妖精酒場へようこそ!

逢坂舞

第1話 ガトン・クラシャ

ガトン・クラシャ その1

もう一度。

もう一度やり直せるなら。

私は、みんなを笑顔にしたい。

みんなが安心できる場所をつくりたい。


か細い呼吸。

弱っていく心音。

力が抜けていく。

これが……。

これが、「死」……。


暗くなっていく。

視界が揺れる。

深い暗闇に沈んでいく感覚。


私も、あの人のように。

安心できる場所を。

ホッと出来る場所を。

つくりたい。


「あなたに、次の生を与えます」


声がした。

天から優しい声がする。

まるで鈴のように響くその声が、周りに静かに響く。


「今まさに、命が尽きようとする者がいます。その体をあなたに与えましょう」


私が。

また、生きることができる?


「そうです。あなたは、妖精になるのです」


妖精?

それは何ですか?


「それは幸せを与える者。あなたは、妖精となり、周りを幸せにしていくのです」


あなたは……?

その問いかけに、声は優しく答え……。

そして、私は眠気に耐えきれずに目を閉じ……。



「カティが目を覚ましたぞ!」


声が聞こえる。

視界が揺れる。

目を開いて、ゆっくりと頭を動かす。


「カティ、カティ? 私の声が聞こえる?」


横から声がする。

そちらを見る。

自分はふわふわとした毛布がかけられた、ベッドの上に横になっていた。


……手?

まるで、人のような。

自分の手を顔の前に持っていき、握ったり開いたりを繰り返す。


「カティ! 良かった……!」


横に膝をついていた人が、泣き声をあげて抱きついてきた。

金色の髪。

フワァと花の香りが広がる。


「私……」


小さく呟いた。


「ここは……?」

「大丈夫? ここはあなたの家よ。しっかり」


小さな部屋の中には、沢山の人影があった。

蛍が数匹たゆたっている。

壁にかけられたカンテラのロウソクが、ジジ……と音を立てた。

横に目をやると、自分に抱きついている少女が見えた。

金色の髪が、夜の空気に淡く光っている。

鳶色の瞳。

十四、五歳ほどの幼い顔。

そして、背中に薄い羽。

四枚の羽が空気に揺れている。


「…………」


ポカンとして少女を見る。


「私よ。アルン。分かる?」


アルンと名乗った少女が手を伸ばして、こちらの肩を揺する。

カティ。

それは自分のことだろうか。


「アルン、カティは大丈夫か?」


浅葱色の服を着た、背中に四枚の羽根を揺らした男性が部屋を覗き込む。

アルンはまだポカンとしているこちらへ手を伸ばし、おでこに当てた。


「熱も下がってる。目も覚めてるみたい」

「良かった。長老に知らせてくる!」


男性が駆け足で部屋を出ていく。

よく見ると、沢山の羽根を持つ人達が、部屋の中にいた。

皆、心配そうにこちらを見ている。


「私は……」


少女……カティが小さな声を発する。


「私は、どうしたの……?」


言葉。

それが自分の口をついて出てきたことに驚く。


「熱を出して倒れてたの。どうしたの? まだ頭痛い?」

「あの、私……」


カティは周りを見て、伺うように言った。


「何も覚えてない……」



カティ・フレンタ。

それが自分の名前らしかった。

今年で十四になる、妖精だ。

背中には四枚の、透き通った七色の羽根。

栗毛の長い癖っ毛が、腰まで伸びている。

鏡を見て、カティはポカンとした顔のまま両手で顔を触った。


「これが私……?」

「熱で一時的な記憶喪失になっているのかもね」


鏡を差し出していた、白衣を着た妖精が眼鏡を指で上げてから言った。

恰幅のいい男性だ。


「体の具合も問題なさそうだ。魔力もちゃんと循環している。健康体だね」

「記憶喪失……」


言葉を反芻して、カティは目の前の医者を見上げた。


「それって、治るんでしょうか?」

「さてね……日常生活を送っていたら、いつの間にか戻ることもあるかもしれない。熱で魔力が足りなくなったことで、記憶が薄れてしまったのかもね」

「あの……」


カティは口を開いて、おずおずと言った。


「何も覚えてないんです。これからどうすればいいんでしょうか……?」

「長老と話してごらん。何かいい仕事を見つけてもらえるかもしれないからね」


医師に言われ、少女は背中の羽根を揺らして、ベッドに上半身を起こした姿勢で頷いた。

そこでトントン、とドアがノックされて開く。

アルンが金髪を揺らして入ってきた。


「カティ、いろいろ思い出した?」


手に果物が沢山入った籠を下げている。

カティは息をついて首を振った。


「うぅん……何も思い出せない」

「そっかぁ……」


表情を落としたアルンに、医療器具をまとめながら医師が言った。


「記憶がない以外は健康だよ。心配ない」

「長老が、カティと話がしたいって」

「それは丁度いい。連れて行ってあげてくれ」

「うん、分かった」


アルンが頷いて、籠をテーブルに置いて近づいてくる。

医師を見送って、アルンはベッド脇の椅子に腰を下ろした。

自分達は妖精だ。

ここは、妖精が暮らす里、ガトン・クラシャ。

妖精は、木の上に小さな家を作って棲んでいる。

自分は、高熱を出して倒れてから、数週間意識がなかったらしい。

そこまでは医師の先生に説明されていたので、理解は出来ていた。

出来ていたが、頭が追いつかない。


「気分はどう?」


この子はアルン。

自分と仲が良い妖精の子らしい。

頷いて、彼女の方を向く。


「大丈夫。だいぶ良くなったよ。ありがとう」

「果物、持ってきたから食べてね」

「うん」

「長老がカティと話がしたいって言ってるんだけど、気分が良ければ、行く?」


問いかけられて、カティは頷いた。


「行く」

「今日はあったかいから、太陽が気持ちいいよ」


アルンに手伝ってもらって、身支度をする。

絹で織られたワンピースを羽織って、彼女に手を引かれて外に出る。

ガトン・クラシャは少数の妖精里だ。

所々の木の上に、小屋が立っている。

背中の羽根を動かして浮かび上がったアルンを見て、カティも羽を動かす。

体がふわりと宙に浮いた。


「わぁ……」


浮遊感と、心地良い空気の感触に息をつく。

アルンに手を引かれながら、カティは巨木が立ち並ぶ、緑の森の中を飛んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る