(5)
ベリルと二人、今度は小豆餡に取り寄せたアーモンドと蜜柑の砂糖煮を入れた月餅を準備してお義母さまの元へと向かっていた。
「まさか、この国でもアーモンドが食べられるとは思っていなかったわ」
「吉報ですね。アーモンドを使ったお菓子は多いですから」
「そのまま食べても美味しいもんね。今度取り寄せる時はもっと多めに頼んでおきましょうか……ベリルもいる?」
「是非! 私の分の購入費用は、給料から天引きしておいて頂ければ!」
「いつも頑張ってくれているからタダで良いわよ。その代わり、またエスメラルダのお菓子を作ってくれたら……って、あら?」
いつも通り落ち着いた雰囲気の皇后宮だったが、ふいにがやがやと周りがざわつき始めた。悲鳴めいた声も聞こえるし、いつになく騒がしい。
「何かあったのかしら」
「念の為、マリガーネット様は私の後ろに。いらっしゃると分かりやすいように、袖か何かを掴んでおいて頂けますか?」
「分かったわ」
言われた通りベリルの後ろに回り、ベリルの利き手とは逆の左側の袖をつかむ。縦に並んだまま、先程よりもゆっくりとしたスピードで歩いて行った。
「皇太子妃さま! ベリルさん!」
皇后宮の女官の一人が、こちらに気づいて駆け寄ってきた。お義母さまを訪ねた際に、時折見掛けた事がある女官だ。
「白蓮ね。何事?」
「皇后さまが、皇后さまが……!」
「お義母さまに何かあったの?」
「皇后さまが、いきなり、苦しまれて、倒れられて」
「何ですって!?」
相変わらず体調が不安定のお義母さまだったが、最近は徐々に上向いてきていた。これで安心と思ったのに……どうして、そんな事に!
「ベリル、行くわよ!」
「はい!」
今度は私が前に立ち、早足で廊下を駆ける。いつも訪ねている寝室の扉を開けると、泣いている女官達の隙間から、胸元を抑えて苦悶の表情を浮かべているお義母さまを発見した。
「お義母さま!」
ベリルと一緒に女官達を掻き分け、お義母さまの状態の確認を始める。明らかな体温の上昇の割に汗が無くて、脈がかなり速い。時折えずいていて、不自然に口が渇いているように見える……もしかして。
「お義母さま、目を開けられますか?」
こちらの声は聞こえているようだったので、目を見せてほしいとお願いする。わかったわ、とかなり掠れた声で答えて下さったお義母さまの瞳を確認して、背筋が凍った。
「ベリル! 私の部屋からあの巾着持ってきて!」
「分かりました!」
「白蓮……ともう一人! 二人で宮廷医を呼んできて! 急いで!」
「はい!」
「あと、貴女! 水差しと茶碗を持ってきて! 水差しには中身を沢山!」
ベリルや近くに居た女官達に指示を出し、もう一度周囲を見回す。お義母さまの侍女を見つけたので、こちらにと呼び寄せた。お義母さまの背中をさすりつつ、彼女には質問をしていく。
「今日の昼食は何だった?」
「特におかしな物は何も……胃腸に負担を掛けないように、具を入れたお粥くらいで」
「何の具だったか覚えてる?」
「大根と、葱と、人参と……そのくらいです」
「他に、何か口にされたものはある? 飲み物でも良いわ」
「後は……お茶を飲まれていたくらいです」
「どんなお茶?」
「陛下から下賜された黒茶です。陛下が下さったものだからとおっしゃって、皇后さま自ら淹れられていて……煮出し過ぎちゃったわ、ちょっと苦いって言って笑ってらっしゃいました」
「……」
麹菌で発酵させて作る黒茶は、基本的にマイルドな味わいの事が多い。特に、陛下クラスの人が手に入れるような品質ならば、少し煮出し過ぎたくらいで変な味になる事は少ないだろう。
「それ、茶葉は残ってる?」
「いいえ。下賜された量は一回分くらいでしたから、もう処分されているかと……大量生産が出来ない物だから、流通している量もかなり限られているとかで滅多に手に入らないものなのだそうです」
「……そう」
