第16話 あなたを監禁したい。
時刻二十二時半。
街灯が無ければ、きっと何も見えないであろうどうしようもない夜道。
そんな場所で、俺と瑠衣姉は二人きりになり、トボトボと家を目指して歩いていた。
八女先生とは、ファミレスを出てから別れたばかりだ。
目をキラキラさせてた。
『じゃあ、瑠衣ちゃんと三代君が僕を女性らしくしてくれるんだな!? 本当に、本当だな!? 僕、信じてるから!』
――てな感じのことを言って。
……いやぁ……。
思わず頭を抱えたくなるし、ため息をつきたくなる。
さっきから何度も思ってるけど、本当にどうしてこうなった……?
俺は今日、瑠衣姉のことをたぶらかそうとしていた八女先生を成敗するために、わざわざ居酒屋のんべぇを見張ってたわけだ。
完全にあの人のことは男だと思ってたのに、まさかの女。
それも、別に男性恐怖症ってわけじゃないけど、境遇がどこか瑠衣姉と似ていて。
最終的に、俺もとんでもないことを口走って、あの状況を切り抜けた。
『俺が瑠衣姉を勝手に好いてるだけなんです!』
って……。
嘘のような本音を叫び、挙句の果てにはこれだ。
明日から瑠衣姉と一緒に、八女先生のことを女性らしくさせる作戦を行っていくことになった。
具体的な策はない。
というより、今の俺は、ひたすらに『俺が勝手に好いてる』発言の言い訳をどうしようか、頭の中でグルグルと考え続けてる状況だ。ひたすらに無言で歩き続けてる。
瑠衣姉が何を考えているかはわからないけど、彼女も無言で、ひたすらトボトボと歩いている感じ。
沈黙は、次の会話への取っ掛かりを完全に見失わせていた。
何て言葉を掛ければいいのかわからない。
どことなく俺たちの間には、気まずさが流れていた。
「……っ……」
「………………」
「「あ、あの――」」
思い切って沈黙を破ろうとする俺。
だが、それは瑠衣姉も同じだったらしく、俺たちは声を被らせてしまい、「どうぞどうぞ」と互いに譲り合う。
結局、俺が先に話すことになった。
こほん、と咳払いし、切り出す。
「その……何と言いますか……ごめん、瑠衣姉。俺、あんなこと言って」
「……へ……? あんなこと……?」
「ほら、お、俺が……勝手に瑠衣姉のことを好いてるだの何だの言ったやつ……。とんでもないこと口走ったから……」
俺が申し訳なさげに言うと、瑠衣姉は手を横にブンブン振り、
「そ、そんなのりん君が謝るようなことじゃないよ! わたっ、私もあの時もっと上手なこと言えてたら、状況だって悪くならなかったはずだし!」
「で、でも……」
「と、というか、別に状況が悪くなったわけじゃないよね? 八女先生を女性らしくさせようってことで意見は一致したし、何だかんだ明日から前向きに目標へ向かって頑張ろーってことになったし! うんっ!」
「……無理やりポジティブになろうとしてる感……」
「そ、そんなことないよ!? 無理やりとかそんなこと、決して……」
「……」
「決して……」
続く言葉を紡げず、押し黙ってしまう瑠衣姉。
俺は悟られない程度に小さくため息をつき、言葉を返した。
「もしかしたら八女先生経由で、俺たちのことがバレるかもしれない。仮ってことにはしてるけど、何も知らない八女先生は、あの冗談を本気にするかもだし」
「……冗談……」
まるで事実だったら、とでも言いたげに、瑠衣姉はポツリと呟いた。
俺は内心、「ぬぐぐ」と歯ぎしりする。
本当は『冗談』なんかじゃない。『本気』だ。
でも、こうやって言うしかないから。
その状況に心底歯がゆさを感じてしまった。
一転して、瑠衣姉は無理に作った明るい表情で返してくる。
「だ、だけど、そうは言っても、八女先生酔ってたから。私たちが色々協力するってことは覚えてても、りん君の言ったこと、細かくは覚えてないかもしれないよ?」
「かも、だよね? 確実なことは何も言えない。そうなると、確率はゼロじゃないってことになる」
「そんな……」
「そしたら、俺たちの関係は、瞬く間に全校に広がるよ。騒ぎになること間違いない」
