第30話

   

 たとえ「リセット前の事を覚えていられる」大輔だとしても、自身が生まれる前にまで戻れば――一時的にだが「真田大輔」という存在そのものがこの世から無くなってしまえば、流石に「ショック」を含めた全てを忘れてしまうに違いない。


 母親のお腹の中、胎児の状態でも「ショック」を引き継いでしまい、結果、死産となってしまう可能性も考えなくはなかったが、真田大輔が産まれる十月十日前にまで戻ってしまうと半年お姉さんの知世も胎児になってしまう。そうなると今度は知世の方が「同じ道を『完璧』に辿る」と「サナダ・ダイスケ」の二つを覚えていられるか分からなくなってしまう。生後6ヶ月でも覚えていられるか不安なのに。


 この深い深いリセットは知世にとっても大きな賭けだった。


「完璧」と「サナダ・ダイスケ」を心に刻んだ知世は順調に歳を重ねていった。


 あれからリセットはまだ一度も使用していない。


 感覚的には「できる」と分かっていたが今の知世にリセットは必要なかった。


 試行錯誤などしなくても前回の人生のトレースは完璧だった。


 全てを記憶しているわけではないのに「なんとなくわかる」のだ。「正解」が。


 要所要所でフラッシュバックしている感覚があった。「そういえば……」といった具合に記憶が蘇る――気がしていた。


 もしかしたら知世はただ「分かっているつもり」なだけで、自分が通り過ぎた道を「正解」だと思い込んでしまっているだけなのかもしれない。


 仮にそうだったとしても今の知世には何度も日々を繰り返している暇は無い。


 早く。早く17年――いや、知世が最後にリセットをしたのは高校三年生の時だったが高校入学と考えれば15年――の月日を重ねて「サナダ・ダイスケ」と出逢いたい。


 顔も声も性格も思い出せないがその名前と高校で出逢う事、そして何よりも知世のリセットに抵抗する「チカラ」を有している、世界でただ一人の「仲間」であるという事だけは覚えていた。折に触れては呼び起こされてきた記憶の欠片の寄せ集めだ。


 リセットから10年以上の時が過ぎ、中学生になった知世はふと疑問に思った。


「私は前回の人生を完璧にトレースしてる――はずだけど。サナダ・ダイスケは違うのよね? これでいいのかしら。大丈夫なのかしら」


 前回の真田大輔は知世が乱用したリセットの影響を受けに受けた状態で知世と同じ高校に入学していた。今回、一度もリセットの影響を受けなかった大輔が前回と同じ高校に入学するのかどうか。


「もしかして私、リセットしたことも含めてトレースしなきゃいけなかった?」


 もう一度、最初からやり直した方が良いのではないかと不安にもなってくる。


 が、そもそも真田大輔がきちんとこの世に生まれているのか、死産になっていないかでさえ本人に逢ってみないと、もしくは「逢えなかった」という結果を得るまでは知世がどれだけ考えたところで答えなど出ないのだ。


「高校生になってみて、それでも逢えなかったらまたそのときに」


 と考えをまとめたすぐ後に「でも」と再び不安がよぎる。


 知世の中では「大丈夫よ」と「大丈夫かな?」が交互どころか同時に湧き上がっていた。


 気持ちが落ち着かない。


「早く高校生になりたい」


 不安も確かにあるのだが決してそれだけではないのだ。


 これは期待か。


 あと3年、2年、1年と再会のときが近付くに連れてワクワクやドキドキが増してきていた。


 通算で何度目かの受験は余裕でパスしてついに高校に入学をする。


 一年生の教室に「サナダ・ダイスケ」は居なかった。


「待って。思い出す。彼とはじめて同じクラスになったのは二年生のときだった気がする」と知世は沈みかけた気持ちを立て直す。あとたった1年の辛抱だ。


 二年生になって、


「――居た!」


 知世はクラスに「サナダ・ダイスケ」を見付けた。


「待って。待って。待って。でも待って」と知世は踊る心を落ち着かせる。


 知世の中の知世が「ここで声をかけることは『正解』じゃない」と警告していた。


「いまさら尻込み?」「ここで焦ればまた全てが『水の泡』よ」「その『水』を盆に返そうとやってきたの。私ならそれができるから」「待って。まだ。イマじゃない。彼を取り戻すには」「17年も待ったのよ」「だからこそ。もう少しだけ」


