第15話   綾園動画コンテスト

 夜一は君夜に視線を移行させる。


「あら? 放送設備を望んだのは誰でもない秋彦君じゃない。ラジオ放送同好会を立ち上げたとき、私にラジオが放送できる機材と場所がほしいって。だから私はお父様と叔父様に頼み込んで放送設備と部室を用意してあげたのよ。むしろ感謝してほしいくらいだわ」


「俺は全部お嬢がタダで用意してくれたと思ったんだよ!」


「世の中タダより高い物はない。よかったわね。高校生のうちからいい人生経験が味わえて」


「ぐうう……」


 全身を小刻みに震わせた秋彦を横目に、夜一は奈津美の元へ走り寄った。


「なあ、事情を説明してくれ。こんな放送設備を用意できるんて九頭竜先輩は何者だ?」


 夜一は奈津美の耳元で囁く。


「ああ、そうか。夜一君には教えてなかったな。君夜ちゃんの叔父さんは八天春学園の理事の一人なんよ」


 奈津美は残っていた紅茶をすべて飲み干した。


「それに君夜ちゃんの家は……その、結構なお金持ちでな。それで何百万円もする放送設備を部室ごと用意してくれたんや。タダやのうて半分はラジオ放送同好会の借金になったけど」


(九頭竜先輩って本当にお嬢様だったのか)


 秋彦が「お嬢」と呼んでいたのでまさかとは思ったが、叔父が学園の理事の一人で実家が資産家とは絵に描いたようなお嬢様だ。


 綾園市でも有名な大企業の一人娘なのだろうか。


「こら、夜一。何を他人事みたいな顔をしているんだ」


「うわあっ!」


 ふと我に返ると、いつの間にか眼前に秋彦がいた。


 未だ君夜に対する怒りが抜けきっていないのか、瞳の奥に赫怒の炎を宿したまま眉を鋭角に吊り上げている。


「言っておくがお前も無関係じゃないぞ。百万の借金は君夜を除いたラジオ放送部の部員が負担する約束になっている。そうなると必然的に新入部員であるお前も――」


「負債者の一人に認定!」


「オフコース。ユーも負債者。ドゥーユーアンダスタン?」


 突如、夜一は急激な眩暈に襲われた。


 負債者という響きが夜一の精神ゲージを大幅に削っていく。


 百万円の借金を四人で返済する場合、一人頭二十五万は必要だ。


 だが月に五千円の小遣いしかもらっていない夜一にとって、二十五万円は途方もない大金である。


 とても一朝一夕で用意できる金額ではなかった。


 ならば残された手段は一つしかない。


「ちなみに八天春学園の校則でアルバイトは禁止されている。隠れてやってもいいが、現行犯でバイトしている姿を見られたら問答無用で停学。最悪の場合は退学だ。現に俺と武琉はバイトしている姿を教師に発見されて停学になった。半月ほど前のことだがな」


 強烈な先手を打たれ、夜一は愕然とした。


 学生が唯一無二にして大金を稼げるアルバイトが無理なら四人で百万円を返すのは夢のまた夢だ。


「そう悲観するな、夜一。俺たちにはまだ希望が残されている。武琉」


「何だ?」


「今すぐパソコンを立ち上げて例のサイトにアクセスしてくれ」


「まったく、ジンブンクサラー(悪知恵ばかり働く奴)は人使いが粗い」


 悪態を吐きつつも武琉は秋彦の指示に従った。


 液晶モニターとパソコンの電源を入れてOSを起動させると、マウスを操作して液晶モニターに画面を表示させる。


 イベントカレンダーを始め、目の不自由な人が快適にサイトを閲覧できるように音声読み上げツールが備わっている綾園市のホームページだ。


 次に武琉はトピックスから一つのニュースを選んでクリックする。


「綾園動画コンテスト?」


 液晶モニターにはピーナッツに似た奇抜なキャラクターが「綾園動画コンテストの募集要項はこちら」と右目をウインクしている姿が表示された。


「やっぱり地元の人間でも知らない奴は知らないんだな。綾園動画コンテストは数年前に綾園市が町おこしのために始めたゴージャスなイベントだ。毎年四月の末に作品を募集し、最優秀賞に選ばれた作品には百万円。優秀賞にも五十万円が与えられる。まあ、必ず最優秀賞が出るとは限らないけど」


