第25話 治癒師
「うぅぅぅ……」
「フレデリック殿、気を確かに!」
「誰か、マリウス殿を横にするのを手伝ってくれ!」
あちこちに怒号と悲鳴が飛び交い、会場中が混乱の最中にあった。その中で俺は視線を動かし師匠を探す。万一、師匠が倒れていたらどうしよう……そればかりが頭の中に浮かんでいる。
「おい、カズオ君!」
「えっ!」
気づけば探していたはずの師匠が俺の隣にいた。
「何をそんなところに突っ立っているんだ!」
そう言って彼女は俺を会場の端へと引っ張った。俺がさっきまで立っていたところにはタオルやら水指などを持ったスタッフたちが駆け抜けていく。
「師匠、毒ですよ毒!あの料理、おそらくソースに毒が!」
俺は大声を上げながら必死にテーブルの上に置かれたステーキを指さす。俺の発言に気づいた周囲のスタッフ達も皆テーブルに注目する。
「落ち着きたまえ、それは君の一声で察したさ。それに、君がそうやって叫ぶことでより周囲に余計な不安を抱かせるとは思わないのか? それよりも今はこの混乱状況をどうにかする方が先決だ」
「でも、どうやって――」
半ばパニックに陥っている会場に簡単に秩序を取り戻せるとは到底思えなかった。
「見てれば分かる」
師匠がそう言い終わると同時に事態は動いた。
パンッッッ!
空気が振動し、叫んでいた人達が一瞬にして静まり返るほど大きく手を鳴らす音がした。
「落ち着け、慌てたところで物事が好転するわけではない」
テオードリヒさんがよく通る低い声を発すると、騒ぎたてていた人達が一気に大人しくなる。
「マルコ、お前は司教に連絡して修道達を呼んで来い。ハンス、お前の魔法はこういう時の為にあるのだろう? トーマス、お前ほどの男がこういった事態を想定していないとは思えんのだが?」
テオードリヒさんは会場の出口付近にいたスタッフ、二つ隣の席に座っていた精肉ギルドのマスター、そしてトーマスさんに順に声をかけた。そして、それだけで物事は一気に進みだす。
「すぐに手配します!」
マルコさんは、すぐに会場を飛び出した。
「症状が出ている者をすぐに一列に並べろ! 邪魔になるならテーブルもどかせ!」
ハンスさんは手近なスタッフ達に即座に指示を出すと、自らは倒れている人に手をかざし魔法を唱え始める。
「一班はハンス殿、二班はテオードリヒ殿の指示に従え、三班は私と共にこい!」
最後にトーマスさんが全体に指示を飛ばすと、先ほどまでばらばらだった会場内の人達が一気に動き出す。
「すっ、凄い……」
そんな安っぽい感想しか言葉に出ないが、その一言で表せるほど、ただ一人の発言で皆が事態の終息に向けて一丸となって動き出したのが目に見えた。
「さて、私も微力ではあるが助太刀するとしよう」
師匠も患者に向かって歩いていく。
「あの、僕は何をすれば?」
恐らくこの場でただ一人どうすれば良いか分かっていない男が声を掛ける。
「用があったらすぐに呼ぶ。それまでは邪魔にならないように端にいたまえ」
「えっ、あっ、はい」
端にいろと言われたので会場の隅に立つが……パタパタと右へ左へ必死に動くスタッフを前に本当に何もしなくていいのだろうか、という思いはこみ上げてくる。
(でもどうすれば……)
そんなことを考えていたら、つい足を一歩前に踏み出していた。
「邪魔だ!」
後ろから伸びてきた腕が、声と共に俺の身体を脇に押しぬける。
「うわっ!」
全身を真っ白な装束に身を包んだ男達がドサドサと音をたてて会場になだれ込んでくる。
(なっ、何者だ)
「カズオ君、こっちに来たまえ!」
それが誰なのかを認識する前に師匠に呼ばれ、俺は彼らの事を脇に置き、師匠に声がした方に駆け出した。
「雨、また降ってきましたね」
窓にポツポツとつく雨粒を見ていると雨足が徐々に強くなっていることに気づいた。朝までに止めばいいけどなぁ……。ここは、市庁舎二階端の一室。晩餐会の会場で起きた毒物騒ぎがひと段落着いたこともあって、俺と師匠は普段来客を待たせるこの部屋で一息ついていた。
「何か飲み物でも持ってきましょうか」
俺は後ろを振り返り、ソファーにどっかりと腰を下ろしている師匠に訊いた。
「そうだな……いや、今はいい」
