第90話


「ほ、本当にやるのですか、オルリス様」


「やるしかあるまい…この国を守るためだ、もう引き返せない」


たくさんの信者たちに向かって、オルリス教国の教皇オルリス・イザークは頷いた。


オルリス教徒が人口のほとんどを占める小国オルリス教国。


イスガルド王国とアスラン王国に挟まれたこの小国で今、莫大な国富を犠牲にした上の勇者召喚が行われようとしていた。


場所はオルリス教国の現教皇、オルリス・イザークの住まう大教会。


その中心に召喚魔法を使える大勢の信者たちが集っていた。


大教会の床にはすでに魔法陣が敷かれ、勇者召喚の準備が整っていた。


後は教皇オルリスの指示一つで勇者召喚の儀式が始まるというところまで来ていた。


「しかし……お言葉ですが勇者召喚はオルリス教の戒律を破る行為です……教皇様自らがそれを行うというのは…」


「私もそれはわかっておる。しかし…オルリス教とその信者を守るためにはこうするより他にないのだ」

 

教皇オルリスが苦々しげにそう言った。


勇者召喚は、オルリス教の戒律を破る行為だ。


それは教典の冒涜を意味し、絶対に関わってはならない禁忌の儀式とされている。


だが教皇オルリスはすでに隣国イスガルド、そしてアスラン王国においても勇者召喚が行われたという情報を入手していた。


侵略的なムスカ王国のみならず、イスガルド王国、アスラン王国まで勇者という最強の兵器を手に入れてしまったのだ。


もはや勇者召喚に関する暗黙のうちに守られていた禁則事項などあってないようなものだった。


勇者召喚の連鎖。


それぞれの国が自国を守るために、勇者召喚を行う時代に入っていた。


広大な範囲にわたって国境を接しているイスガルド王国とアスラン王国は、ムスカ王国に比べて侵略的な国とはいえないし、一応同盟関係ではある。


だがこの両国が果たして勇者という兵器を手に入れた時に、それを防衛手段のみに使うという保証はなかった。


大国に挟まれた小国の運命として、もはや予断を許さない状況がオルリス教国に訪れていた。


「イスガルドとアスランという大国に挟まれた我がオルリスに選択権などない。信者無くしてオルリス教は成立しない。禁忌を犯してでも、この国

を守らなくてはならない」


オルリス教皇の言葉には、不可謬性が生じる。


その言葉は、どのような戒律や経典よりも尊重され、信者に無条件に信じられる。


オルリス教皇の命令とあっては、信者たちは従うより他になかった。


「やれ…やるのだ…!勇者を召喚しろ!!!」


「「「御意!!!」」」


オルリス教皇が決定的な命令を下した。


数百人の信者が、召喚の魔法陣に対して魔力を注ぐ。


バタバタと次々に信者たちが倒れていく。


勇者召喚は、莫大な富と多数の人命を消費する必要がある。


魔力を切らし、そのまま生きたえる信者があちこちで倒れる中、オルリス教皇への強い信仰心のもと、勇者召喚の儀式は続けられた。


「「「おぉおおおお!!!」」」


どよめきが起こった。


召喚の魔法陣が起動して数分後、その中央に光の粒子が形を持ち始めた。


段々と人の形に変化していったそれは、異界から呼び出された勇者に他ならなかった。


「これが、勇者…」


教皇オルリスが呟いた。


「うわぁああああああ!?も、もう勘弁してくれぇえええ!?これ以上僕を虐めないでくれぇええええええ!?!?」


果たして、眩い光が収まってみると、勇者という名の異界人がそこに顕現していた。


身につけている衣服や顔つきで、教皇と信者たちはその者が異界から来た人間であることを瞬時に理解した。


異界人……勇者は何かに怯えているようだった。


召喚されたばっかりだというのに、もう機敏に動いて、何かを防ごうとするかのように顔を覆っている。


「も、もう蹴るのをやめてくれぇえええお金を出すから!お金あげるからぁあああああああああ………ん?あれ?」


勇者がようやく周りの状況に気がついたのか、恐る恐る周囲に視線を巡らせる。


その表情は突然のことにかなり混乱しているように見受けられた。


「ここどこ…?僕は今まで屋上で鮫島くんたちにリンチされて……あれ?あれぇ…?」


首を傾げる勇者に、教皇オルリスが恐る恐る近づいていく。


「ああ、よくぞ召喚に応じてくださいました、勇者様。これで我がオルリス教国は救われます。あなたがその強大な力を持って我がオルリス教とその敬虔なる信者たちをお守りくださることを願っております」


