怪獣になった少女
椎茸仮面
前編
2020年、日本の首都東京の都市、銀座にて世界初の怪獣が出現。これが、地球における怪獣災害の歴史の始まりであった。
銀座の怪獣出現以降、日本には怪獣が頻出する時代『怪獣頻出期』へ突入した。
2021年日本政府は『対怪獣討伐部隊』及び『怪獣研究部隊』を結成、年々激化する怪獣災害に対し、日本は一つの佳境を迎えていた……。
2034年5月某日、長野県の山奥に位置する村に、一人の少女がいた。
山に沈んでいく夕日を背にして、黒い髪を後ろに束ねたそばかすの少女は自転車で坂道を重いペダルを踏んで登っていく。
少女の名は、
この村に住んでいる数少ない40代以下の女性であり、山を一つ越えた先にある美佳子含め全校生徒が15人しかいない中学校へ通っている。
部活は特に入らず、他の生徒が部活に青春を捧げる中、彼女は帰宅に青春を捧げている。母親からもらった自転車は一漕ぎするたびに軋み沈む夕日と共に哀愁を漂わせる。
「なんで……うちの……家庭は……都会に……住まないのかね……!」
美佳子は一漕ぎ一漕ぎに恨み言を込めて、ひび割れたコンクリートの隙間を埋めるように雑草が生えている、ろくに整備のされていない坂道を進む。
彼女の家系は、この村に代々住んでいる家系であり、祖母の話によるとここの土地神に仕えているという。
美佳子は愚痴を吐きながら、山を越えた先の丘の上にある家に辿り着いた。美佳子の家は村の中でも裕福な方であり、木造の門がその家の荘厳さを象徴している。
美佳子は門の扉をノックすると、母親が扉を開ける。
「おかえり」
「ただいま、いつも思うんだけど、ここ遠すぎ」
美佳子は、この家が好きではなかった。
こんな辺境のところではコスメも気軽に買えないし、通販も道はあるが、電波が届かず、インターネットを使うには、わざわざ下に降りなければならない。
令和にもなってこんな前時代的な環境で暮らしているのが美佳子にとっては苦痛だった。
丁寧に剪定された庭を横に、両親と共に食べる夕食は美味しいが、あくまで身体の機能がそう感じているだけであって、心まで満たされたとはいえなかった。
「ママ」
「何?」
「引越しとかしないの」
美佳子はさりげなく聞いてみた、父は聞こえていないのか、かろうじて電波が通っているテレビに夢中だ。
「今のところはないかな」
「なんで」
「この土地がうちにとって大切だから」
「意味わかんない」
「わかるよ、いずれ」
おそらく理解するのは来世なんだろう、美佳子は思った。
日曜日、美佳子は家の隣に立っている蔵の掃除をしていた。
蔵の中は埃が多く、マスクを二重につけないと、肺が埃で詰まりそうで、手袋をつけなければ、未知の菌で病気になりそうなほど衛生環境が劣悪だった。
今はなき祖父母が残した蔵のなかには売りに出せばそれなりの金にはなりそうではあるが、二束三文かもしれない可能性もないことはないので出せないといった感じだ。
そんな古びた倉庫と化している蔵を美佳子は1人で掃除している。
母は昔の知人と日帰り旅行へ、父は急な仕事が入り本来であれば父と二人で行うはずの蔵掃除が1人だけになってしまった。
「あのくそジジイ……ゆるさん」
父への恨み言を吐きながら、美佳子は蔵の床を箒で掃く、箒を一回吐くごとに、埃が舞い散り目の前に煙幕を発生させる。
すると、棚から何かが落ちてきた。
箒を履くのをやめ、美佳子は落ちてきた何かを拾った。
それは、小さな木箱だった。蓋に何かが貼っていた跡があったが、もうすでに剥がれている。
美佳子は恐る恐る、木箱を開けてみた。そして美佳子はすぐにその箱を手放してしまった。中にあったのはミイラの手だった。
干からびた小さなそのミイラの手は鱗で覆われ、指が三本しかなく、人間の手ではないことは明らかであったが、美佳子が知っている動物の手ではないことも明らかだった。
「やべ、戻さなきゃ」
木箱から離れて、床に転げ落ちたその手を美佳子は触りたくはないと思いながら仕方なくそのミイラの手を持つ、その時だった。
ミイラの手は、美佳子の手を逆に掴み、手袋を突き破って彼女の右手首に食い込んだ。
美佳子の手に激痛が走り、蔵のなかに悲痛な叫びが響き渡るが、助けに来る人間はいない。ミイラの手が彼女の腕の中に入り込むと、ミイラの手は中で溶けていき、何事もなかったように美佳子の腕は元に戻っていた。
だが、体はまだ異常だと警告していた、何度も何度も呼吸をしても肺の中の空気はなくなり、心臓が今にもはち切れそうな程、拍動を繰り返す。全身の血管から吹き出しそうなほど、脈が早い。
このままでは死んでしまう、美佳子はズボンのポケットからスマホを取り出し、119番をかけようとした。
だが、画面に表示された9を押す前にして、意識は消えてしまった。
美佳子が目を覚ますと、地面が揺れていた。
地震かと思ったが、地震にしてはあまりにも揺れが激しい。美佳子はすぐに蔵から出て、上を見上げると、空は黒く染まっていた。
