香奈の悩みを解決するのは(本編・第32話以降の夏休み中)

 夏休みのある日。

 香奈は、今日も予備校に来ていた。

 今はお昼休憩中で、食後、香奈は一人、休憩エリアで模試の結果を見ていた。

「はぁ……」

 何度眺めても模試の結果は変わらない。

 けれど、その結果を見る度にため息が出てしまう。

 第一志望の大学がD判定だった。

 この時期にD判定ならまだいいと思う人もいるかもしれないが、数学の成績が悪すぎてのことだと考えるとそうも言っていられない。

 英語と国語の成績だけで見ればB判定はもらえそうな点数だ。

 この二つを維持、向上させながら数学を伸ばすのは大変なことだった。

 香奈の行きたい大学は国立大学の法学部で、そこは英語、国語、数学が必須科目だ。

 このままじゃいけないという焦りばかりが香奈を襲う。

 数学はずっと苦手で、通常の講義に加え、夏期講習でも同じ講師の初級を受講しているのだが、講師の言うことを実践しているつもりなのに、全く成績が伸びない。


「はぁ……」

 どうしたらいいかわからず、ため息ばかりが出てしまう。


 蒼真は、今日も予備校に来ていた。

 午後の授業が始まるまで休憩エリアにでもいようと思い行くと、そこで香奈を見つけた。

 今までもクラスメイトの香奈が同じ予備校に通っていることは知っていた。

 球技大会のときに、メッセージアプリのグループは作ったが、基本的に二人で話したこともなければ、特別仲がいいという訳でもなかったため、これまで予備校で見かけてもお互い軽く挨拶するくらいだった。

 けれど、七月の終わり、団体でではあるが、一緒に花火大会に行き、同じ時間を過ごし、色々な話もした。

 だからだろうか。

 この日、蒼真は香奈に話しかけてみようと思った。

 もしかしたら香奈が一人で落ち込んでいるように見えたことも関係しているかもしれない。

「遠野、お疲れ」

 突然声をかけられた香奈は身体をビクッとさせ、声の方を向いた。

「高橋、君?」

「おう、どうしたんだ?なんか浮かない顔してるように見えたけど?」

「あはは、そんな風に見えた?……この間の模試の結果が良くなくてね」

 香奈も花火大会の経験があったからだろう。

 声をかけられて驚きはあったが、蒼真だとわかり安堵し、聞かれたことに素直に答えた。


 それくらいにはお互い相手のことを友人だと思っていた。


「模試?全体的に、ってことか?」

「ううん、数学だけなの。数学がどうしても苦手で……」

「そうだったのか。復習はしてみたのか?」

「うん。けど、なんでそうなるのかがわからなくて。先生に聞いても、この公式を使うだけだって言われちゃって。私にはそれが理解できなくて……」

 言いながら香奈は苦笑を浮かべる。いつもそうだ。自分がわからなかった問題について講師に質問するとその問題にあった公式を当てはめるだけ、そう言われるのだが、どうしてそうなるのか、どうしてその公式なのかがわからない。


 蒼真は香奈の言葉を聞いて、少し疑問に思った。

 時計を確認するとまだ昼休憩の時間はある。

 だから香奈が嫌がらなければもう少し聞いてみようと思った。

「今、そのときの模試持ってるか?」

「え?うん、持ってるけど?」

「どの問題がわからなかったか、よかったら教えてもらえないか?俺、理数系は得意だからもしかしたら何か説明できる部分があるかもしれない」

「いいの?高橋君も今休憩中でしょ?」

「ああ、俺の方は問題ない」

 蒼真の言葉に香奈は本当にいいのかと少し悩んだが、結局模試を取り出し、わからなかった問題を伝えた。

「まずは、この問題なんだけど、解答はこの公式を使ってて、先生もこれを使って解く問題だって言うんだけど、私にはどうしてこの公式を使うのかがわからなくて……」

「……遠野はどう解答したんだ?」

 香奈が自分の解答を説明する。相づちを打ちながら蒼真はしっかりと香奈の説明を聴いていた。

 それで蒼真には何かわかったようだ。

「なるほど。遠野の考え方間違ってないぞ。これ、そこの引っかけ問題みたいになってるから。まあ、引っかかっちゃったのは慣れの問題、かな」

「そうなの!?」

 香奈は初めて言われたことに目を大きくした。引っかけ問題、そういうのがあることはわかるが、どこで見分けるのだろうか。

 そんな疑問に対する答えも蒼真は用意してくれていた。蒼真の説明はとてもわかりやすく、香奈はすんなりと理解できた。

 その後も間違えた問題を蒼真に聞くと、同様の引っかけ問題だった。

 そしてそれらも蒼真の説明で理解することができた。

 今までどうしてそうなるのかずっとわからなかったのに、こんなにも簡単に。

 逆に言うとそういう問題以外は解けている。手も足も出なかった問題はまた別だが。


(高橋君、すごい。それにすごくわかりやすい)

