この異世界ではネコが全てを解決するようです 〜ネコの一族になって癒しの力を振りまいた結果〜

くる ひなた

第一章 猫ネコ子ネコ

第1話 タマとミケ

 珠子たまこ、と私に名付けたのは、海女をしていた父方の曽祖母だった。

 真珠のように美しく輝く娘であれ、という願いが込められているそうだ。

 小さい頃から、タマ、タマ、と猫みたいに呼ばれていたのが理由ではないが、短大に通うかたわら繁華街にある猫カフェでアルバイトをはじめ、卒業後もそのまま働く予定だった──半年前までは。


「──さて、お待たせしちゃったかな?」


 お茶のセットが載ったワゴンを脇に寄せた私は、見上げるほど大きく重厚な扉の前に立った。

 コツン、と黒いパンプスの踵が鳴る。

 クリーム色のワンピースと白いエプロンドレスを整え、左の腕にあった白くてモフモフの毛玉を抱え直すと、その香りが鼻を掠めた。


「ふふ……日干ししたお布団みたいな、いいにおい」


 私は頬を緩めつつ、顎のラインで切り揃えた髪も手櫛で整える。

 もともとは日本人らしい黒髪だったのだが、半年前のある出来事を境にして、名前の由来となった真珠──そして、腕の中のモフモフとそっくりな色合いに変わった。

 最後に左の脇腹を撫でたのは無意識だ。

 身嗜みが整ったのを確認すると、右手でコンコンと扉を二回叩き、声を張り上げる。

 