岩のような鱗に黄色く光輝く目、両手の鋭い爪は、ありとあらゆる肉を切り裂けそうだ。
美佳子は黒の正体を瞬時にに察知する。
「……怪獣」
その怪獣は、空高く雄叫びをあげ、美佳子を叩き潰そうとしてきた。自分はこのままだと叩き潰される。この状況なら、いかなる阿呆であろうとここで最善の判断できるだろう、美佳子はひたすら逃げた。後ろから、怪獣が手で潰そうとする度、地面がトランポリンのように揺れ動く。
その衝撃の中で、美佳子は山みちをただひたすらに走った、マラソン大会は1500メートルですら息が上がるというのに、今の自分は自分の命を守る為ならば何百キロでも走れる気がしている。
だが、今の彼女にそんなことを考える暇はなかった。ただ逃げる、走る、山を下る。
麓の村に行けば、地下シェルターがあるはずだ、そこに逃げなければ自分の命はないだろう。
美佳子はただシェルターに向かってまっすぐ向かった。
足が千切れようと、もげようと、ただひたすらに、我武者羅に。
その時、美佳子の爪先に、石が当たる。視点が一気に地面に吸い込まれ、ビデオカメラを落としたような画角になってしまった。
すぐさま後ろを振り向くと、視界いっぱいに怪獣の足裏が空を覆う。
美佳子は、死を覚悟した。
その瞬間、彼女の全身が風船のように一気に膨らんだ。
何が起きたのか、全くわからなかった。
ただ目の前に自分とほぼ同じほどの大きさになっている怪獣が倒れている。そして自分の足元に、麓の村のようなジオラマがあった。
ふと自分の手を見ると、美佳子は困惑した。
いつも畑仕事を手伝わされ、爪に土が残っている女らしくない手ではなく、ゴツゴツとした岩肌のようなトカゲの手であった。
改めて見ると、足元の村も、ジオラマにしては手が混みすぎていて、人間が一生をかけてもできないようなリアリティだ。美佳子は自分がどうなったのか、ようやく理解した。
自分は怪獣になったのだと。
(え、なんで? 私、怪獣?)
美佳子は声に出したがったが、声帯がないのだろうか、喉から出る声は鳴き声のような物ばかりで言語を発することができない。
さらに目の前の怪獣が立ち上がり、自分に対して突進を仕掛けてくる。
美佳子の腹部に巨大な衝撃がぶつかり、されるがままに美佳子は村に倒れ込む、背中で受けた衝撃が全身に響き、小さな農作物が塵のように吹き飛んできいく。
美佳子は肺から空気が一気にぬけ、喉から吐き出す。
(いった……やっぱ狙ってる? 私のこと)
怪獣は起き上がった美佳子に肩に噛みつく、怪獣の口の中の鋭い牙が肩に食い込んでいき、赤い血が吹き出す。
肉が抉られるような激痛に美佳子は、声も出なかった。
美佳子は後ろに引くが、何か甲高い声が聞こえた。振り向くとそこには、小学生の男の子の姿があった。
今の美佳子から見れば蟻のようなもの同然である。
だが、あの子は怯えている。
なんであんなところにいるのか、美佳子には知ったものではない。だが、これ以上自分が怪獣に押されてしまえば、あの子の命は。
それだけではない、いつもピーマンをくれる佐藤さんも、あやとりを教えてくれた紅さんも、最近移住してきた健太郎さんも、このままだと。
やるしかない。
今の自分なら、怪獣を倒すとまではいかなくても。追い払うくらいは、できるかもしれない。
確証はない。でも。
今を守りたい。
美佳子はその岩のような手で拳を作り、怪獣の顔に向かって放つ。怪獣はそのまま横に吹き飛ばされ、山に倒れ込む。
さらに美佳子は怪獣の上にのり、手刀を何度も怪獣に叩き込む。
怪獣はもがき、美佳子を押し返す。このまま倒れてしまえば、村がもっと壊れてしまう。
美佳子は、足腰に力を入れ踏ん張った。
すると、何か尻の方にもう1つ何か動かせるものがあることに気づいた。
それを意識的に動かすと、それは尻尾だった。
尻の延長線のように筋肉を動かすと、尻尾は上下に動かせる。
美佳子はこれだと思い、尻尾を怪獣の体に向けて振り回す。第3の足で回し蹴りをするように。
その巨木のような尻尾を勢いよくぶつけられた怪獣は勢いよく吹き飛び、山を崩しなが倒れた。
美佳子は、怪獣の胸を右手で抉り、その心臓を握り潰した。
怪獣の光る目は電球が切れた様に消え、何も動かなくなった。
(た、倒した……)
美佳子は全身の力が一気に抜け、風船から空気が抜けるように小さくなり、元の人間の姿に戻った。
改めて自分の両手を見る。自分は人間だ、今のことは夢だ、そう思い込むことにした。
村に着くと、そこは、いつもののどかな風景ではなかった。
土砂崩れを起こした田んぼ、泥まみれに散らかされた野菜、子供が放置したミニカーの様に転がっているトラック。見るに耐えない姿の家畜。
そして、瓦礫のそばで泣き崩れている子供の姿。
美佳子は、そばに近寄ると、動きを止めた。
そして、腰を抜かしてしまった。
子供のそばにあったのは、瓦礫に埋まった青白い女性の腕であった。
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