第34話 鍔迫り合い
「お、王太子、殿下……」
私を捕まえているのがマルカリヤンだと気づいたとたん、トラちゃんは目に見えて狼狽えた。
二人は腹違いの兄弟ではあるが、年は親子ほど離れている上……
「よくぞ、おめおめと私の前に顔を出せたものだ──この、役立たずが」
正妃が産んだ王太子と、地方領主の娘が産んだ父に顧みられなかった末王子では、立場にも心情にも筆舌に尽くし難い隔たりがあった。
ミケに対してはタメ口さえきいて見せるトラちゃんが、マルカリヤンの前では完全に萎縮してしまっている。小さな毛玉が心配そうに、その肩を行ったり来たりしていた。
凍えるような目で末弟を一瞥したマルカリヤンは、さも憎々しげに続ける。
「お前、この私を差し置いて国王を名乗ろうと目論んでいるらしいではないか。笑わせてくれる。身のほど知らずにもほどがあろう」
「それは、トライアン自身が望んだことではないのは明白だろう。革命軍に担ぎ上げられているんだ。文句があるならそちらに言うべきでは?」
青い顔をして固まるトラちゃんを見かねたのか、ミケが口を挟む。
その隙に、准将がトラちゃんをそっと背中に隠した。
本来ならば、トラちゃんを担ぎ上げた張本人である革命軍の代表が矢面に立つべきであろうに……
『なんじゃあ、あいつ。全然頼りにならんな。もしや、リーダーとは名ばかりの小物じゃないのか?』
私の疑念を、ネコが代弁する。
革命軍の代表もまた、マルカリヤンを前にして完全に萎縮してしまっており、とてもじゃないがトラちゃんを守れそうになかったのだ。
マルカリヤンも彼など歯牙にも掛けず、准将の背中に隠されたトラちゃんをじろりと見て吐き捨てた。
「田舎領主の血筋風情が父上に取り入り、果ては子を王に据えて国を乗っ取ろうなどと──とんだ毒婦だな」
すいっと横に外れたその視線を追い、ここで初めて、トラちゃんは母カタリナさんが人質に取られていることに気づく。
「か、かあさま……?」
「トライアン……」
彼の金色の瞳が、零れ落ちんばかりに見開かれる。
母が自分をまっすぐに見て、さらには名を口にしたことで、正気に戻っているとわかったのだろう。
前に踏み出そうとしてよろけたトラちゃんを、准将が慌てて支えた。
トラちゃんが正気の母親と対峙するのは、いったいいつぶりのことなのだろうか。
ところが、そんな母子の感動の再会に、マルカリヤンは容赦無く水を差す。
「一度だけ挽回の機会をやろう、トライアン。母親を死なせたくなかったら──この男を始末しろ」
この男、と指し示されたのはミケだ。
挽回の機会と聞いてピンときたらしいミケは、たちまち憤怒の表情になった。
「貴様か、マルカリヤン──貴様が、トライアンに私の暗殺を命じたのか!」
最終決戦の折、総督府からほど近いあの丘の上に構えられたベルンハルト王国軍本陣に、トラちゃんは単身飛び込んできた。
彼の目的は、父王に代わってベルンハルト側の総大将を務めていたミケを殺すことであり、それを命じたのはマルカリヤンだった。
これを知って、ミケに負けず劣らず激怒するのは、彼の肩に陣取っていたネコだ。
『つまり、珠子が──我の娘が刺されたのは、貴様のせいじゃったんか!!』
私を刺したトラちゃんに向かっていたネコの怒りが、即座にマルカリヤンへと矛先を変える。
しかも彼は、前回も母カタリナさんを殺すと脅してトラちゃんを死地に向かわせたというのだ。
「せっかく武功を立てさせてやろうとしたというのに、失敗しおって」
「貴様……」
悪びれる様子もない相手に、ミケが怒りに震える。その肩にいるネコも言わずもなが。
「そんな……トライアンがそんなことを……私のせいだわ。私が、不甲斐ないから……」
知らぬ間に息子が辛い状況に立たされ、しかも自分を盾に取られて人殺しを命じられたと知ったカタリナさんも愕然とした様子だった。
そんな母をまたもや人質にされたトラちゃんは、くしゃりと顔を歪めると、涙に濡れた声で叫ぶ。
「いやっ、いやだ……いやだいやだっ!! もう、誰も傷つけたくないっ!!」
「敵に一矢報いることもできず捕虜になって、恥ずかしくないのか」