「珠子です! 参りました!」

「──入れ」


 扉の向こうからは、即座に返事があった。

 硬質な印象の、若い男性の声である。

 私はワゴンを脇に置いたまま、早速右手で扉の取手を掴んだのだが……


「わわっ……」


 突如内側に開いた扉と一緒に、部屋の中へ引っ張り込まれてしまう。

 入ってすぐの場所には黒い壁が突っ立っていた。


「みぎゃっ!」


 顔面からそれに突っ込んで潰された猫みたいな悲鳴を上げる私の上に、入室を許可したのとはまた別の声が降ってくる。


「お待ちしておりました、タマコ殿」

「お、恐れ入ります……」


 壁だと思ったものは、黒い軍服を纏った逞しい体つきの男性だった。

 年は、半年前に二十歳になった私より十ほど上だろうか。

 切れ長の目にじっと穴が開くほど凝視され、たじたじとなる。

 彼の分厚い体の向こうに、落ち着いた色合いの絨毯が敷かれた部屋と、その真ん中にある長テーブルを五人の男性が囲んでいるのが見えた。

 私の父や祖父くらいの年代に見える、黒い軍服を着込んだ体格のいい者ばかりだ。

 彼らは真顔でこちらを凝視していたが、ふいにバンッと書類の束をテーブルに叩き付けて席を立った。

 そうして、一斉に私の方に向かってくるではないか。


「あわわわわ……お、落ち着いて……」


 戦々恐々とした私は、腕の中の真っ白い毛玉をきつく抱き締める。

 みぎゃっ、とそれから声が上がったのと、私が筋肉の波に呑み込まれたのは同時だった。



「「「「「「はわぁあああ……モフモフうううっ!」」」」」」



 六重奏の野太い歓声が響く。

 私が抱えていた毛玉は扉を開けてくれた男性のムキムキの腕に移り、他の面々がそれを囲んで表情筋を崩壊させていた。

 それぞれの手には、紐の先に鳥の羽根を束ねた猫じゃらしや、毛糸のボール、鼠や鳥のぬいぐるみなど、猫の興味を引くようなオモチャが握られている。すると……


「にゃあん」


 愛らしい鳴き声とともに、毛玉からにょきにょきっと四本の足が飛び出して宙を掻いた。クリームパンみたいなその先には、ピンク色をしたプニプニの肉球が付いている。

 大きな毛玉に見えていたのは、丸々とした体型のネコだったのだ。


「「「「「「はわわわわわ……!!」」」」」」


 頬を赤らめて震えるおじさん達を、つぶらな金色の瞳がぐるりと見回す。

 ブリティッシュロングヘアっぽい、足が短めの長毛種である。

 さらに、そのお腹の毛の間から白いものが五つ、ポンポンと飛び出し、周りを囲んでいたおじさん達それぞれの腕へダイブした。

 彼らの片手に乗るくらい小さい、真っ白くてふわふわの子ネコ達だ。


「「「「「ミーミー、ミーミー」」」」」


 たちまち可愛すぎる大合唱が始まった。

 子ネコ達のつぶらな瞳はうるうるとしていて、見慣れた私でさえ庇護欲を掻き立てられる。

 それらにキュルルンと見上げられた男性達は──一斉に身悶えした。



「「「「「かぁああわいいいいっ!!」」」」」



 これを皮切りに、重厚な扉の内側はたちまち猫カフェっぽい空間に早変わりする。


「うふふふ、おいでー! おじさんと遊ぼうにゃん!」


 絨毯の上に這いつくばり、リズミカルに猫じゃらしを揺らして子ネコを誘う、ロマンスグレーの髪と口髭のイケてるおじさん。


「あははは、上手だねー! よーし、おじさんとてっぺん目指そう!」


 同じく絨毯に両膝を突いて、子ネコとボールを転がし合いっこするのは、額に向こう傷がある強面のおじさん。


「チュウチュウ! チュウチュウチューッ!!」


 軍服の袖口から鼠のぬいぐるみを覗かせて子ネコを誘う、メガネをかけたインテリヤクザっぽいおじさんなんて、人語を忘れてしまった。


「わーい、わーい! たっのしーいっ!!」


 長テーブルと椅子の間で子ネコとかくれんぼうをする、黒髪をオールバックにしたおじさんは、童心にかえりすぎだろう。


「えへへへへっ! ほぉら、おじさんを捕まえてごらぁーん!」


 スキンヘッドで強面のおじさんが、傷付いて飛べない鳥を演出するため床に寝転がり鳥のぬいぐるみをジタバタさせているのは、さすがに止めた方がいいだろうか。


「うふふふ……いいにおいがすりゅ……」


 最後に、ブリティッシュロングヘアっぽいネコのお腹に顔を埋めてスーハーしている男性──扉を開けてくれた一際ムキムキの彼は、まだおじさんと呼んでは気の毒かもしれない。

 ネコは何とも言えない表情をしてこちらを見つめてくるが、子ネコ達の方はおじさん連中と一緒になって大いにはしゃいでいた。

 

「い、いつものことながら、全力で遊ぶなぁ……」


 半年前まで勤めていた猫カフェにおいて、老若男女が猫にメロメロになる光景は数えきれないほど見てきたが……


「ここまで人目も憚らずデレデレできるの、逆にすごいな」


 とはいえ、軍服おじさん達の乱痴気騒ぎを廊下を行き交う人々の目に晒すのは忍びない。

 私は、お茶のセットが載ったワゴンを部屋の中に引っ張り込むと、慌てて扉を閉めた。

 なんとか、彼らの沽券を守れたことにほっとしていると……


「──遅いぞ、タマ! 一体どこで油を売っていた!」


 鋭い叱責の声が飛んできて、私はひゃっと首を竦める。

 入室の許可を出したのと同じ声だ。


「わわっ……ちょっ、ちょっと……!?」


 大きな手に腕を掴まれたかと思ったら、ぐいぐいと部屋の奥へ引っ張られる。

 上座に置かれた椅子に座り直し、当たり前のように私を膝の上に抱え込んだその人は、他のメンバーとは異なり淡い灰色の軍服を纏っていた。

 年は、私より五つ上。

 金髪碧眼のすこぶる整った見た目をしているが……


「きょ、今日はまた一段と濃い隈を装備してらっしゃる……」


 最初に扉を開けてくれた男性の体で隠れてしまい、ここまで私の視界に入ってこなかった第七の人物──いや、むしろ第一の人物と言うべきだろう。

 なにしろ彼は、この場で誰よりも重要な立場にあるのだから。

 満を持して登場したその人は、モフモフに夢中になっているおじさん達を尻目に……

 

