子達だねぇ……それで、タマコ殿。マルカリヤン様のご様子はいかがでしたか?」


 子ネコ達にデレデレしながら、大佐が問いを重ねる。

 私は、彼の後ろでまだ何か言いたそうにしている革命軍の代表から目を逸らして答えた。


「すっかり消沈してしまっていますが、落ち着いてはいるようでした」

「そうですか……殿下は、反抗や逃亡よりも自害を心配して見張りを付けている、とおっしゃっていましたが……」


 ベルンハルト王国への護送が決まった元ラーガスト王太子マルカリヤンは、総督府の一室に軟禁されている。

 ミケやロメリアさん、そして腹違いの弟トラちゃんと同じく、ネコ達ではなく私のなけなしのフェロモンに反応する彼は、私の頭を無言でひたすらなでなでした後は、少しだけ顔色がよくなった。

 革命軍の代表に呼び止められたのは、そんなマルカリヤンの部屋から出てすぐのこと。

 彼は、トラちゃんとその母カタリナさんの仲を取り持つよう頼んできたのだが……私は、前述の通りこれを断った。

 

「せっかく母君が正気に戻ったものの、トライアン殿下は初日に顔を合わせて以来、一度も彼女に会いに行っていないそうなんですよ」


 大佐が補足するように言う。

 彼自身は、私に何が何でも革命軍の代表の頼みを聞かせようと考えているわけではなさそうだった。

 そんな中、大佐を押し退ける勢いで前に出てきた革命軍の代表が、捲し立てる。


「カタリナは、自分が母親らしいことを何もできず、トライアンに苦労を強いてしまったことを悔いているのです! 私は、そんな妹がかわいそうでならず……。どうかトライアンと一緒に、カタリナを慰めてやっていただけませんか!?」


 その剣幕に驚いたらしい子ネコ達が、一斉に私の方へ戻ってきた。

 そうして、密かに唇を噛み締める私の顔を、気遣わしそうに覗き込んでくる。


(確かに……若くして望まない結婚を強いられてトラちゃんを産み、王宮での凄惨ないじめを経験したカタリナさんには同情を覚える)


 それでも……


「これまで、心を閉ざしたお母さんを懸命に支えて守ってきたトラちゃんに、これ以上何かを強いることは──私には、できません」


 顔を上げてそう言う私に、革命軍の代表はわずかに怯んだ。

 子ネコ達がぎゅっとくっ付いてくる。

 それに励まされた私は、毅然として続けた。


「トラちゃんは、これまで十分すぎるほど頑張ってきたと思います。彼との関係改善を望むのなら、まずはカタリナさん自身に行動を促すべきではありませんか?」

「いや、それが……カタリナは昔から人見知りをするおとなしい子でして。トライアンはきっと自分を憎んでいるのだと言って泣くばかりで、食事も喉を通らず……」


 そんな妹を、目の前の男は私利私欲のために無理矢理国王に差し出したのだ。

 向こう脛を蹴ってやりたい気分になった。

 私も超が付く人見知りだったから、カタリナさんの気持ちはわかる。

 けれど……


「トラちゃん自身がカタリナさんに会うと決めた上で、同行を求められれば喜んでついていきますが……私から彼に行動を促すつもりは、ありません」

「そ、そこを何とか! トライアンはあなたに随分懐いているそうではありませんか! あなたが説得してくれれば、あの子だって……」


 なかなか引き下がらない相手に、私はため息を吐きたい気分になった。


「どうして、当事者であるカタリナさんではなく、トラちゃんを説得しようとするんですか。私に至っては、思い切り部外者ですよ?」

「いや、それは……カタリナには、無理を強いて辛い思いをさせてしまいましたし……」

「あなたがカタリナさんに負い目があるのはわかりました。でも、トラちゃんに針の筵のような王宮でヤングケアラーをさせていたことには、伯父として罪悪感を覚えないんですか?」

