35.逃避

 ――ガキンッ!!


「……随分と手荒じゃないか」


 振り抜かれた剣先を咄嗟に召還した大鎌でいなし、すぐさま臨戦態勢に移るミェルさん。

 対する修道女と思しき人物はその様を見るなり後退して距離を取り、目の色を変える。


「あァ、そうか……く、くくっ……はははは!!そりゃあエイレンがられるワケだ!!強いなァ!!」


 狂笑と共に大剣を両手に構え直した彼女は、獣さながらの瞳孔を見開き、高らかに声を上げる。


「いいぜ魔女!!てめえには名乗ってやる……俺はランジア、リスルディアのシスターだ。最もお祈りなんかよりも……」


 ……不意に姿勢を下げ、ランジアと名乗った彼女は剣を後ろへ引く。


「魔女狩りが本業のシスターだがなァ!!」


 ――空気を切り裂かんばりの勢いで真正面のミェルさんへと突進。

 下から上へとその剣を振り上げる。


「ぐ……っ!!野蛮だな……!!」


 大鎌ですんでのところで受け止めたミェルさんの表情が歪む。

 純粋な馬力で、あのミェルさんが押されている。


 どうしよう、私は……どうしたら――。


「逃げろ!!」


 ミェルさんの声に反射的に足が動く。

 何の迷いもなく全速力で、壊された扉から一階へと。


 私が迷っちゃだめだ。弱気になっちゃだめだ。

 ミェルさんは負けない。今はただひたすら目的地への方角に逃げればいい……!!


「おい……!!見ろ、魔女と一緒にいた少女だ!!」


「やば……っ!!」


 一階に降りるなり、即座に廊下の端に居た二人の修道服の男に鉢合わせた。まずい。ランジアとかいうシスター単独じゃないとなると、そうこうしているうちに宿全体が包囲されて逃げ場を失うことになる。

 立ち止まっている暇は……ない。


「やる……やってやる……っ!!」


 己を奮い立たせ、男と反対方向に脱兎のごとく走り抜ける。

 この宿には出入口が二つ。一つはさっき男たちがいた正面玄関、そしてもう一つは――。


「あった……!!」


 恐らく従業員用の入り口が、廊下を曲がった先にあった。


「逃がすなッ!!」

 

 背後から男たちの怒声と、キリキリとボウガンを絞る音がし始める。


「間に合え……っ!!」


 発射される寸前で飛びつくように扉を開け、力任せに扉を閉める。そのまま扉横の木箱をバリケードとして蹴り倒して、全力疾走を再開した。


 極限まで頭を回転させてミェルさんとの会話と、地図を思い出す。大丈夫、こっちの方角であってる。問題は国から出るときだ。ミェルさんがそれまでに合流できなければ、脱出は望み薄だろう。……でもそんなのは杞憂だ。ミェルさんは来てくれる、絶対に。


 宿の裏手から大通りに走り出る。

 人もまばらな朝の石畳の街並みを休む間もなくただひたすらに。


 ――しかしそう簡単に、リスルディアは私を逃がしてはくれない。


「居たぞー!!こっちだ!!」


 男の声を呼び水にして向かいの街並みから数人の信徒か走ってくるのが見える。

 だったら、こっちはルートを変えるだけ。


 左手にあった路地裏に飛び込み、目的地への方角を間違わないように細い道を抜けていく。後方から数多の足音が響くが、こうも狭い路地なら複数人で追ってきている方が地形的に不利になる。


 入り組んだ構造の道をなんとか突破し、再び街中へと躍り出た。――が。


「……出てきたか、魔女の手先!!」


「観念しろ!!」


 宿から追ってきたであろう二人組の男が先回りし、路地から出てきた私にボウガンを突き付ける。やっぱり土地勘では、どうしても私は勝てなかった。


「ま、まって……私、何も……」


 ボウガンの発射口が目と鼻の先に差し向けられた。


 吹き出る汗は冷や汗に変わり、どうしよもなく身体が震え始める。

 疲労と恐怖が堰を切って押し寄せ、ヘナヘナと地面に膝をついて土下座のように項垂れる。

 

 結局、振り回されるだけ振り回されて、こんなにあっけなく終わるんだな。一番最後に家族の顔を見たのが、随分昔のことのように思える。

 やりたいことがたくさんあった。行きたい場所もたくさん。

 そしてなにより。こんなことになった全ての元凶はミェルさんだけど、彼女と一緒に帰りたかった。……でも結局あの人に責任があるわけだし、ちょっとくらい呪ってもバチは当たらないよね。

 

 死にたくない。怖い。そう思っても、私にはなにもできない。

 なにも……。


 ……なにも?本当に?


 ――違う。まだ方法はある。


「主の為に……死ね」


 引き金に男の指がかかり、なんの躊躇いもなくその指を動かす。

 金属の擦れる音が一瞬。


 ――その直後に、矢が私に放たれた。

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