(2)
翌日、ベリルと月餅を伴ってお義母さまのお部屋を訪れた。先導してくれる女官に付いて行きながら、皇后宮の中を進んでいく。
「こちらです」
「ありがとう」
お礼を言うと、女官は一礼して下がっていった。心なしか、先日訪れた時よりも人が少ない気がする。お義母さまは療養中だし、人払いでも掛けているのだろうか。
「いらっしゃい。こんな格好で御免なさいね」
「お気になさらないで。こちらこそ、訪問を許可して下さってありがとうございます」
起き上がろうとなさったお義母さまを制し、寝台の横の椅子に座らせてもらう。部屋が薄暗いのでいまいち分かりづらいが、確かに顔色はあまり良くなさそうだ。いつもと違って、声も少し掠れたような響きである。
「可愛い娘の顔を見たら、元気出るかなと思ってね」
「そう思って頂けたのならば嬉しいです。合間を見つけてお邪魔させて頂きますね」
「ふふ、マリガーネットは優しいのね」
「私に出来る事と言えばそのくらいですので……」
「それで充分よ。子供が元気な姿を見せてくれたら、親はそれだけで元気になれるものなの……普通は」
肩を竦めながら言われた言葉に苦笑する。こと貴族の世界では、それ以上を求める親も多いものだ。己の身分に胡坐を掻き親の財産を我が物のように使う子供もいるから、どっちもどっちな気はするが。
「お加減の方は如何ですか?」
「ぼちぼちね。何かの病気という訳ではなくて、過労か何かで弱っているんだろうって話だから長引かないと思ったんだけど」
「そうですね……横に置いてあるのは薬湯ですか?」
「ええ。補中益気湯だったかしら」
なるほど。体力が落ちて弱っているというのならば、妥当な判断である。サイドテーブルの上には、煎じ液以外にも水差しや本が置いてあった。わざわざ水差しがおいてあるのは、喉が良く乾くからいつでも飲めるようにするためらしい。
「お部屋が薄暗いのは、少しでも休みやすようにですか?」
「それもあるけど……意図的に暗くしないと眩しくて」
「眩しい?」
「ええ。一日中寝ている訳ではないから、起きている間は本読んだりとか庭の景色を眺めたりとかしたいんだけど……曇りの日ですら、何となく目がちかちかするのよ」
「そう……ですか」
「でもね、毎日ではないの。今日はまだ調子良い方よ」
「そうなのですか?」
「うん。先週もその前も、ましになった日があったからこのまま治るかなって思ったんだけど」
「流動的なのですね」
「そうね。波はある……それ自体はいつもの事だけど」
お義母さまは元々体が強くないから、体調の変動自体は割とある事らしい。私自身は軽い擦り傷や切り傷、偶の寝不足以外の体調不良とは無縁の身なので想像しか出来ないけれど、きっとそれは大変だろう。
「あら? お隣にいるベリルは何を持っているの?」
「……月餅です」
答えながら後悔した。月餅は美味しいけれど、口の中の水分を持っていかれるから別の物にした方が良かったかもしれない。もう少し詳しく病状を確認しておくんだった。
「もしかして、私に?」
「そのつもりでしたが……あの、ご無理はなさらないで下さいね」
「月餅は好きだから嬉しいわ。お茶と一緒に頂くわね」
「数が多いので、侍女や女官と一緒にお召し上がり頂ければ」
「それじゃあそうさせてもらうわね……」
「お義母さま?」
箱を受け取ったお義母さまは、箱を開けた瞬間文字通り動かなくなった。何か気に障ってしまったのだろうか。恐る恐る声を掛けると、御免なさいねという言葉と共に水色の瞳が向けられる。
「この月餅はどこのお店の?」
「ええと、私が作りました」
「作った? どなたかから教えてもらったの?」
「作り方はベリルが調べてくれました。模様や具材は、以前頂いた珊瑚様の月餅を参考にさせて頂きました……美味しかった、から」
「貴女が持っている包みは?」
「そちらは頂き物です。古い布だけど、お気に入りで手入れを欠かさなかったから十分使えるだろうって」
「どなたから頂いた?」
「……珊瑚様からです」
「……」
それまでは、多少なりとも弾んでいたお義母さまの声が、ぴたりと止まった。お義母さまなら気になさらないかなと思って色々参考にして活用したが、やっぱり無神経だっただろうか。そう思うと更に申し訳なくなってきたので、謝りながら包みを畳んで懐にしまった。お顔を見られなくて俯いていると、大丈夫よという言葉と共に顔を上げるように告げられる。
「貴女が謝る事は無いわ。物に罪はないし、美味しい物を私にもと思ってくれた貴女の気遣いな訳だし……そもそも、自分の物をどう使うかはその人の自由だもの。でも、一部の方々は気にするでしょうから、注意はしておいた方が良いかもしれないわね……楊家の当主とか陛下とか」
「楊家当主は正直想像つきますが、陛下もですか?」
言った後でこれも失言だったなとは思ったけれど、特に突っ込まれなかったので気にしない事にした。言葉を選んでいるのか難しいお顔をなさっているお義母さまを急かさないよう気をつけつつ、続きを待つ。
「……珊瑚妃が後宮に来たばかりの頃だったかしら、彼女が侍女代わりにしている女官から貰ったらしいかんざしを付けていた事があるのね。その女官が手ずから作った物でとても凝っていて……控え目だけど品が良い、彼女に良く似合っていたかんざしだったわ。彼女も気に入っていたようで、私へ挨拶に来てくれた時にも付けていた」