「……」
「俺は…………瑠衣姉と今の関係を続けられなくなる」
「……りん君……」
「仮恋人っていう、今の関係を」
俺は進めていた歩を止めた。
それは、隣を歩いていた瑠衣姉が歩くのを一時的にやめたからだ。
彼女は立ち止まり、うつむいていた。
下がり眉で、悲しそうな顔をして。
「それは……。それは困るよ……」
「…………どうして?」
俺の言葉を聞いて、瑠衣姉はゆっくりと顔を上げる。
その表情は、瞳には、涙が浮かんでいた。
「りん君……。どうして……なんて……そんな意地悪な風に聞かないでよ……」
「っ……」
「そんなの……わかってるでしょ? 私……りん君のことが大好きなのに……」
胸を突かれたような思いに駆られる。
ズンっと、重い痛みが、俺にくだらない問いかけをしたことを後悔させてくれた。
「……ごめん。どうかし過ぎてた。いくら何でもそれはなかった」
自分の頭をくしゃくしゃと掻く。
瑠衣姉は目元を抑え、ただ涙が流れるのを我慢していた。
それを見て、余計に胸が痛くなる。
本音を漏らさずにいることなんてできなかった。
「瑠衣姉……?」
「……なに……?」
「俺、早く歳を取りたい」
「……え?」
ぐす、と鼻をすする瑠衣姉の手を握る。
そして、我慢できなくなった俺は、彼女の体を抱き締めた。
「り、りん……くん……?」
「早く歳を取って、瑠衣姉にちゃんと想いを伝えたい。高校生とかじゃなくて、結婚できるような歳になりたいよ」
「っ……!」
「そしたら……こんな思いをせずに……好きなだけ言えるのに」
……瑠衣姉のことが好きだって……。
「…………何を……?」
消え入りそうな声で問うてくる瑠衣姉。
俺はそれを聞き、クスッと小さく笑ってみせた。
「それこそ、瑠衣姉だって意地悪だよ。聞かないで、今さら」
「……っ~……!」
「俺、実は今日、八女先生にめちゃくちゃ嫉妬してた」
「……し……嫉妬……?」
うん、と小さな声で頷く。
それから、俺は瑠衣姉の耳元で囁くように続けた。
「学校の廊下で、瑠衣姉と八女先生が仲良くしてるところ見たんだ。飲み会の送り迎えは任せて、とか言われてさ。瑠衣姉、すごく嬉しそうにしてたから」
「り……りんく……っ」
「俺以外の男の人と会話できないって言ってたのに、どうして? って。すっごい嫉妬した。瑠衣姉のこと、誰にも渡したくないのに。あんなぽっと出のイケメン教師に何を、って」
「み……みみっ……」
「嫉妬して、嫉妬して、嫉妬して、それで、居酒屋の外でずっと待ってた。瑠衣姉が出てくるの」
「ふぁっ……あぁぁ……!」
「……そしたら、やっぱり八女先生と一緒に出て来てさ。結局あの人が女性ってわかったからよかったけど、あれで男性だったら、俺は――」
瑠衣姉のこと、監禁してたかもしれない。
そう告げた途端、彼女は力尽きるように、膝からガクンとなってその場に尻もちをついた。
呼吸を荒くさせ、夜闇の中でもわかるほど瞳を潤ませている。
けれど、呼吸が荒くなっていたのは瑠衣姉だけじゃない。
俺もだった。
鬼気迫るように彼女を見つめ、しゃがみ込む。
「ねえ、瑠衣姉? 瑠衣姉こそ約束して?」
「や……やく……しょく……?」
とろけた口調で、瞳で、カクンと首を傾げる彼女。
俺は続けた。
「俺が瑠衣姉と正式に付き合える年齢になるまで、絶対に他の男とイチャイチャしないで」
もしもしてるところを見かけたら――
「……絶対に俺の部屋に閉じ込めるから。いい? わかった、瑠衣姉?」
「ひゃ……ひゃいぃ……」
とろけ切った瑠衣姉は、瞳にハートマークでも浮かべるみたいな目をして頷くのだった。
けれど、俺は後になって思う。
この時の自分は、もしかすると、瑠衣姉のアルコールの含まれた吐息。
そいつによって酔ってしまっていたのではないか、と。
いくら何でも本音で話し過ぎだし、とんでもないことを言ってしまっていたから。
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