「ぼ、ぼく、僕はっ……あの時、あなたに抗えなかった自分こそが、恥ずかしい! そのせいで、僕は……敵じゃなく、何の関係もない人を傷つけてしまった!」
「……何の関係もない人?」
後悔と罪悪感に満ちたトラちゃんの瞳が、縋るように私を見る。
マルカリヤンは訝しい顔をしたが、トラちゃんの視線を辿って私と目が合うと、片眉を上げた。
「……なんだ。お前が刺されたのか?」
「あっ、いえ……それは、ですね……」
「そうかそうか、なるほどな──かわいそうに」
「は……?」
よしよし、と唐突に頭を撫でられる。
自分が刺されるなんてことになった、元凶にだ。
全然うれしくないし場違いにもほどがある。
唖然として言葉も出ない私に代わり、ネコが怒りを爆発させた。
『はぁあああ!? なんじゃあ、貴様っ! かわいそうなどと、いったいどの口が言うんじゃ! ぜーんぶ、貴様のせいじゃろうが! おい、王子! さっさと珠子からあの野郎を引き剥がせ! これ以上は我慢ならんっ!!』
「……同感だな」
肩の上で荒ぶるネコを撫でながら、ミケの目は据わり切っている。
准将がトラちゃんを宥めて再び背中に隠したのを見届けると、ミケは改めてマルカリヤンに対峙した。
「もう、やめろ。トライアンは貴様の手駒ではない」
「随分と、あれを庇い立てするではないか?」
「まだ子供だ。大人が守るのは当然だろう。それに、彼はこれからラーガストの復興の象徴として、人々の心の拠り所となるんだ。ここで貴様に潰されるわけにはいかない」
「ふん……王宮の片隅で息を殺して生きていたような子供が、神を気取って民の信仰を集めようとは、烏滸がましい」
トラちゃんに対するマルカリヤンの言葉は、ひたすら刃のように鋭い。
正妻の子が、妾の子を疎ましく思う気持ちはわからなくはない。
だが子供は、親も環境も選んで生まれてこられるわけではない。
大人であるマルカリヤンが、それを理解できないはずはないのだが……。
トラちゃんはもとより、それを庇う人間も気に入らないらしい彼は、胡乱な目でミケを睨む。
そしてふと、何かに気づいたような顔をした。
「そう……そうか、なるほどな。お前がトライアンの肩を持つ理由がわかったぞ」
「何を……」
「ミケランゼロ・ベルンハルトは、第二王子だ──お前も、兄が消えてくれたおかげで、次の玉座を約束されたんだったな」
「……っ」
次期国王同士としてマルカリヤンがミケと面識があったように、彼はその兄とも対面したことがあった。
今は亡きベルンハルト王国第一王子、レオナルド・ベルンハルトと。
「レオナルド殿は、物腰柔らかないいお人だった。二人で、自分達が王となる未来を語り合ったこともあったさ」
故人との思い出を懐かしむようでいて、ミケを揺さぶろうとしているのは明白だった。
ミケがそれに気づかないはずはないし、動揺して隙を見せるはずもない。
ただし──
「彼はなぜ、亡くなったのだったか──ああ、そうだ。殺されたのだったな。犯人は? 捕まっていない? おやおや……それでは、誰が何のためにレオナルド殿を殺めたのかもわからないままか?」
ミケが傷つかないわけではない。
彼は、兄が自分を庇って死んだと思っているし、兄の分まで身を粉にして祖国に尽くしている。
それを知ってしまった私は……
「……さい」
「うん? 娘、何か言ったか?」
黙ってはいられなかった。
マルカリヤンを振り仰いでキッと睨むと、腹の底から声を振り絞って叫ぶ。
「うるさい! うるさいうるさい、うるさーい、ですっ!!」
「は……?」
マルカリヤンが、まるで言葉が通じない動物を見るような目をして私を見た。
それでも緩まない腕に──私は、躊躇なく噛み付く。
窮鼠猫を嚙む、リベンジの時だ。
『よしゃあっ! いいぞ、珠子! それでこそ、我の娘じゃっ!!』
「タマ……!」
うわっと叫んだマルカリヤンが、強い力で私を振り払う。
その拍子に勢いよくバルコニーの柵に叩きつけられそうになったが、ミケが間に体を滑り込ませて受け止めてくれたおかげで、事なきを得た。
「わーん、ミケー! こわかったー……けど、いいこと聞いたんですっ! あの王太子さん──お金、隠し持ってますよっ!!」