慣例として、側妃は後宮に入ったら皇后に挨拶に伺うのだそうだ。後宮でのナンバーワンは皇后だから、先輩或いは上司に挨拶といった意味合いだろうか。如何な実家同士が対立しているとはいえ、そこは慣例通り行ったらしい。
「でも、次に儀式で見掛けた時には彼女の恰好がまるきり変わっていたの。正直、あまり似合っているとは言い難かったわ。短期間で趣味が変わるとも思えなかったから、それとなく情報収集してみたら……陛下が理由だったみたいで」
「陛下は、一体何を」
「……自分以外の人間が用意した物を彼女が身に着けるのは我慢ならないと言って、彼女が持っていた洋服もかんざしも全部焼却処分させたそうよ」
「なっ……!?」
私みたいに、文化や服装が全く違う国に嫁いだとかならまだしも、それはあまりにも横暴過ぎる。きっと、かんざし以外にも愛着がある物や気に入っていた物があった筈だ。ご自身で選んだ物もあったかもしれない。
「陛下は、ご自身で見繕ってご自身が贈った服や装飾品で着飾った珊瑚妃を眺めてご満悦だったわね。楊家当主も、楊家に関わる貴族達も、陛下と珊瑚妃を仰々しく褒めちぎっていたわ」
「……いくら何でも、あんまりです」
「マリガーネットがそう言ってくれて嬉しいわ。私もそう思うし、皇后宮の侍女も女官も同情していた。珊瑚妃付きの女官達も、表には出さなかったけれど怒り心頭だったみたいね。一部の貴族は皇后を差し置いてあんなに厚遇するのはどうなのかって言ってたらしいけれど、勘違いも甚だしい。あれが厚遇な訳ないでしょう」
「お召し物一式を下賜したという部分だけを見ていたのでしょうか」
「そうでしょうね。でも、陛下が命令して捨てさせたのだから、陛下が全て揃えて当たり前でしょ?」
「その通りです!」
拳を握りながら、賛同の意を力強く答えた。流石のエメ兄さまだって、そこまではしていなかった。自分以外の男性からの贈り物に関しては、かなり厳しく監視していたけれど。
その後は、世間話やエスメラルダの話をして過ごした。私とベリルの話も所望されたのでお話したら、素敵ねと言って笑って下さったのでほっこりした気持ちになる。
お喋り自体は楽しくて、時間が飛ぶように過ぎていった。けれども、お義母さまは何度も水を飲んで、時折むせたのか咳き込んでいて、苦しそうで……顔色も悪くなってきたから、もうそろそろ切り上げた方が良いだろう。
「お義母さま。名残惜しいですけれども、時間も時間ですしお暇させて頂きますね」
「あら、もうそんな時間なのね。残念だけど仕方ないわ」
「また時間を作って会いにきます……あの、一つだけ最後に良いですか?」
「何かしら?」
了承を得られたので、深呼吸してから口を開いた。君からも話してほしい、と言われた蒼玉様からのお使いがあるのだ。
「……蒼玉様が、先日自分の領地に別荘を建てたのですって。山の麓で一年を通して涼しいし、空気も綺麗だし、食べ物も美味しいそうです」
「うん。皇太子が拝領するには地味じゃないかって当時言われていたけれど、あの子は立派に立て直して今は一番豊かな土地になったものね」
「綺麗な寝台も過ごしやすいお召し物も準備して、少数精鋭で気の良い使用人達を厳選して雇ったって……だから、その」
「……うん」
「そちらに移って、療養した方が良いんじゃないかと思うんです。皇都は賑やかで楽しい場所で優秀な医者も多いけれど、休むには少々せわしないのかなって思うから」
その辺りは、どの国でも変わらないのだろう。お姉さまも、出産の時は王家直轄地の別荘に移動していた。あの方が居ないのは寂しいけれど、無事に身二つになるには必要だと思うから……そうおっしゃって。とは言え、エメ兄さまは毎週アコナイトに乗って会いにいってらっしゃったけれど。
お義母さまの水色から目を逸らさずに、じっと返事を待った。お義母さまは、思案するかのように少しの間だけ瞳を閉じる。
「ありがたい申し出だけど、お断りするわ」
「……お義母さま」
「貴女達が、私を気遣ってくれるのは嬉しいのよ。そして、ここに留まっている事で、余計に心配を掛けてしまっている事を申し訳なくも思う。けれどね」
「けれど?」
「私は、まだここを離れる訳にはいかない。だから……もう少しだけ、母の我儘を聞いて頂戴?」
「……理由をお伺いしても?」
意を決して尋ねてみたが、お義母さまは何もおっしゃらなかった。何もおっしゃらず、淡く微笑んでいるばかり。
「それなりに生きているから、色々あるのよ」
ようやっと口にされた言葉は、それ以上の追及を許さないと言わんばかりの空気を纏っていた。当然、それでもと食い下がる事は出来ないし、そもそも別荘の件は完全にこちらのお節介である。蒼玉様も、断られる可能性の方が高いだろうとおっしゃっていた。
「差し出がましい真似を致しました。申し訳ありません」
「ううん。寧ろ、心配かけているこちらの方が謝らないといけないくらいよ。頼もしい息子と娘を持って、私は幸せ者だわ」
お義母さまのお顔が、いつもの笑顔に戻った。にこにこと可愛らしい笑顔を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
「いつでも頼って下さいね。出来得る限りの事はします」
それだけ告げて、ベリルと一緒に部屋を出る。一緒に帰りながら、私は私に出来る事をしようと心に決めた。
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