 香奈は尊敬の眼差しを蒼真に向ける。

「遠野って数学の講義何取ってるんだ?」

「え?あ、っと、私数学苦手だから基礎からと思って初級を取ってるの」

「どういう教え方されてる?」

「どういう………?まずは公式を覚えるところからだってことで、公式を覚えてそれを当てはめるのを確実にできるように、って感じかな?」

 なぜそんなことを聞くのか香奈にはわからなかった。教え方なんて基本的には同じじゃないのだろうか。そんな疑問を抱きつつも聞かれたことに答える香奈。

「そういうことか。問題はそこだな」

 蒼真は納得したというように断言した。

「っ、初級の講義で言われてることも満足にできてないってことかな?」

 香奈は蒼真の言葉にショックを受けた。

 自分なりに一生懸命やっているつもりだが、人から見たら全然駄目に見えるのか、と。自分が駄目なことは自分が一番わかってる。それでも何とかしたいと思って頑張っているのに。蒼真のように勉強ができる人に自分の気持ちなんて……。

「ん?何言ってんだ?逆だよ逆。遠野はそんなこともう完璧にできてるだろ?だから本当ならもっと応用を学んだ方がいいと思ったんだ」

「え?……どういう、こと?」

 蒼真の言葉に香奈は目を大きくする。

「公式の暗記とか当てはめとか、確かに必要な部分はあるけど、それだけじゃ解けない問題はいっぱいある。遠野が模試でわからなかったのもそういう問題だしな。先生に聞いたのに公式って話が出たって言うからちょっと違和感があったんだ。まあ、つまりは、だ。遠野には初級は易しすぎて向いてないんじゃないかってこと。中級以上の方が遠野の疑問に答えてくれると思うぞ?」

 そんな考えをしたことがなかった香奈は言葉が出なかった。

 その日の昼休憩、香奈はぎりぎりまで蒼真に質問したり、講義のことを相談したりしていた。


 その後、香奈は思い切って中級の講義を取った。

 すると蒼真の言っていたことが正しかったと証明されるように、香奈は数学の理解が深まり、引っかけ問題にも対応できるようになっていった。

 蒼真とも休憩エリアでよく話すようになり、雑談もするが、講義でわからなかったところを聞いたりすることもあった。

 そんな中で、蒼真が学部は違うが、自分の第一志望と同じ大学を目指しているということも知った。いつも一緒にいる雪愛、瑞穂、未来は別の大学を志望している。だから同じ大学を目指す人がこんなに身近にいて、それが香奈は少し嬉しかった。

 そうして過ごすうちに、香奈にとって蒼真と話すこの時間がとても心地いいものになっていき、笑顔も増えていった。

 この頃になると、蒼真は蒼真で、香奈のことは大人しい女子だと思っていたが、随分と表情豊かなんだなと意外に思っていた。

 そんな香奈と話すことは蒼真にとっても講義の合間の楽しみになっていった。


 数学の理解が深まればそれで終わり、ではなく、香奈は次の壁にぶつかった。

 そんなある日、いつものように休憩エリアで蒼真と話しているときに、香奈はその話をした。

「それはそもそもの取っ掛かりが難しい問題だな。どう解くか、この短い問題文から絞らなきゃいけないんだ。一応ヒントはあるんだ。たとえばこの問題だと―――」

 そこでも蒼真はいとも簡単に香奈が理解できるように説明してくれる。

「くくっ、それにしてもこんなレベルの問題、ちょっと前までだったら諦めてたんじゃないか?」

 揶揄うように言う蒼真の言葉に、けれど香奈は、確かに、と納得してしまう。

 以前の模試では手も足もでなかった問題だ。

 短期間に随分レベルアップしていると香奈も実感していた。

「高橋君のおかげだよ。本当にありがとう」

 香奈は笑みを浮かべて蒼真にお礼を言う。

「俺は大したことしてない。遠野が頑張ったからだろ?数学は特に反復が大切な教科だと思うし」

 蒼真が自分の努力を認めてくれていることが香奈には嬉しかった。

 そして蒼真とのこうしたやり取りを夏期講習の間だけで終わらせたくないと考えるようになっていた。

「ふふっ、ありがとう。……ねえ、高橋君、もうすぐ夏期講習は終わりだけど、これからも勉強のこと聞いてもいいかな?高橋君の説明すごくわかりやくて……。もちろん高橋君の勉強の方が大切だし、迷惑だったら止めるから」

 香奈は思い切って蒼真に聞いた。

 できればこれからも――――。

(もっとたくさんお話したい)

「別に迷惑ってことはないけど。俺も人に説明するのは理解が深まるから。けど俺なんかじゃなくて講師に聞いた方がいいんじゃないか?」

 蒼真の言葉に香奈は意を決して言葉を続ける。

「ううん、高橋君の方が、……高橋君が、私はいいの」

 香奈の真剣な表情に蒼真が目を大きくする。

「……わかった。俺は大丈夫だからいつでも聞いてくれ」

「うん!ありがとう」

 それからも二人は変わらず、時に雑談、時に勉強の質問と予備校の休憩スペースで話して過ごすのだった。

受かるといいなぁ」

 思わずそんな表現になってしまった香奈。夢は広がる。同じ大学のキャンパスを蒼真と二人で歩いている自分。考えるとちょっと気恥ずかしくて、でも胸の辺りがポカポカするような気がする。そしてどういう訳か、実現したいという思いが強くなる。

「第一志望だもんな。俺ももっと勉強しないとヤバいし。お互い受かれるようにこれからも頑張ろうぜ」

 蒼真は香奈がそんなことを考えているなんて欠片も理解していなかった。


 けれど、受験までまだ一年以上ある。その間、ずっと二人で頑張っていけたら―――。

 二人の目指す先は同じだ。

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