「召喚?勇者…?どゆこと…?僕、学校の屋上にいたよね…?何この教会みたいな場所…」


勇者は立ち上がり、恭しく礼をする教皇とたくさんの信者たちをみる。


教皇はまず勇者に、召喚の理由を丁寧に説明した。


「ふむふむ…なるほど。つまり僕は君たちの都合で召喚されたってこと?」


「はい、そのようになります。我が国の都合によって勇者様を召喚してしまったことは誠に申し訳ないと思っています。しかしオルリス教国は現在予断を許さない立場に置かれておりまして…」


「いや、別に責めてないよ。召喚したこと自体は。むしろよくやってくれたと思ってる。うんうん。向こうの世界は僕を虐げてくるクソみたいな奴らばかりだったからね」


「…?」


勇者は、突然異界から呼び出されたにも関わらず、あまり驚いたような様子もなければ前の世界にこれといった未練も感じていないようだった。


教皇は勇者の異様な態度に戸惑ってしまう。


なぜそちらの都合で勝手に呼び出したのかと責められるものとばかり思っていたからだ。


「そうかぁ、勇者召喚。本当にあったのかぁ。まるで僕が授業中にこっそり読んでたネット小説みたいな展開だね…くひひ。ようやく僕のターンってやつ?これ、確実に僕にめちゃくちゃ強いチート能力が備わってるパターンだよね?」


「…はい、勇者様の力は強大です。あなたにはこの世界の住人では決して太刀打ちでいないような強力なステータスが備わっています」


「ステータス!馴染み深いいい響きだね…きっと僕はこの世界でめちゃくちゃ無双してみんなに褒め称えられて美少女ばっかりのハーレムを築くんだろうなぁ…楽しみだなぁ…」


「…?」


意味不明な呟きを連呼する勇者に教皇は戸惑う。


その口元に浮かぶ下品な笑みを見て、教皇は本当に勇者召喚を行って良かったのかと自問する。


「いやあ、楽しみだなぁ。向こうの世界と違ってここでは僕は選ばれた存在なんだぁ…くひひ。早くチート無双して美少女たちを囲いたいなぁ……」


「あの、勇者様…?一体なんの話を?」


「ああ、ごめんごめん。こっちの話。ちなみになんだけど、僕って元の世界に帰れるの?」


「も、もちろんでございます。この世界での使命が終われば、当然、元の世界に帰れる手筈となっております」


教皇オルリスは嘘をついた。


勇者召喚で莫大な富を浪費したオルリスに送還の儀式をやる余力はなかった。


他の王族の手を借りない限り、オルリス教国は送還の儀を執り行えない。


実質これは一方通行の召喚の儀式だった。


しかし、勇者の反感を買うわけにはいかない教皇は時がくれば送還の儀式を行うと勇者に約束した。


勇者はますます有頂天になった。


「そっかぁ…元の世界にも帰れるパターンのやつかぁ。いいねぇ…この世界で無双してハーレム楽しんで、元の世界に帰ったらあいつらに復讐ざまぁしてやりたいなぁ…僕を散々虐めたあの連中を、勇者の力で痛ぶるんだぁ…たまらないなぁ……くひひひひ…」


「…?」


「ま、しばらくはここでの生活を楽しむつもりだから安心してよ。もちろん、食料と寝床は提供してくれるんだよね?」


「は、はい…もちろんでございます勇者様」


「良かった良かった。じゃあ、まずは食事にしようかなぁ…その後は僕の力について詳しく説明してもらおうかなぁ。話はそれからだよね?」


「わ、わかりました…そのようにいたします…」


異様に物分かりのいい勇者に、教皇は不気味な何かを感じずにはいられなかった。



〜あとがき〜


近況ノートにて3話先行で公開中です。

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