「え、や、やんぐ……って、何ですか? いや、トライアンにも申し訳ないことをしたとは、思ってはいるんですが……」


 もごもごと歯切れの悪い相手に、私は塩っぱい顔になる。

 見かねた大佐が、革命軍の代表に諦めるように告げ、私を解放しようとした。


「ま、待ってください! まだ話は終わっては──」


 ところが、往生際の悪い革命軍の代表が、歩き出そうとする私を引き止めようと手を伸ばし……


『タマコ姉さんに、触んにゃ』

「ひっ……!」


 私の脇からにゅっと出てきた大きな顔──その口の中にぞろりと並んだ牙を見て、慌てて引っ込めた。

 ライガーサイズのレーヴェ、元祖チートである。

 実は、私の後ろでずっと大人しくしていたのだが、革命軍の代表が私に触れようとするのは看過できなかったらしい。


「いや、待って!? あなたまで私の弟ポジションなの!?」

『だって、おれ、新参者だにゃん!』


 ミットー公爵と再び離れ離れになるのを嫌がった彼は、なんとこのままベルンハルト王国に連れて帰られることになった。

 ミットー公爵を噛んで手放されて以降、一切人間を襲っていないことから、今後も人間を傷つけないこと、首輪とリードを受け入れることを条件に、ミケが許可を出したのだ。

 なお、チートという名前に関しては、ネコの毛玉から変化した方のチートも譲らなかったため、どちらもそれを名乗ることになった。


「ややこしいけど……しょうがないね」

『しょうがないにゃ。おれも、小さい同朋も、ミットーさんにもらったこの名前が、大好きなんだにゃん!』


 首輪もリードも付け、なでてなでて、とスリスリ顔を擦り付けて甘えてくる姿は完全に飼い慣らされたペットだ。

 しかし、尋常ではなく体も牙も大きいために、絶対に人間を襲うことはないと言われようとも、本能的に恐れを抱いてしまうのは致し方ないだろう。

 私はここぞとばかりに、虎の威を借る狐になる。

 後退る革命軍の代表に向かい、元祖チートの顎の下を撫でながらきっぱりと告げた。


「私は、あなたでもカタリナさんでもなく、トラちゃんの意思を尊重します」





『一昨日きやがれだにゃん!』


 大佐に慰められつつすごすごと去っていく革命軍の代表の背に、元祖チートがそう吐き捨てる。

 私は、彼のゴージャスな毛並みを撫でながらそれを見送った。

 左右の肩と頭の上では、子ネコ達もふんすふんすと鼻息を荒くしている。

 そこに後ろからもう一匹、彼らより一回りほど小さなモフモフがぴょんと飛んできた。


「ニー! ニーニー!」


 一際高い声で鳴いたその子に見覚えのあった私は、慌てて背後を振り返る。


「──トラちゃん?」

「タマコ……」


 柱の陰から顔を出したのは、今まさに私が説得するよう頼まれていたトラちゃんだった。

 どうやら、彼は隠れて話を聞いていたらしい。

 伯父である革命軍の代表が完全に立ち去ったのを確認すると、トラちゃんは柱の陰から出てきて私の前に立つ。

 一際小さな子ネコは、三日前、元祖チートとともにベルンハルト王国軍にミケの指示を届けたあの毛玉の成長した姿だった。

 すっかりトラちゃんが気に入ったらしく、あれ以来ずっと彼と行動を共にしている。

 私の両肩や頭に乗っていた子ネコ達とひとしきりじゃれ合うと、その子はまたトラちゃんの方へ戻った。


「タマコ、ありがと……伯父さんや母さまではなく、僕の味方でいてくれて」


 トラちゃんが、はにかんで呟く。

 ただでさえ悩み多き年頃なのに、これ以上大人の勝手に振り回されるのは、何としても避けたいと思った。

 そんな彼にゆっくり話をしたいと言われて、私は二つ返事で頷く。

 総督府内は、ベルンハルト王国軍やラーガスト革命軍、ラーガストの民間人を含め、多くの人間が行き交っていた。

 鮮烈な登場の仕方をしたトラちゃんを見かけると、ラーガストの人々の中にはそれこそ神を前にしたように跪く者までおり、信心深いという国民性を実感する。


「ああ、新しい国王様……どうか、我らをお導きください」

「ラーガストを、もう一度繁栄させてくださいませ」

「ひいっ……レーヴェ、こわい……食べないで!」

『食べないって言ってるにゃん』


 巨大なレーヴェが一緒だったこともあり、人々の眼差しには畏怖も滲んでいた。

 多くの視線を浴びつつ、私達は何とか人気のない場所を見つけて出して腰を落ち着ける。

 そこは裏庭に面した一階のテラスで、木製のベンチが一つぽつんと置かれていた。

 元祖チートは最初、何かを気にするようにフンフンとしきりに匂いを嗅いでいたが……


『タマコ姉さん、ここって……うんにゃ。何でもないにゃん』

「えっ、何? めちゃくちゃ気になるんだけど……」


 私の膝に顎を乗せると、そのまま目も口も閉じてしまった。

 腑に落ちないものを感じつつも、耳の周りをマッサージしてやれば、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 ライガーサイズなので頭だけでも重たいものの、うっとりと目を閉じて気持ちよさそうにしているのを見ると、足が痺れるくらいどうってことない気がしてきら。

