第17話


 サコットの指が前髪をすくう。耳触りのいい声が、綺麗だと褒めてくれる。青い目が細まって、その眼にはシキアだけが映って、

「シキア」

 シキアの目にも、金の騎士だけが揺れて

「シキア」

 ふいに肩を叩かれて我に返った。

 今は仕事中で、目の前ではヒアミックの綺麗な顔が不愉快で歪んでいる。背中を冷たい汗が伝った。

「はいっ」

「ぼんやりしているようだが」

「すみません、働きます!」

「そうあってもらいたいね。急だが、明日は頼みがある。瘴気の地にしか咲かない青華を知っているな」

「あ、はい、父さんの薬になるので」

「それを取ってきて欲しい。明日の朝早くでれば夕刻には戻れるか?」

「最早馬であればいけます」

「馬はうちで一番のを出す。花筒に入るだけたくさん欲しい、が無理はするな。一応野宿の準備もしていくように」

「分かりました」

 おそらくこれはぼんやりしているシキアに「頭を冷やしてこい」ということだろう。同時に長い移動時間で存分に考え事をしろ、ということだ。こういうことは時々あって、ヒアミックには本当に敵わない。ここのところ、気をぬくとサコットのことを考えてしまって、本当に頭を冷やさなければと思うから、ありがたかった。

 次の日の早朝にシキアは出発した。野宿は嫌なので今日中に帰りたい。ヒアミック家の早馬はそりゃもうよく走る馬で驚くほど速かった。青華は瘴気の地でも入口の方に群生していて手に入れるのは簡単だ。ただ、普通のひとは魔力中毒をおこすので「簡単」ではないらしい。シキアにとってはただの森なのだが。それでも中心地にある世界樹までは踏み入ったことはない。その調査を始めるまではもう少しだとヒアミックは言っていた。知識はもう身についているはずらしい。あとは具体的な予定をたてるだけだと聞いている。

 瘴気の正体である濃縮魔法力は必ずこの国の財産になる、ヒアミックから聞いた話では、この「瘴気」を膨大な魔法力として利用できれば、この国だけでなく、大陸そのものを変えることになるらしい。話が大きくなりすぎで、シキアにはよく分からない。ただ自分が役にたつなら頑張るだけだ。とにかく今日は一刻もはやく帰って青華をヒアミックに届けるのが仕事だ。

 ヒアミック家の早馬が優秀すぎたので本当に一日で瘴気の地から戻ってこれたのは日が暮れる頃だった。頑張ってくれた馬にたくさんご褒美を上げてくれるように頼んで馬を返すと図書館に向かう。馬での遠出は気持ちよくてなんだかすっきりした気分だ。悩んでいたことは何一つ解決はしていないけれど頭はすっきりした気がする。

 そういえば青華の青はサコットの目に少し似ている。透き通った空の青に似た――。せっかくすっきりした気分だったのに、サコットを思い出したら心が跳ねた。もう早く図書館にいって仕事を終わらせよう。

 早道しようと城裏の中庭を横切ったとき、だった。夕日を跳ね返す金の髪が見える。サコットは中庭の木陰で小鳥と戯れていた。シキアが昼食をとるときに利用している、この前、剣技を見てもらった中庭だ。こんなところに一人でいるサコットは騎士としては寂しげであるのに、その表情は安らいでいた。一人の時間を楽しんでいるのなら邪魔しない方がいいよな、と思ったのに、サコットの方がシキアに気づいて笑顔を見せる。

「お、こんな時間にも来るんだな」

「あの、あ、サコット様も」

「たまたまね。ん、その恰好、遠征でもしてたのか?」

「あ、瘴気の地に花をとりに」

「瘴気の地に⁉……ああ、君は大丈夫なんだっけ。それにしても危険だろう? ヒアミックは何を考えているんだ、大事な弟子に無茶させて」

 いや別に無茶ではないのだが、妙にサコットが過保護なことを言うのでおかしくなった。

「あの、別に危険ではないんです。ただ華を取ってきただけなので」

 そうだ、サコットの目に似た綺麗な青華。花入れをそっと開けて一株取り出してサコットに見せる。

「へえ、こんな花見たことないな」

「瘴気の地にしか咲かないらしいです」

「綺麗、だな、あおい」

「サコット様の目に似ているなって、おも」

 まずい、いま、気持ち悪いこと言った気がする。だめだ、ごまかさないと、

「俺に、にてる?」

「いや、あの、だって綺麗な青で」

「きれいじゃないよ、おれは」

 サコットが小さく呟いて、そして、突然、膝をついた。

「え、サコット様?」

「う、ぁ」

 サコットが芝生に膝をつき、首を触りながら、呻いていた。苦し気に、激しく。

「サコット様!? え、あ、どうしよう!」

「あ、ああ、っ、」

 とっさに芝生に寝かせて背中を撫でる。サコットは身を丸めて項をおさえている。その場所には魔法器官があるが、何か不良発作だろうか。どうしたら、どうしよう、そうだ、医者を――。

「ひ、あ、ミック、を」

 サコットがそう呟いて、同時にシキアは駆け出す。

(そうだ、先生なら――!)

 友人であるならこの症状のことも分かるかもしれない。早馬のごとく地下までをかけて図書館に駆け込んだ。

「先生!」

「おや、早いな、もう戻ったのか」

「あの! サコット様が、苦しんで、先生を呼んで」

「――っ、どこだ」

「中庭です」

 途端、ヒアミックが駆けだす。

「シキア、華は置いておけ!」

「え? 、あ、はい!」

 花入れは置いて、代わりにひざ掛けと水とコップを持ってヒアミックのあとを追う。普段、悠然と歩いている姿しか見たことないので、駆ける姿はあまりに新鮮だった。しかし、そんなことを言っている場合ではない。ヒアミックの足は速く、シキアは遅れて中庭にたどり着いた。うずくまるサコットの項に手を当て、ヒアミックはなにか魔法を唱えていた。きっと回復系の魔法なのだろう。少し、サコットの苦しみが和らいだように見えて、シキアはそっと息を吐いた。

「あの、水とか」

「ああ」

 返事をしたのはヒアミックだがサコットがこちらを向いて目を細めた。その口が「ごめん」と動いている気がしてぎゅうと心臓の辺りが痛い。ひざ掛けと水を渡してしまうと、もうシキアにできることは何もなかった。ただぼんやりと状況を見ていることしかできないことが、無性に腹立たしかった。

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