「そうですか、もし何か飲みたくなったら言ってくださいね」
「ああ」
師匠の声は小さく、随分と疲れているようだ。まぁ、つい先ほどまで市庁舎の中を走り回って色々と指示を飛ばしていたのだから無理もない。師匠に言われたことをこなしていただけの俺でさえ疲れを感じているのだからその三倍近く働いた師匠の疲れがひどいことは簡単に想像がつく。
――俺が食堂に飛び込んでからどれくらいの時間が経ったのだろう。師匠に呼ばれてから無我夢中になって動いていたから今がたっぷりと日の暮れた夜中であること以外何も分からない。
犠牲者が誰一人としてでなかったことは良かったが、それでもステーキを食べてしまった十一人の内、四人は完全に治癒するまで一月はベッドで安静にしなければならないそうだ。
それでも、あと少し治療が遅れていたら命にかかわる事態だっただけに、この程度の被害に収まったことに晩餐会の出席者達はホッとしていた様だ。まぁ、俺もそこは同感なのだが、一つ気になることがあった――。
「ところで、あんな簡単に毒の治療って出来るものなんですか?」
師匠に尋ねると、彼女はけだるげな雰囲気を纏ったまま答えた。
「そういうわけではないが、何故そう思うんだい?」
「それは、あんな風にパパッと手をかざして魔法を唱えるだけであっという間に治っていたじゃないですか」
俺は晩餐会の会場で倒れた人達に手をかざしながら呪文を唱えていた白装束の男たち、その目元までしっかりと布で覆い隠し、目以外にどこも露出させていなかった特徴的な姿を思い浮かべる。師匠によれば、彼らは街外れに暮らす修道士達とのことだった。
「ふむ、確かにあの光景だけ見ればそう見えなくもないが……本当にそう思うかい?」
師匠はこちらを試す様な目で見ている。
「勿論、魔法の習得は簡単なものではありませんし、使用者にもリスクはあります。それでも、短い時間で体内に取り込まれた毒物を除去できるとは思ってませんでした……」
「なら、それは君の手柄だよ、カズオ君」
「えっ、どういう意味です?」
「どうも何も言葉通りさ。君がソースに毒物があると言っただろう? だから、治療を行った修道士達も魔法を使うまでの過程を省略できたってわけさ」
「それは、どのような毒物かアタリをつけたってことですか?」
「そういう事じゃないさ。そもそも彼らの行ったことは正確に言うと“治療”ではないのだよ」
俺は師匠の言っている意味が分からず、首をかしげることしか出来ない。
「今の君にはまだ教えていないことだからね。いずれ時間が出来たら説明するさ」
「そんな、勿体つけないでくださいよ」
「うーん、原理から説明すると面倒なんだが……まぁ、今は毒に侵された体を治療したのではなく、体内の毒そのものを消したのだと理解してくれればいい」
「消したって、それが魔法の効果ってことですか?」
「その理解で正しい。だからこそ、先に食べ始めて毒素で体がやられはじめてしまった者は全快というわけにはいかなかったのさ。解ったかい?」
「全部を理解できたとは思いませんが、何となく」
「今はそれでいいさ」
「それにしても教会にはあれほど腕の立つ魔法の使い手が何人もいるんですね。教会では魔法の鍛錬をすることが多いんですか?」
「いや、そんなことはない。君から金を巻き上げたザカリアス司教の様に多少の心得はあるだろうが、あれほど魔法の使い手はそういないものだ」
「では、この街には特別優秀な人が多いということですか?」
「そうだったら良いと私も思うが、実際の所彼らは本当の修道士ではないのだよ」
……どういうことだ? 今度こそ、本当に訳が分からない。
「しかし、修道士を呼べ……とテオードリヒさんは言ってませんでした?」
「表向きは修道士ということになっているからね。実際は“治癒師”と呼ばれる職に就いている者達だ。怪我やそれを起因とする体調不良、および毒物による発作を治すことに特化している。勿論、治療と引き換えに法外な金額を請求することでも有名だがね」
「そんな人達がどうして修道士の恰好なんかしてるんです?」
「街中で魔法を使うのには許可が必要だという話をしただろう。あの連中はそれを持っていない場合が多い。だから教会側が自分の抱えてる敬虔な修道士だと偽って、必要な時にこうやって仕事させているのだよ。そして患者から受け取ったお布施という名の金品から一部を“治癒師”に渡しているのさ」