 自然と頬を緩めた私の隣で、トラちゃんが重い口を開く。


「僕はさ……別に、母さまを憎んでいるわけじゃないんだよ」

「えっ……う、うん……」

「でも、好きかって聞かれると……わからない。物心ついた時から、僕にとってあの人はお世話をしなくちゃならない人だったから……」

「そっか……」


 身分の高い者達がカタリナさんを踏み躙る一方で、現在彼女に付いているメイドの少女の母親のように、味方をする者がいなかったわけではない。

 しかし、彼らは悪気のないまま、幼いトラちゃんに呪いをかけた。


「お腹を痛めて産んでもらったのだから、母さまを大事にしないといけないってみんなが言ったんだ。だから僕は言われた通りにした。それ以外、どうしていいのかわからなかったから……」

「そう……そうだよね。そうするしか、なかったよね……」


 大人達に一方的に義務を押し付けられたトラちゃんは、母に尽くすばかりの幼少期を送った。

 そんな彼の献身を、親孝行の一言で片付けるのはあまりにも残酷で無責任ではなかろうか。

 しまいには、人質に取られた母のために、たった一人で敵本陣に突っ込まされたのだ。これを止められる大人がいなかったことが、トラちゃんの置かれていた状況がいかに異常であったかを物語っている。

 けれども……


「ねえ、タマコ。子供は、産んでもらったからって無条件で親を愛さなければいけないの? 何があっても、受け入れないといけないのかな……」


 ベルンハルト王国の捕虜となったことで母から離れた彼は、この半年の間に自我を得た。

 すくすくと伸びていくその背を、私は頼もしく思う。


「トラちゃんが、どうしたいのかで決めていいと思う。愛さないのも受け入れないのも、トラちゃんが生まれ持った権利だよ。誰も、それを取り上げていいはずがない」

「うん……」

「でも、もしもお母さんが勇気を出して歩み寄ってきたなって感じた時は……親とか子とかいうのはひとまず置いておいて、一人の人間として、話を聞いてあげてもいいかもしれないね?」

「ん……そうだね」


 カタリナさんにも言ったことだが、彼女とトラちゃんには、やり直すチャンスはまだあると思う。

 ただ、それをトラちゃん自身が望むかどうかはわからないし……


「トラちゃん自身が望まないなら、親子関係を無理に修復する必要はないって、私は思うよ」

「僕が……全部決めて、いいのかな……」

「トラちゃんが決めていいんだよ。トラちゃんのことは、トラちゃん自身の気持ちが一番大事だもの」

「そっか……うん、そうだよね」

 

 トラちゃんは安心したように小さく笑って、私の肩に頭を乗せた。

 じわりと彼の身の内から溢れる黒い綿毛を、私はさりげなく手で払う。


「「「ミーミー! ミー!」」」

「ニー! ニーニー!」


 ふわふわと宙に舞うそれを、子ネコ達が追いかけては食べていった。

 一週間近くに及ぶ旅に続き、総督府に到着してからも慌ただしい毎日で、トラちゃんも疲れが溜まっている様子だ。

 長めの前髪を掻き上げて額に触れるが、幸い熱はなさそうだった。

 蜂蜜みたいな金色の目が、私の一挙手一投足を見つめている。

 ふいに、トラちゃんは私の袖をちょんと摘んで言った。

 

「タマコ、あのね……タマコにお願いがあるんだけど……」

「うん、なぁに?」


 何やらもじもじしているのが可愛くて、私はにっこりしてしまう。

 もしかしたら計算の上かもしれないが、あざとかろうと可愛いものは可愛いのだ。

 それに、仕草は可愛らしいが、トラちゃんの目は真剣だった。


「僕……タマコと離れたくない。このままラーガストに──僕の側に残ってほしいんだ」

「そ、それは……」


 私は返事に窮する。

 膝の上に顎を乗せて微睡んでいた元祖チートがぴくりと耳を震わせ、瞼を上げた。

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