第7話 ミケの背中

 時刻は午後十一時を回った。

 窓の向こうに見える山際に、上弦の月が沈みかけている。

 私はその金色から、目の前の金色に視線を移し、ほうとため息を吐いた。


「私はどうして、ミケにおんぶされてるんでしょ……」

「ふらふら歩いていたタマが、ついに柱に向かって明日の天気の話を始めたからだな」

「明日はねー、雨ですって」

「……柱が言っていたのか?」


 やんごとなき飲み会は、つい先ほど解散となった。

 ギックリ腰持ちの国王様は王妃様に手を引かれてよちよち寝所に引っ込み、ロメリアさんはメルさんを引き連れて軍の施設に向かった。

 軍医であるロメリアさんの執務室は、当直もできる仕様になっているらしい。

 私もネコ達を連れ、ミケと一緒に居室に帰ろうとしていた。

 フサフサのしっぽをフリフリしながら前を歩くネコの背中には、五匹の子ネコがしがみついている。


「オポッサムみたい……ミケ、この世界にオポッサムはいますか?」

「さて、聞いたことのない名だ。それは動物か?」

「子供を背中に乗せて活動する動物です。敵に襲われると、死臭まで演出して死んだふりをします」

「いやなやつだな」


 王宮の最も奥まった場所にあるこの一角は、王家のプライベートスペースとなっていた。

 飲み会が開かれた王妃様の居室から私達の部屋までは、廊下で繋がっている。

 使用人の姿はまばらで、恐れ多くも王子殿下におぶってもらっている私を見咎める者もいない。

 

「でも、おんぶでよかった……お姫様抱っこだったら、さすがに恥ずか死んでました」

「死ぬなんて言葉を容易に使うな。……まあ、そのお姫様抱っことやらをタマにしたことは、あるんだがな」

「えっ!? い、いつ……?」

「……タマが、私の膝の上で刺された後だ」

「それって、私が素っ裸だった時──せっかく、忘れかけてたのに! なんで蒸し返したんですかっ!?」

「まことにすまんかった」


 ネコ達と同様に、私はベルンハルト王国どころかこの世界の人間でさえない。

 にもかかわらず、王子殿下の命の恩人という触れ込みにより、その私室の隣に部屋を与えられるという破格の待遇を受けていた。

 何より、ミケが私に対してとにかく甲斐甲斐しいのだ。


「ともあれ、タマが安全に飲めるのはワイン二杯までだということが判明したな。自衛のためにも、己の限界を把握しておくのは大事なことだぞ」


 そう言うミケ自身は随分と杯を重ねていたと思うが、酔っている気配は少しもない。ただし……


(昼間に会議室でお茶した時よりも、疲れてるみたい。体も──心も)


 私が王妃様と催したのは文字通りの女子会だったが、ミケと国王様──現在国軍の全権を任されている王子と療養中とはいえ国家のトップが、ただ愉快にさし飲みをしていただけとは考えにくい。

 きっと、戦後処理や国防に関わる重要な話し合いがなされたのだろう。

 私は目の前の金髪を、それこそマンチカンの方のミケにしていたみたいに丹念に撫でた。

 