ベリルが戻ってきたら、いちかばちか探してみてもらおうか。ベリルはよく厨房で趣味のお菓子を作っているから、私が探すよりは怪しまれない筈。現物があるかないかで、話が大分変わる。
「マリガーネット様! 持ってきました!」
タイミング良くベリルが戻ってきた。お礼を言って巾着を受け取り、中に入れている袋を取り出す。水差しと茶碗も届いたので、袋の中身を茶碗に入れて水で溶いた。色が色なので女官達から更に悲鳴が上がったが、構っている暇はない。
「お義母さま、これ飲んで! 怪しい物じゃないから、黒いけど!」
「これ、は」
「薬よ! 私がエスメラルダから持ってきたの!」
「あ、りが、と……」
「ゆっくりで良いわ。むせないように、少しずつ」
ベリルにも手伝ってもらいお義母さまの体を起こして支えながら、飲むのをサポートする。無事に全て飲み終えた辺りで、宮廷医が到着した。お義母さまの希望で、私とベリル以外の女官達を一旦退室させる。
「ふむ、これは……」
「私が来た時には、胸元の辺りを抑えて苦しんでおられました。時々えずいてらっしゃって」
「体温の割に汗をかいてらっしゃらないのか。どれ、瞳を見せて頂いて……」
お義母さまの瞳を見たお医者さまは、一瞬で顔を強張らせた。部屋の中の空気にも、緊張が走る。
「……処置は、何か」
「先程、手持ちの活性炭をお飲み頂きました。本日の飲食物に関しては、侍女から証言を得られるかと」
「ふむ、それならひとまずは安心か。活性炭はどのくらいの量を?」
「小分けした袋二つ分でしたので、十グラムです」
「残りはございますか?」
「ございます。三日分はありますので、調子が良ければ足りるでしょう」
「では、使わせて頂いた分はこちらで補充致しましょう」
「ありがとうございます」
お医者さまも同じ見立てのようだ。となると、お義母さまが今回倒れた原因はやはりスコポーリア……有毒植物による、中毒症状。
「しかし、よく活性炭なんてお持ちでしたね。まさか皇太子妃さまがお持ちとは思いませんでした」
「こちらに嫁ぐ前に義兄から貰いましたの。解毒薬があれば万一の際も役に立つだろうし、消化管の治療薬としても使えるからとおっしゃって」
とは言っても、本当に解毒薬として使う事になるとは思っていなかった。人生、何がどういう風に役立つかなんて分からないとは本当だ。
「皇太子妃さまの義兄と言えば、エスメラルダの国王様ですね。あのお方は、研究者でもあったという事ですか?」
「正式な博士ではないそうですが、やっている事は変わりません。愛馬にアコナイトと名付けるくらいには有毒植物の研究に傾倒していて、手製の毒薬や解毒薬を愛妻へのプレゼントとするような王様です」
「それは……中々……」
苦笑するお医者さまに、姉も持て余しておりましたと付け加える。本当に、そういうのは専門の人達の間だけでやりとりしてほしい。
「何はともあれ、皇太子妃さまの迅速な判断と対応のお陰で最悪の事態は逃れられそうですな。今後の治療に関しては、我々にお任せ下さい」
「宜しくお願い致します」
それだけ伝え、ベリルと共に部屋を辞した。気は重いが、事の顛末を蒼玉様に報告せねばならない……当事者として。
「一旦部屋に戻りましょう。一連の内容を書き出して纏めて、説明しやすいようにしてからの方が良いでしょ」
「そうですね。支離滅裂な話をして皇太子殿下を混乱させてもいけませんし」
「……そうね、きっと、驚かれるし悲しまれる。そんな姿を想像すると、今から胸が締め付けられるようだわ」
脳裏に浮かんだ彼の笑顔が、悲しみに歪んでいく。そんな想像だけで、そんな表情を思い浮かべただけで、こんなにも苦しくなるものなのか。
(……蒼玉様が笑って下さるためならば)
何でもしたい。そう、本気で思った。
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