 秋彦は饒舌に言葉を続ける。


「それでも可能性はゼロじゃない。それに応募資格は不問。つまり年齢、性別、国籍は問われないんだ。ただし動画コンテストというタイトル通り〝動画〟を応募しないと選考から外れてしまう。ちなみに前回最優秀賞に選ばれたのは、興和大学の映研が撮影した自主制作映画。優秀賞には藤枝高校演劇部の部員が撮影した演劇が選ばれた」


「自主制作映画に演劇……どっちも結構な時間がある動画なんですね」


「おお、この短時間でよくそこに気づいた!」


 秋彦は感極まったのか、デスクトップ型パソコンの上部をバシバシと叩く。


「止めろ、フラー(馬鹿)! 大事なパソコンが壊れるだろうが!」


「やかましい! 俺の説明が終わるまで黙ってろ!」


 武琉の主張を一刀両断した秋彦は、話の続きとばかりに夜一に顔を戻す。


「お前の推測通り、綾園動画コンテストの賞に選ばれるのは長時間撮影された動画が多い。つうか五分十分で終わる動画は一作品とも選ばれていないのが現状だ。俺が調べたところ一時間から九十分の作品が多かったな」


 六十分から九十分となると映画一本分に相当する時間だ。


 加えて最高百万円の賞金が出るとなると、内容もそれなりに凝ったものにしなければ簡単に落選してしまうだろう。


「どうだ? 夜一。ここまで聞けば俺の言いたいことが伝わっただろう?」


「何となく」


 夜一は怪訝な表情でブースの中を見やった。


 厳密にはブースの片隅に鎮座していた放送用のビデオカメラをである。


「つまり部長たちは動画コンテストに作品を応募して賞金を狙っているわけですか。あの多機能なビデオカメラを使った〝映像つきラジオ放送番組〟を撮影して」


「さすが声優志望者。その通りさ。俺たちは映像つきのラジオ放送番組を綾園動画コンテストに応募して賞金を得たい。そのためにもう一人パーソナリティが必要だったんだ。できれば喋りに関して素人じゃない男のパーソナリティがな」


「それで選ばれたのが俺だったんですね」


「声優の公開オーディションの最終審査まで残った男の新入生。俺たちにとっては喉から手が出るほど条件を満たしていたんだ。そんな逸材を俺たちが見逃すはずないだろう」


 秋彦は勝ち誇ったような顔で歯茎を覗かせた。


「だが、終わりよければすべてよし。夜一が入会してくれたお陰でラジオ放送同好会はラジオ放送部へと生まれ変わり、これですべての準備が整った。さあ、みんな。後は動画コンテストで入賞するよう頑張るだけだ。な?」


 同意を求められても激しく困る。


 そもそも無名の高校生たちが撮影した、映像つきのラジオ放送番組で最優秀賞が獲得できるのだろうか。


 すぐに夜一は無理という結論に至った。


 秋彦の言葉が正しければ、毎回賞の候補に上がるのは撮影が慣れていて地力が備わっている映画研究会や演劇部たちに違いない。


(さて、どうするか)


 夜一は苦虫を噛み潰したような表情で前髪を掻き毟った。


 いっそラジオ放送部を辞めてしまおうか。


 そうすれば自分が借金の一部を返済する義理はなくなる。


 秋彦には卒業まで恨まれるかもしれないが、約二十五万円もの大金をアルバイト抜きで作るよりは精神的にも肉体的にも負担が軽い。


 ただ、と夜一は隣に座っていた奈津美を一瞥した。


 ここで自分が辞めると言った場合、同じパーソナリティである奈津美はどう思うだろう。


 夜一は二日前の出来事を脳裏に蘇らせた。


 子供たちを相手にアカペラでアメイジング・グレイスを歌った奈津美。


 アメイジング・グレイスを作詞したジョン・ニュートンの生き様を思い浮かばせてしまうほどの歌声は、今でも耳の奥に残って忘れられない。


 あのとき、夜一は心の底から思ったのだ。


 もっと奈津美の歌を聞いてみたいと。


「部長、率直な意見を言ってもいいですか?」


「却下」


「承諾ありがとうございます。じゃあ言わせていただきますね」


「俺の意見は無視!」


 戸惑う秋彦を完全に無視し、夜一は自分の考えを述べた。


「はっきり言って、俺たちだけで賞を獲ることは無理だと思います。何せ競争相手は撮影されることに慣れている百戦錬磨たちです。そんな連中に勝つためには審査員が度肝を抜くほどのインパクトを与えないといけません」


「インパクト?」


 首を捻る秋彦に対して夜一は大きく頷いた。


「動画コンテストに応募する番組にゲストを呼びませんか?」

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