「──タマ、吸わせろ」


 大真面目な顔をして、とんでもないことを宣った。




 二十歳の誕生日を迎えたあの日、あの夜──私はたった一人、猫カフェの店内を掃除していた。

 閉店とともにキャストのお猫様達にはバックヤードへお帰りいただいたため、店内に残っていたのは珍しくケージに入るのを嫌がったマンチカンのオス、ミケだけである。

 キリッとした顔立ちと短い足でてちてち歩く姿のギャップがたまらないマンチカン。

 穏やかで人懐っこい性格だと言われるが、ミケはツンデレ……いや、ツンツンツンツンツンデレで、普段は猫一倍つれない子だ。

 しかし、客から理不尽なクレームを受けたり、店長にきつい言葉で叱責されたりして私が落ち込んでいると、そっと隣に寄り添ってくれる優しい一面もあった。

 あの日もきっと、私が先輩スタッフに仕事を押し付けられたのに気づいて、付き合ってくれていたに違いない。


「ミケ、心配してくれてるの……?」

「なあーん」


 その金色の毛並みに顔を埋めても、短い両の前足を掴んで肉球をクンクンしても嫌がらないばかりか、鼻キスまでサービスしてくれた。

 そんなミケのおかげで気を取り直し、ようやく掃除を終えようとした頃のこと。

 ミーミー、というか細い鳴き声が耳に届き、私は身構えた。


「こ、これって……子猫の声? どこから……」


 声は、玄関の方から聞こえてくる。

 店は雑居ビルの一階にあるのだが、扱いに困った猫をこっそり置いていかれる事案が度々起こっていた。

 猫カフェなら喜んで引き取ってもらえると安易に考えてのことだろう。


「いや、猫カフェだって際限なく飼えるわけないし、うかつに受け入れちゃうと店長から大目玉を食らうんだけど……」


 それでも子猫の痛ましい鳴き声を無視しきれず、ひとまず様子を窺おうと玄関に近い窓から頭を出した──その瞬間。

 後頭部に強い衝撃を受け、私の意識は途切れてしまった。




「なあーん……」


 気怠そうな鳴き声が聞こえて、過去へ飛んでいた思考が引き戻される。

 鳴いたのは、厳つい軍服男性にお腹を吸われまくっているブリティッシュロングヘアっぽいネコだ。

 このネコこそ、私の後頭部に直撃した張本人だった。


(今でもまだ、夢を見ているんじゃないかって思う……)


 あの出来事をきっかけに、自分が時空を超え、生まれ育ったのとは異なる世界に転がり込んでしまった──なんて。

 訳ありの私とネコを庇護することになったのは、ベルンハルトなる王国だった。

 半年前、やたら豪奢なベッドの上で目を覚ました私の側には、元凶たるネコと……


「タマ、さっさと吸わせろ」


 今現在とにかく私を吸いたいらしい、この金髪碧眼のイケメンがいた。

 私は彼の胸に両手を突っ張って距離を取りつつ叫ぶ。


「か、顔がいいからって、何を言っても許されるわけじゃないですからねっ!?」

「タマが最初に言ったんだろうが。事もあろうに、初対面の私に向かって」


 最初に会った時、彼はベッドの側に置いた椅子に座り、仰向けに横たわる私の左脇腹近くに突っ伏して居眠りをしていた。

 後から聞いた話では、多忙な身にもかかわらず無理矢理時間を作っては、昏睡状態の私に付き添ってくれていたらしい。

 なお、私が目覚めるまで十日を要したという。

 そんなこととは露知らず、起き抜けでぼんやりとしていた私は、目の端に入った彼の金髪を、気を失う直前まで一緒にいたマンチカンのミケの毛並みと勘違いしてしまう。

 誰かによってベッドに運ばれた私に、心配したミケが寄り添ってくれている、と思ったのだ。

 まさか、異世界に転がり込んでいるなんて知る由もなかった私は、横になったまま左手を伸ばして金色の毛を撫で回す。

 この時、愛しいミケへの思いの丈を吐き出すのに、何のためらいも覚えなかった。


「ミケかわいい、尊い、抱っこさせて、吸わせて──だったか?」

「わーっ!!」


 半年前の自分のセリフが、低く艶やかな男性の声で再現される。

 私はたまらず両手で口を覆った。

 自分のではなく、目の前の彼の口を。

 

「いや、だって! あの時はですね、相手がミケだと思ってましたし! それに寝ぼけていたからノーカン……」

「そんな言い訳は聞かないし、なかったことにもならん。そもそも──私も、ミケだ」


 すかさず、私の両手をひとまとめにして引き剥がし、堂々たる態度で〝ミケ〟を名乗った彼のファーストネームは、ミケランゼロ。

 イタリアはルネサンス期の天才芸術家を彷彿とさせる名前だが、本人は彫刻や絵画のモデルとしての方が重宝されそうな美青年だ。

 しかも……


「こ、こんな──とんでもないイケメン王子様とゼロ距離だなんて、過呼吸になったらどうしてくれるんですかっ!」


 何を隠そう、彼はこのベルンハルト王国の王子である。

 私とネコはある理由から、彼をはじめとするベルンハルト王国軍に拾われ、庇護されることになった。


「ミケはちょっとは自重してください! こちとら、筋金入りの人見知りなんですよっ!」

「何を今更。私とタマの仲ではないか。私を愛称で呼ぶのもお前だけだぞ」


 最初にマンチカンのミケと間違えて触れたことで、人見知りを発動する前に距離が縮まり、私はそのまま彼をミケと呼ぶに至っている。

 そんな風に、人間のミケとの出会いを回想していると、ふいに笑い声が聞こえてきた。


『ふ、ふふ、ふふふ……』


 目の前にいるミケでも、子ネコと遊ぶのに夢中なおじさん達でも──それどころか、人間ですらない。


『ぐふっ、ぐふふふ、ぐへへへへ……にゃーははははあっ!』


 聞くに耐えない笑い声の発生源は、ブリティッシュロングヘアっぽいネコだったのだ。

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