「この状況で第一声がそれか!? まったく……無茶をしないでくれ!」
柵に背を預けて座り込んだ彼が、私をぎゅうと抱き締めて安堵のため息をつく。
頭頂部に鼻先を埋めて吸われるのも厭わず、私もその胸に全力でしがみついた。
「このっ……」
頭に血が上った様子のマルカリヤンが、腰に提げていた剣を抜き、振りかぶる。
柵の前に座り込んでいたミケは素早く私を背後に押しやり、膝立ちになって剣を抜いた。
頭を叩き割らんばかりの勢いで振り下ろされた剣を、彼は横向きにした刃でもって受け止める。
ガツッと鋼と鋼が打ち合う音とともに、周囲は騒然となった。
剣を抜いてバルコニーに踏み込んでこようとする准将や大佐を、カタリナさんとメイドの少女を人質にしたマルカリヤンの部下が牽制する。
革命軍の代表は相変わらず頼りにならないものの、飛び出して行こうとするトラちゃんを抱き締めて必死に止めていた。
怒りに燃えるネコはマルカリヤンに飛びかかろうとしたが、さっき弓矢を番えてミケに伸されたその部下が起き上がってきてしまう。
『って、させるかーい! 貴様はもうちょっと寝とけいっ!』
「もふんっ!」
マルカリヤンの方に加勢されてはたまらない。
すかさず、ネコはその顔面にモフモフボディーアタックを食らわせた。
幸せそうな声を上げて、マルカリヤンの部下が再び床に転がる。
その間も、ミケとマルカリヤンの鍔迫り合いが続いていた。
「ベルンハルトは、私から次の玉座を取り上げたんだ! 代わりに、私はお前の首をもらおうじゃないか!」
「断る! そもそも、ラーガストが戦争を仕掛けてきたから、こんなことになったんだろうが!」
「知るものか! 父が……国王がそうすると決めたならば、我々はただ従わねばならなかった!」
「ふざけるな! ラーガスト国王たった一人の気まぐれで、どれだけの人間が辛酸を嘗めたと思っている! ベルンハルトの民だけではない! ラーガストの──貴様の同胞もだぞっ!」
お互いの刃越しに、ミケとマルカリヤンが怒鳴り合う。
しかし、最初の体勢が悪かったものだから、上から体重をかけるように押してくるマルカリヤンにミケは苦戦していた。
「ラーガストは負け、王家は滅び──私は、国王となる道を閉ざされた! 父の長子として生まれた私には、この生き方しかなかったというのになっ……!」
まるで、本心では王太子となることも望んでいなかったような物言いだが、それに戸惑っている余裕はない。
マルカリヤンの剣を受け止めているミケの刃が、ギチギチと嫌な音を立てた──その時である。
『かーちゃあああああんっ!』
『珠子姉様っ! ご無事ですのっ!?』
バルコニーの柵の向こうからぴょーんと飛び込んできたのは、ベンガルっぽいのと、その名の通りソマリっぽいの──チートとソマリだ。
私達に加勢しようと、一気に外壁を駆け上がってきたらしい。
『女のひとを人質にするなんて、風上にも置けないにゃん!』
『まったくですわ! 恥を知りなさいな!』
二匹は、人質を取っていたマルカリヤンの部下達の顔面に飛びつくと、めちゃくちゃに引っ掻く。
その隙に逃げ出したカタリナさんとメイドの少女は、准将と大佐がすぐさま保護した。
残るは、ミケと鍔迫り合いを続けるマルカリヤンだけとなったが──こちらにも、まさかの援軍が現れる。
「「「──は?」」」
ふいに頭上が陰り、私もミケもマルカリヤンも上を向いた。
小麦色の毛並みに黒い斑点のある、巨大なお腹が通り過ぎる。
ベンガルっぽい大型動物レーヴェ──ただしライガーサイズ──の元祖チートだ。
呆気に取られる私達の頭上を飛び越えた彼は、マルカリヤンの背後にドシーンと着地する。
そうして、振り向きざまに繰り出された超強力猫パンチによって、マルカリヤンは漫画みたいに吹っ飛んだ。
『あっ、ごめんにゃさい……』
またしても、力加減を間違えてしまったらしい元祖チートが、はわわ、となる。
こうして、ラーガスト王国軍の残党による奇襲はあっけなく幕を閉じたのだった。
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