「そんな回りくどいことをせずに許可を取らないものなんですか?」
「前に説明しただろう。許可を取るには色々と面倒な審査がある。特に自分の身元をちゃんと証明できなければいけない場合が多いだろう? ああいう連中は多かれ少なかれ人様に言えないような後ろ暗い部分があるんだよ。だから、堂々と許可を取れないんだ」
「そこで、教会の出番ということですか。話の理屈は分かりましたが、教会も教会でよくもまぁそういう人達を雇いますね」
「君もザカリアス司教を見ているだろう。熱心なマナス教徒はそんなことをするわけがないが、あの男の様に行く当てのない貴族の次男坊や三男坊は、己の懐を肥やすためならどのような連中とも手を組むさ。それに、悪い面ばかりじゃない。“治癒師”は腕がすべてだからな。現に今日の連中は皆助かっただろ?」
「清濁併せ吞むというやつですか。僕にはまだ早い話ですね」
「いい年をして何を言っているのだ、君は……まぁ、その純粋さも悪いものではないと思うがね」
そこで一旦言葉を区切った師匠だが、けだるげな表情を消し急に真面目な顔を作って俺を見た。
「それよりも、これからが厄介なことになるかもしれないぞ」
「師匠がですか?」
おどけるように言ってみたが、師匠はそれに反応しない。いや、それよりも少し怒っているようだ」
「馬鹿なことを言うな。私ではなく、君だよ、君」
「僕? 何か粗相でも……いや、確かにあの場では少々取り乱しましたけど」
脳裏には、会場に飛び込んだのは良いものの、苦しむギルドの人達を前にオロオロと、部屋のあちこちを右往左往し、遅れてやってきた治癒師の人達に端へと追いやられた自分の光景が浮かんでいる。
「そういうことではなくてね」
たしなめるように言葉を師匠が紡ごうとしたその時だった――。
「失礼する」
ノックもなければこちらの返事を聞く間もなくズカズカと大股で二人の男が部屋の中に入ってきた。どちらも地味な薄茶色の服を着ていたが、それに全く似合わない朱色のマントを身につけている。彼らを一目見て師匠が僅かに目を細め、何かを呟いたようだが俺には聞き取れなかった。
「どちら様ですか?」
剣呑な雰囲気に押されながらおずおずと尋ねるが、相手はそれに返事をせず、いきなり距離を詰めてきたかと思ったら、俺の右腕を掴んで胸の前まで持ち上げた。そして、何かを確認するようにジッと俺の顔を見てくる。
「なっ、何をするんです!」
思わず、ビクッとして掴まれた腕を後ろに引こうとするがピクリとも動かない。
「サカザキカズオだな?」
相手は俺の問いに答えず淡々と訊いてきた。
「そ、そうですが」
「来てもらおうか」
「ど、何処に?」
「何、三階の一室だ。少し、聴きたいことがあるのでね。オルウェン殿も彼を少々お借りしますが、何が問題はありますか?」
顔だけを師匠に向け、有無を言わさぬ声で男は話す。俺は助けを求めるように師匠を見る。彼女は俺に対し無関心に見えるような半目でチラリと視線を向けた。
「別に構わんが、お手柔らかに頼むよ。何せ、この男は君達が何者であるかさえ把握していなのだから」
「勿論です。形式的なことですから。では、行こうか」
師匠に見せた、張り付けたような笑みを変えず有無を言わさぬ圧力を放ちながら男は俺に迫る。
「し、師匠!」
自分でも情けないような縋る声が出たものだと、こんな事態にも関わらず考えてしまう自分が恨めしい。
「カズオ君、君は何処までも君のまま、知っていることを正直に話せば良い。分かったかい?」
「はっ、はい」
俺が師匠に返事をするのを待っていたのか、
「さぁ、ついてきてもらおうか」
男はそう言ったので、俺はコクリと頷いた。それと同時に男はパッと掴んでいた腕を放し、視線と顎で自分の後についてくる様に促してくる。
当然、それに対して俺の取るべき行動は極力身体が震えないように努力しながら、彼らに従って部屋を出て行く以外に存在していないのであった。
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