第26話

   

「真田君」


 ベンチの端に座って項垂れている大輔に知世は声を掛ける。


 返事は無い。


「真田君」と知世はもう一度、声を掛ける。


「……お? どうした?」


 その返事はベンチの中央辺りから聞こえてきた。大輔の声ではなかった。


「試合中にごめんなさい。真田君に急用があって」


 知世は瞬時に言い繕う。


「おう。真田。モテモテだな。美少女からのお呼び出しだぞ」


「そりゃ、初球ホームラン2連続は俺でも惚れるわ」


「長崎さんの急用だろ? マジな話なんじゃねえの?」


 ベンチに座っていた大輔のチームメイトたちは口々に囃し立てたが当の真田大輔はいまだに無反応だった。


「真田?」とチームメイトたちも大輔の異変に気が付き出す。


「……燃え尽きたか? 真っ白に」


「2連続ホームランはマンガだったけどな。ボクシングじゃねえから。野球だから」


「前髪もそこまで長くねえしな」


 はっはっはと最初は冗談交じりだったチームメイトたちも、


「真田……? おい。寝てんのか?」


「この状況で寝落ち? 大物かよ」


「てか気絶? ……マジか。これ、放っておいていいやつか? 保健室とか」


 いくら騒いでも大輔が全く動かない事実に気が付くとおろおろと慌て始めた。


「保健室で大丈夫か? 救急車か?」


「さすがに救急車は大袈裟だろ」


「馬鹿。見ろよ。真田。まぶたは開いてるのに動かねえとか異常だろ。ヤバイって」


 知世は、


「真田君……」


 動かない大輔も大輔の為に慌てる彼らの姿も見ていられなくなって――リセットをした。


 教室の中。休み時間。


「真田君――」と知世は大輔の席を見た。


 大輔は机に突っ伏して、まるで眠っていた。


 暇を持て余して寝る、もしくは暇である事を隠す為に寝た振りをしている――その格好の生徒自体は時々見掛ける事もあったが、大輔がそんな事をしている姿は非常に珍しかった。


 その証拠でもないがクラスメートの何人かがちらちらと大輔の事を見ながら、


「……お疲れなのかな」


「え、真田君て疲れるの?」


 などとささやき合っていた。


 真田大輔の「奇行」は多くのクラスメートたちに認知されていたが、その内の誰も大輔に直接、声を掛けようとはしなかった。


「……『さっき』は大騒ぎしてた男子も」


 ぽつりと知世は呟いた。それは溜め息のようだった。


 知世の言った「さっき」とはリセットをする前の事だ。大騒ぎとはベンチで慌てるチームメイトたちの事だ。帰宅部ばかりを寄せ集めたあのチームは多クラス合同ではあったものの中にはこのクラスの生徒が何人も居た。


「真田君との繋がりが無くなってる……」


 知世がリセットをしたせいだ。そのリセットを乱用して得た繋がりではあったが、結局は水泡に帰してしまった。……同じ「水」なら「覆水盆に返らず」の方が合っているだろうか……。この期に及んで知世は変な事を考えてしまっていた。


「……いいえ」


 静かに首を横に振った知世は今一度――リセットをする。


 此処は知世の自宅マンション。そのリビングで知世と大輔は白いテーブルを挟んで向かい合っていた。大輔はやはり動かない。


「真田君。ケーキ……食べなさいよ」


 知世が呟く。最早それは独り言のようだった。


「食べてくれると助かるの。言ったじゃない。ウチは三人家族なのにお父さんが5個も6個もケーキを買ってきちゃったのよ」


 大輔からの返事は無い。


「今日」は大輔が初めて知世の自宅マンションに来た日だ。


 この前夜に知世がリセットをしたら「緊急避難」せざるを得ない状況だったのかと心配してくれた大輔が電話をくれた。が知世はその電話を取らなかった。


「……だって怒られると思ったから。心配してくれてたなんて思わなかったから」


 明けて今日の学校で大輔に、


「……何があった?」


 と真剣な面持ちで詰め寄られてしまった時もまだ怒られるものだと思い込んでいた知世は、


「夜、コンビニに行ったのよ。その帰りにね。その……痴漢に襲われそうになって。でも襲われそうになっただけで襲われてはなかったんだけど。それで……」


 と嘘を吐いてしまった。そう――、


「嘘だったのよ」


 と知世は動かない大輔に向かって告解をする。


「お父さんがケーキを買ってきて。美味しそうで。もう夜だったのに。私はふたつも食べちゃって。太っちゃうなあって思って。食べちゃったことを後悔して。じゃあ、無かったことにしようと思って。リセットしたの」


 大輔は、動かないだけで聞こえてはいるのだろうか。知世の話を聞いてどう思っただろうか。もしも体が動くなら、


「ふざけるなよ! どれだけ心配したと思っているんだ!」


 そんなふうに怒鳴るだろうか。それとも、


「…………」


 無言で知世を睨むだろうか。「チッ!」と舌打ちなんかもするだろうか。


 別に真田大輔らしくなくても良いのだ。どんなふうでも構わない。知世は、


「……怒りなさいよ。嘘を吐いたこと、そんな理由でリセットしたこと……」


 大輔に怒ってもらいたかった。……怒られたくなくて吐いた嘘だったのに。


「ごめんなさい」


 許してほしいわけではなかった。


「だから『悪の組織』なんてものはあるわけもなかったの」


 心配し過ぎた大輔が「痴漢なんかではなくて……悪の組織なんじゃないのか?」と言ったのが始まりだった。


 しかし。その前提である「痴漢」が居なかったのだ。それは知世の嘘だったのだ。


 だが「悪の組織」が存在しているかも知れない、知世を狙っているかもしれないと考えた大輔はそんな「嘘」を知る由も無く知世のボディガードを買って出る。


 放課後、知世と大輔は一緒に帰るようになった。


 校内でも二人で居る事が多くなった。


 そうして知世と大輔の二人は「付き合ってるんじゃないの?」と噂が立った。


 そんな中、万が一を念頭に置いた大輔が「悪の組織」をあるものとして知世に注意を促した。「悪の組織」なんて無いと知っていた知世は気を抜いていた。


 真面目に取り合おうとしない知世に強く言い聞かせる為、大輔は「骨を折る」だの「性的暴行」だのといった脅し文句を並べた。


 それを――恐らくは中途半端に単語、単語で耳にした川村久美子が激しい思い込みから「長崎知世を真田大輔から救い出す」為に大輔の事を――殺害してしまった。


「……私が痴漢だとか嘘を吐かなければ、……すぐに嘘でしたって白状していたら、こんなことにはならなかったのよね……」


 その後悔は幾らリセットを繰り返しても無くならなかった。大輔は戻らない。


「悪の組織」も存在しなくて、他の「能力者」の仕業でもないのならどうして大輔は動かないのか。


 何度も生き返った宮下ワタルの時と何が違うのか。


「……真田君にはリセットに抵抗する『チカラ』があった」


 いつだったか話をした限りでは、大輔は自分でリセットが出来ないだけでリセットという現象に対して受ける影響は知世と全く同じだった。


 リセットした直後にはその前の事を覚えているがその時に思い起こさないとすぐに忘れてしまう。だが印象の強過ぎる出来事はその「思い起こさない」が出来ないので忘れられない。端的に言えば精神的外傷はリセットを越えて残り続ける。


 大輔は「骨を折る」だの「性的暴行」だのといった非常に強い言葉で注意を喚起していたが、それらを優に上回る「死」が大輔を襲ったのだ。


「トラウマにならないわけがないわよね……」


 大輔の精神は「死」を忘れられずに、きっと「死」に囚われているのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る