第32話

   

「あ。長崎? 何だ? どうした?」


 大輔と知世は同じクラスの仲間だ。これまでもクラスメート同士としてなら気安く話もしてきたが、さりとて仲の良い友達同士というわけでもなかった。


 教室以外の場所で偶然に顔を合わせたりすれば「何してんだ? こんなところで」的な世間話をする事もあったが基本的には用事が無ければ話し掛けないし相手からも話し掛けてはこないような間柄だ。


「昨日のドラマ観た?」とか「宿題ちゃんとやってきたの?」みたいな雑談とは違うちゃんとした用事が何かあるのだろうと大輔は思った。


 だがしかし、


「二人だけで話したいことがあるんだけど。あとで時間もらえるかしら?」


 そこまで意味ありげに誘われてしまうと逆に何かの冗談なのではないだろうかとも思えてきてしまう。


「あはは。告白されると思った? するわけないじゃない。真田君てバッカねぇー。ハイ。チャッチャラー!」


 などというようなドッキリを仕掛けられてしまうほど大輔と知世の関係性は良くも悪くもなかったはずだが。


 大輔は数瞬の逡巡の後に頷いた。


「ああ。いいよ」


 努めて冷静に振る舞った。危うく「いいぜ」と言いそうになったがそれは格好付け過ぎだろうと踏み止まった。


「きゃーッ!」とその場に居たクラスメートたちが騒ぎ始める。


「真田……爆発しろ!」


「いや。その手の話じゃないだろ」と大輔は首を振る。


「見えます……。生涯分の幸運を使い果たした真田氏はもう二度とジャンケンで勝つことはないでしょう」


「嫌ぁな未来だけど男気ジャンケン方式なら安泰だな」と大輔は胸を張る。


 冗談半分、本気半分でやっかむ友人連中を軽くいなしながら大輔は「長崎。今日の放課後で良いか?」と話をまとめる。


「私は大丈夫だけど真田君は部活があるんじゃないのかしら。野球部のエースなんでしょう?」


「いや。俺はピッチャーじゃないからエースではないんだけど……そうだな。ああ。放課後は部活だ。……悪い。なんか抜けてた。忘れてた……何でだ」と大輔は眉間にシワを寄せる。


「舞い上がってんじゃねーぞ。真田ぁ!」


「……ぐうの音も出ねえわ」と大輔の鋭かったツッコミにも陰りが見られ始める。


「ふふふ」と知世にも笑われてしまった。


「それじゃあ放課後に少しだけ。部活に行く前に話せるかしら。すぐに終わると思うけど、もし話が長引きそうだったらまた後日に改めて」


 すぐに終わる話ならば今から二人でこの場を離れて――もしくは「聞いたな、皆。俺と長崎で内密な話をするから今すぐ全員この教室から出ていけ!」とクラスメートたちをどこかへやって、ささっと済ませてしまっても良いのではないかと大輔は少しだけ思ってしまったが、相手は押しも押されもせぬ我らが長崎知世だ。その顔を立てる意味も含めて、