「ミケさん、すごいねぇ、えらいねぇ。いい子いい子」

「なんだどうした。急に褒められたな?」

「人一倍仕事をして、お酒の付き合いにも参加して、さらに私の面倒まで見てくれるなんて……ミケはえらい! 百億万点!」

「ははっ、思わぬ高得点がもらえて恐悦至極」


 黒い綿毛がミケから舞い上がり、私は一刻も早く彼から遠ざけようと手で振り払う。

 ふわふわと宙を舞うそれらは、ネコの背中に乗っていた子ネコ達がぴょんぴょん飛び跳ねて食べてしまった。


「不思議だな……タマといると、体も心も軽くなるような気がする」


 ミケが小さなため息とともに呟く。

 今まさに私をおぶってくれているこの背には、いったいどれほどの責任がのしかかっているのだろう。

 自分自身の限界は無視してしまいがちなミケが、私は心配でならなかった。

 逆に、前を行くネコは振り返ってほくそ笑む。


『ぐっふっふっ、いいぞぉいいぞぉ。そのまま珠子に依存しまくって、最後にはこのおネコ様に世界を差し出すがいい!』

「そうはさせない──ミケも、ベルンハルトも、この世界も、私が守るんだから」

「どうした、タマ。急に壮大なことを言い始めたな」


 背中に負ぶわれたまま意気込む私に、ミケが笑った。

 ネコの言葉を解さない彼には、酔っ払った私がうわ言でも言っているように思われただろうが、それでいい。

 異世界生物が世界征服を目論んでいるなんて知らせて、心労を増やしたくはなかった。


「安心してくださいね、ミケ。ネコの好きになんて、させませんからね」

「今夜は随分と頼もしいじゃないか、タマ」


 人目がないのと、酔って気持ちが大きくなっているのをいいことに、私はさらに目の前の金髪を撫で回す。

 ミケは、子ネコ達に戯れ付かれるメルさんみたいに、くすぐったそうに笑った。

 そんな私達を眺めて、ネコはなおもぐふぐふと品のない笑い声を上げていたが、ふいに何かに気づいて、にゃっ! と顔を輝かせる。


『極上の夜食、キタコレー!!』


 廊下の向こうから、侍従長が歩いてきた。

 大勢の使用人達を束ねる立場にあり気苦労の絶えない彼は、ネコ達に大人気だ。

 本日に至っては、なんかいい感じのワインを二本も掻っ払われたため、その犯人たるミケを見つけて塩っぱい顔になった。

 そんな侍従長に、ネコはさっそく猫撫で声を上げて擦り寄っていく。


『むっふっふっ……今夜も随分溜め込んどるじゃないかー? こりゃ、朝まで爆食いコースじゃな!』

「こんばんは、ネコさん。聞いてくださいよ。今日はとんでもない悪童に、秘蔵のワインを二本も奪われてしまいましてね」


 背中にしがみついた子ネコ達ごとネコを抱き上げた侍従長は、とんでもない悪童ことミケと、その背におぶわれた私を見て肩を竦めた。

 ネコはゴロゴロ喉を鳴らして侍従長の胸に額を擦り付け、ジャケットを毛だらけにしている。

 さらに、子ネコ達までじゃれつき始めると、いつも隙のない老紳士でさえもメロメロになった。

 ところが、一匹の子ネコが彼の袖口に顔を突っ込んで遊ぶ姿を目にし──


「あああーっ! た、大変っ……忘れてたぁっ!!」


 突然叫んだ私に、ネコはびくーんとして毛を逆立て、ミケは目を丸くして振り返る。


『珠子ぉ、やかましいっ! 何事じゃいっ!』

「タマ、どうした? 何を忘れていたと?」

「きょ、今日生まれた子を……ミットー公爵閣下の袖に隠れた子を一匹、回収し忘れてましたっ!」


 昼間に軍の会議室において、私がネコの腰付近から無理矢理引き剥がしたことにより誕生した、あのゴルフボール大の毛玉のことだ。

 その存在を今の今まですっかり忘れていたことに、私もネコも蒼白となる。

 そんな私達を──この翌朝、思いも寄らない展開が待ち受けていた。


「ええっと……これって、どういうこと……?」

『おおお、お前……わ、我の子、か……?』


 ミットー公爵に連れられて王城に戻ってきた末っ子は、もう毛玉ではなくなっていたばかりか……



『おはよっ! 母ちゃん、きょうだい──それから、珠子姉ちゃん!』

「『しゃ、しゃべったぁ──!?』」



 ミーミー鳴くばかりの真っ白い子ネコとも違う、まったく新しいネコの姿に進化していたのである。

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