過去と記憶














「またね」と言ってまた会うことができるのはひと握りの恵まれた幸せの象徴なんだと思う。



少なくとも僕はそんな環境に生まれなかった。



放課後遊んだ親友が次の日には帰ってこなかった。



またねと交わした彼女が次会うときには行方が分からなくなっていた。




『いまを大切に』




それを主軸として生きてきたつもりだ。こんなところで命は捨てたくない。



今この判断をすることで僕の未来の『いま』が潰れてしまうと思ったから。




でも。




でもそれは間違いだと悟った。



目の前にいるこの子は、自分の未来の『いま』のために、誰か未来の『いま』のために魔物を倒したいと言っているんだと。



だから行ったまで。




『二人で助けましょう』




あの子とそう誓ったから。




「…勝ってやる」






勝って、今すぐに帰ってやる。






僕には、まだやることがあるんだと。






そう自分に言い聞かせて、山へと向かった───…






──────────────……





「っん…」




身体が痺れて、動かない。




「エマちゃん!!」




氷の刃がとっさにわたしに向かった攻撃の軌道を変え、消滅する。



(だめだ、倒せない)



厄介すぎる。目に見えない攻撃は防げない。



「…こいつ、僕と全く同じ思考じゃないか。僕が同じ立場なら申し訳ないけどエマちゃんを潰すね」



「…分かってます、わたしが一番劣ってることくらい!!アリアちゃんは背後から攻めてください!わたしなら大丈夫なので!!」



力を出し切れないのはソルンに防御魔法をかけているせい。

同時に気にかけるなんて集中力も戦意も気力も削がれてしまう。



(これをわたしたちにやってくれていたソルン、すごい)



やっぱりわたしが一番劣っている。




杖を握る手が強くなる。



滲み出た汗が杖をじわりと湿らせる。




(なんでこんなに手こずってるんだろう)




フレアーンの防御魔法が上手いわけでも、攻撃力が高いわけでもない。でも何故か『決定打』を打つことが出来ない。



なら何故?何故こんなに長引いているの?




「!!危ないっ」



ミルクブラウンの髪が視界に入ると同時に、共に地面に倒れ込む。


突然晴れ渡ったスカイブルーの空が視界に入ってはっと我に返る。



「…っレン、さん」



「エマちゃん、しっかりするんだ!!気を抜いたら死ぬよ!!!」



(……この気配…)



「…レンさん、もしかして魔力探知、苦手ですか」



「…?っなんでそれを」



「…レンさんは攻撃を引き付けて。わたしは『決定打』を撃ちます」



彼はわたしの意図を見抜き弾かれたように走り出し、浅い攻撃を隙間なく繰り出す。




大丈夫、わたしならきっと倒せる。




強く、強く杖を握って。


胸元で輝く翡翠のペンダントを撫でて。


毛先についた髪飾りを軽く握る。




わたしの宝物たち。











これで、決め────────











『エマ』







頭の奥で反芻する、柔らかい声。






わたしがずっと求めている声。







「…翡翠の、瞳、の男の、子…?」







視界が真っ暗になる。





「っエマちゃ───」







アリアちゃんが呼び止める声すら、遥遠くで聞こえた気がして、そのままわたしの意識は吹き飛んだ────














──────────────……









───雨上がりの少し湿った緑の匂い。


雨粒が葉を滑り落ちて広大な地へと着地する。


快く晴れた空を見渡して、幼い少女はくすくすと笑い声をあげる。


少し離れたところで聞き慣れた柔らかい声がする。





「エ〜マ〜?!どこだ~?」



「エマさーん!!」




…今、わたしは何をしてたっけ?