「ああ。分かった。それでよろしく」


 と頷いて迎えた放課後。


 大輔は知世に連れられて廊下を歩いていた。


 普通校舎の二階。教室を出てすぐの廊下をしばらく歩いて立ち止まる。


「ん? こんなところで良いのか?」


 大輔が振り向くと教室の出入り口から顔だけを覗かせてこちらの様子を窺っていたクラスメートの何人かと目が合ってしまった。


「すげえ見られてるけど」


「いいのよ。見られてても。話が聞こえなければ」


 確かに。教室から此処は見えるが声は聞こえないであろう絶妙な距離だった。


 しかし。大輔はいよいよ意味が分からなくなってきてしまう。


「それで。話って何だ?」


 改まってするにしてはこんな場所だ。


 他人に聞かれたくはないが見られている分には構わない話とは何だろうか。


 大輔には見当も付いていなかった。


「ええ」と知世はわずかに緊張の面持ちを見せた――気がする。それは一瞬の事で、大輔が瞬きをしている間に知世の表情はいつもの自信満々なものに戻っていた。


「その窓の外を見てくれる?」


「窓の外?」


 促されるまま外を見るが、ただただ普通の景色が目に映るだけで特筆すべきようなものは何も無かった。


「……何だ?」「何処を見れば良いんだ?」「何かあるのか?」「上か? 下か?」


 気分的にはケッコウな時間、付き合ってやってはみたものの、たいした落ちも見付からず、


「おい。長崎――」


 と大輔はさながらノリツッコミの要領で勢い良く振り返った――否。振り返ろうと首は動かしたが目玉の向きは窓の外に残されていた。何故なら、


「――ん?」


 大輔が振り返ろうとした刹那、窓の外を上から下へと何か……「大きな陰」が通り過ぎていったのだ。大輔の目は「それ」に奪われていた。


 約1秒後――ドシャッ! とまるで巨大な水風船でも弾けたのかと思うような音が聞こえた。


「タイミングが悪いわね」


 大輔の後ろで知世が小さく呟いていた。


「何だ。今の……」と大輔は窓ガラス越しに下を見る。……見てしまった。


「……嘘だろ」


 さっきまでは何も無かった地面に「ヒトガタ」が張り付いていた。


 その人形は大輔と同じ服装をしていた。この学校の男子生徒だ。


 その顔は――距離と角度のせいで大輔にはよく分からなかったが、とても「ニンギョウ」には見えなかった。説明の仕様が無い「本物」ならではの雰囲気が醸し出されていた。


「キャーッ!」


「うーわッ!?」


「おぉ!?」


 足元の方向から幾つかの大きな悲鳴が聞こえてきていた。人形を間近で見た、見てしまった人たちの反応だろう。


 飛び降り自殺……? いや、事故の可能性もあるのか? 可能性の高さで言えば、


「……ドッキリか?」


 そうであってほしい。そうであれ。大輔は十二分に驚かされた、もう早く「チャッチャラー!」を聞かせてくれ。


 飛び降り自殺の真似だなんて冗談にしても悪質だが今の大輔はその「悪質」を心の底から望んでいた。「馬鹿ッ!」と「やり過ぎだ!」と怒鳴らせてもらいたい。


 だって、


「長崎……お前、さっき『タイミングが悪い』とか言ってたよな?」


「……言ったかしら?」


「聞こえてたぞ。お前、知ってたのか……?」


 アレが本当に人間なのだとしたら。長崎知世は誰かが上から落ちてくる事を知っていながら、それを止めようともせず、あまつさえ大輔に「窓の外を見て」とその決定的瞬間を目撃させようとしていたという事になる。……何の為に?


「アリバイ工作か?」


 ぼそりと大輔は漏らした。ふと頭に浮かんだ突拍子も無い説だった。しかし確かに思いはしたものの口に出して言おうとしたわけではなかった。大輔も混乱していた。


「え?」と目を丸くした後、知世は「あはは」と大きく笑った。


「推理小説じゃないんだから」


 唇を横に引いて、知世は得意顔をこしらえる。


「――現実はもっと奇なりよ」


「……上手い事でも言ったつもりか?」と即座にツッコもうとした大輔だったが、


(……何だ。声が出ない?)


 自身の異変に気が付いて、ツッコミどころではなくなってしまった。


 ――ぐにゃり。


 大輔の視界が歪む。


 信じられない、信じたくないモノを目にしてしまったせいで立ちくらみを起こしてしまったか。しっかりしろ。大輔が自身を情けなく思っていると、


「真田君?」


 知世が声を掛けてきた。心配するというよりは不審がられているような、こちらの様子を伺うようなその声色に大輔は発憤興起する。


「何でも無い。俺は大丈夫だ。それよりも長崎。話の続きだ」


「…………」と知世は黙っていた。こくんと頷きもしなかった。


 黙秘権の行使だろうか。小賢しい。


「俺には聞こえてたぞ。さっき上から『何か』が落ちてきた時、長崎は『タイミングが悪い』と言っていた。少なくとも長崎は『落ちてくる事』を知っていたんだな?」


 知世に逃げられないよう、知世が認め易いよう、大輔は細かく詰めていっていた。


「そもそも俺に『窓の外を見ろ』と言ったのも長崎だ。その為に俺を呼び出したのは昼休みだった。そう考えると長崎が知っていたのは随分と前からになる。長崎は」


 と大輔が口を動かしているさなかだった。


 大輔の視界の端にあった窓の外でまた、上から下へと「何か」が落ちていった。


「――え?」


 ――ドシャッ!


 大輔の声とあの水音が重なった。


「また!? もう一人!?」


 驚いた大輔が慌てて窓の下を覗き込むも、


「何だ? どういう事だ……?」


 何故か地面には一人分の人形しかなかった。


「キャーッ!」


「うーわッ!?」


「おぉ!?」


 悲鳴なんてものはどれ似たり寄ったりだろうが、それにしても聞き覚えがある気がしてならない大きな悲鳴が大輔の耳には聞こえてしまった。


 ……なんだ? なんなんだ? これは。 どういう事だ……?


 混乱しきりの大輔に、


「真田君! ヤバい!」


 と追い打ちが掛かる。教室の出入り口からこちらの様子を窺っていたクラスメートの一人が急に大きな声を張り上げたのだ。それはまるで悲鳴だった。



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