 知世の中では誰にも見えない、分からない葛藤があった。


 はやる気持ちを抑えて、押し返しての日々を経て――、


「――イマ! ここで声をかけるのが『正解』よ!」


 と、ようやくGOサインが出される。


 知世は「長崎知世らしさ」を忘れずにゆっくりと椅子から立ち上がった。


 しゃなりと歩いて真田大輔の前に立った知世は、


「真田君。ふたりだけで話したいことがあるんだけど。あとで時間をもらえない?」


 完璧な微笑みを携えて彼に尋ねた。


   


 真田大輔、16歳。高校二年生。野球部。一年生でレギュラーに定着しながらも鍛え上げられた大きな体でホームランを連発するといった分かり易い実力に生来の人柄もあいまってか先輩方からイジメられる事も同学年生たちに距離を置かれてしまう事も無かった大輔は今、そのなだらかな人生で一番の大事件を目の当たりにしていた。


「財布ん中にはいくら入れてたんだよ」


「……20万」


「はあ? ニジュウマン!? なんでそんなに入ってんだよ」


「……学校帰りにスマホ買い替えるつもりで」


「くあぁ~……アホだなあ」


 昼休みの教室。クラスメートの南河利夫が財布を無くしたと落ち込んでいた。


「よく探したの?」


「実は家に置いてきたとかじゃなくて? 本当に持ってきてはいたわけ?」


「いつまでは確実にあった?」


「今日歩いたルートをもう一回歩いてみよう。途中で落としたか置き忘れてるかも」


「先生にはもう話した? 拾った人が職員室に届けてる可能性もあるよ」


 クラスの皆が自分の事のように心配していた。考えていた。本当に良いクラスだと大輔には思えていた。


「先生に言って校内放送で『拾ったら届けてください』とか言ってもらうか?」


「それは……どうなん? 同じクラスの俺らはまだしも他学年のヒトらにそんなこと言ったら宝探しが始まっちゃわねえ? 20万も入ってたらゼッタイ抜かれるだろ」


 誰かが言った。大輔も、


「そんなことねえよ。お前らほど良い奴らじゃなくても、そこまでの悪い人間はこの高校にはいねえって」


 とは流石に思えなかった。今日までの16年間強、順風満帆と言ってしまっても良いほどの人生を送ってきた真田大輔だったが、そこまではおめでたくなかった。


 南河利夫の無くなった財布が見付かれば最高だが、見付からない可能性もあるし、財布自体は見付かったとしても20万円もの大金が入れられていたら一部ないし全部、抜き取られてしまっている可能性も十分にあるだろう。


 現実的な線で考えれば、


「……カンパか?」


 20万円喪失分の悲しみを言葉だけで慰めきる事は難しい。はっきり言えば無理だ。


 20万円を失って空いた心の穴を手っ取り早く且つ確実に埋めるにはやはり20万円が必要だろうと大輔は思った。


 だが、


「一人あたり500円としたらクラスメート全員分でも2万弱か。んー……。それだと無くしたカネの十分の一にもならないし、ここで『カンパ』とか言い出したら雰囲気的に誰も断れないよなあ。それだと実質カツアゲになっちまうか」


 と大輔は思い直して発言を控えた。


(……他に何か俺に出来る事ってあるか?)


「うーん」と唸る大輔の向かい側から、不意に場違いな声が聞こえてきた。


「犯人はこの中に居るわ!」



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