「あっみ〜つけた!!」



「わ!!みつかっちゃったー!!もう、つよいよ…!!」






傍らでにこにこと微笑んでいるのが若いトパーズの髪の女の人。


彼女の腰ほどの背の高さの小さな女の子。


そして、金髪で翡翠のような瞳の、男の子。






どこかで見たことがあった。



似ている。わたしに似ている。



否、小さな女の子はきっと…






「………ちいさいころの、わたし…?」







それ以外の答えなんてなくて。ただ呆然と湿った土の上に佇むことしか出来ない。


動きたいけど、身体が動かない。


わたしがずっと求めていたものが目の前にあるというのに、涙さえでなくて。




触れたい、話したい、会いたい。





でもどれも叶わない。






「はは、じゃあ次はエマが探すかい?」



「嫌だ、エマは隠れたいよ!ゾネさんが探してね!」



「あら、私ですか?…わかりました、じゃあ十数えますからね…いーち、にーい、さーん」




きゃっきゃっとはしゃぎ回りながら、あちこちを駆け回り茂みに隠れた少女は、ただひたすらに無垢だった。




なんて平和な光景。




わたしにはこんなに長閑な記憶がなくて、ただ悲しい思い出だけが脳裏に焼き付いている。



戦争を思わせない、ただひたすらに静かな、そんな世界。




「みつけましたよ〜!」



「どうしてなのー!ゾネさん、もっとエマをおそくみつけてよ!」



「はいはい、わかりましたよ。でもそろそろ迎えのものが来てしまうかもしれないので部屋にもどりましょう」



「ああ、頼むよゾネ。エマを宜しく。僕はここで迎えを待っておくよ」








───またぷつりと意識は途切れ、場面は小さな部屋へと移り変わる。





薄暗い部屋、小さなベッドと小さな棚、それから小さな机がひとつ。


質素で簡易的な小部屋で少女と“ゾネ”と呼ばれる女性はベッドの片隅に座り込む。




「…ねぇゾネさん…なんでエマはお外に出ちゃだめなの…?」



「…エマさんには、いつかきっと解き放たれるときがきます。今は…今だけだと思ってください…」



悲痛な声とともに、小さく膝を抱えた少女を抱きしめ瞳を閉じる。





…なんで。







なんでわたしは、覚えていないの?






これは“存在するはずの記憶”なのに。







忘れている、というよりかは“なかったことになっている”のほうが近いのかもしれない。


小さなわたしはこれを大切な記憶として置いておかなかったのだろうか?



記憶を失っている今となっては、この過去がどれほど大切なものなのか分かるはずなのに。





…無理な話だ。これはきっと自らで思い出した記憶じゃない。





薄暗い部屋がどんどん白い闇に蝕まれて、真っ白な空間へと意識が飛ぶ。




今見ているものは何?



過去か、呼び起こされた記憶か。







そして、わたしの意識は唐突に無くなった────……









───────────────……










(…あれ、わたし…は…)





「エマちゃん!!!」



「アリア、ちゃん…?」



「早く立って、レンさんが攻撃を惹き付けてくれてるうちに!!」





…嗚呼、現実だ。




先程まで見ていた光景を、呼び起こせないというのに何故か落胆しているわたしがいる。



(なにが、あったっけ…)




「はやく、エマちゃ───」








目の前の小柄な少女はエメラルドの瞳を大きく開く。絶望が滲んだ瞳。




少しの揺らぎも無い、わたしたちを狙った真っ直ぐな攻撃。




それがもう、目の前に迫っていた。


一秒の猶予もない攻撃。





「…ありっ……」






そう短く声をだして、やっと気がついた。








「当たって、ない…」









…………本当にいつも、いつも助けてくれるね。









目の前には見慣れた堅い防御魔法。








「はぁ、はぁ…」





「ソルン!!」




息を切らして杖を握ったソルンが、瞳に映る。




「…はぁ、なんだよこれ、起きてすぐどういう状況…?」



「レンさんのフレアーンに襲撃されています!レンさんが今攻撃を惹き付けてくれているのでその隙に倒します!!」



「了解」



「アリアちゃんもレンさんの補助にお願いします。きっともう限界だと思うので」



「分かった、すぐ向かう!!エマちゃんくれぐれも死なないようにね!!」





ゆっくりと呼吸を整える。


魔力を落として、極限まで薄く。


今はあの記憶について考えちゃだめ、フレアーンを倒すことだけに集中して。



(心臓を、核心を突く)



圧縮した炎の塊をひとつの矢へと力を込めて。








「ファイアー・アロー《炎の矢》」








そしてその矢は真っ直ぐに。








真っ直ぐに、フレアーンの胸を貫いた─────










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