余談
グラタンの日
何となく嫌な予感はしていたんだ。
俺は青い顔で白い画面を見詰めていた。
就活が終わって卒論に追われていた矢先、アメリカで大手の銀行が破産した。結果、株価大荒れ。勉強程度に持っていた銘柄は値を落としたものの、幸いマイナスにはならなかった。しかしそれに冷や汗をかいていたのも束の間、就職を決めていた商社からメールが届いたのである。
「倒産……嘘だろ…………」
冬の底冷えする教室で、俺は頭を抱えた。正直ちょっと泣きそうである。
今からまた就活? 無茶言うな、卒論だけで手一杯だ。
俺は机に突っ伏した。
アキラから久しぶりに「家に行ってもいいか」という連絡が来た。俺は仕事の疲れも吹っ飛んだ気持ちで返事を返す。退社は五時で明日は休みである。タイミングは最高だ。
「たまには料理でもしようかな」
来るのは六時過ぎくらいらしいから、簡単なものなら作れるだろう。普段は面倒なので買ったものばかりだが、何も作れないって訳じゃない。父子家庭だったし、実家にいた頃は家事も結構していたのだ。それに、アキラが来る様になってから調理器具も増えた。
「寒いからグラタンがいいかなあ」
ホワイトソースからとなると少し手間だが、箱で売っているグラタンの素なら簡単だしすぐに作れる。あとはシーフードにするか鶏肉にするか、ベーコンやウィンナーでも良い。冷凍のブロッコリーはあるけど玉ねぎとか牛乳とかは買わないと。あとチーズも必要だ。
ふふ、とマスクの下で笑ってしまう。好きな人が居るのは幸せな事だ。
仕事も予定通り終り、ささっと買い物をしてチャチャッとグラタンを作る。少し前に電子レンジが壊れたから、オーブンレンジに買い換えた。グラタン皿なんて洒落たものは無いから、大きめの皿にバターを塗ってグラタンを流し込んでしまう。焼いてから取り皿で分けて食べれば良い。チーズも忘れずたっぷりと。
あとはアキラが来たらレンジで温めてからオーブン機能で焼く。完璧だ。ちなみにサラダはパックのデリを買ってきてしまった。まあそんなもんである。できる範囲で良し。
調理器具を片付けていると、ガチャッと鍵が開いた。慌てて水で流し手を拭く。
「いらっしゃい、寒かったでしょ?」
「うん」
応えた声は何となく違和感があるというか、元気が無かった。
「……お腹空いたでしょ、ちょっと座ってて」
「…………」
口数少なく靴を脱ぐ。
久しぶりに会ったのに何だか空気が良くない。どうしたんだろう。
……まさか、別れたいとか言われるのか?
一瞬冷水をかけられたような気持ちになったが、アキラはコートも脱がずに俺を抱き締めた。強く締め付ける腕に内心安堵するが、やはりいつもと様子が違う。何時もは温かい大きな手が酷く冷たかった。
「……冷えてる、先お風呂入……っ……」
言い終わる前に深く口付けられて、口腔を無理やりこじ開けられる。嫌ではないが唐突で着いていけない。ザラっと上顎を撫でられて、腰の辺りがゾワッとする。
チュ、と音を立てて唇が離れた。頬が熱い。俺は今どんな顔をしてるんだ。
アキラは唇を指で拭い、バサッとコートを脱ぎながら言った。
「一緒に入る」
キスをしながら半ば強引に服を剥がされて、風呂場に押し込まれた。
熱いシャワーが肌を叩き、アキラの事もびしょびしょに濡らしている。
「あのさ」
「なに」
「……何か学校で嫌な事あった?」
綺麗な飴色の目がキュッとする。何か言おうとして、やっぱり言わない。俺達は二人とも、弱い所を見せるのがあんまり得意じゃない。だから、無理に聞き出すのが良くないって事もなんとなく分かってる。
「……俺に何か出来ることある?」
このくらいが丁度良いんじゃなかろうか。
「ん……っ」
アキラはちょっと迷い、俺の肩に頭を預けるように抱き着いてくる。身長差があるからちょっと体制がキツそう。
よしよしと広い背中を撫でてやると、ようやくポつりと言った。
「……ちょっと疲れたから、甘えさせて欲しい……」
良いよ、と返事をする代わりにギュッと抱きしめ返した。
床と肌を叩くシャワーの水音。湯気。その中の小さな異音。
カナタの黒い髪が濡れて、ポタポタと雫が滴っている。
かわいい。かわいい。
受け入れてもらえるというのはとても心地良い事で、昼間の不安は癒え無くても、存在を許されるような安堵感が心を包む。
「えろい、すき」
「ん……」
そっと抱き上げて、湯気で湿った壁面に手を付かせる。
「怖くない?」
「……大丈夫だと思う……」
「しんどかったら直ぐに教えて」
滑らかな肌合いがシャワーの湯でしとどに濡れて、ぺたりとくっついたら、そのまま一つに溶け合ってしまえる様な気がした。
しかし、腹が減った。
カナタはすっかりへばってしまい、身体を拭いていたら倒れ込むように寝てしまった。仕事上がりだし疲れていたのかも知れない。
俺はと言えば、服を着て髪を乾かし、空腹に耐えられず元バイト先のスーパーまで歩いた。セックスした直後で気まずい事この上ないが、この辺りはコンビニも無いので仕方無い。
カゴにコーラを突っ込んでいると、背後から声がかかった。
「お、志津暁だ。何してんの?」
毎度おなじみ、色々お世話になりすぎて頭が上がらない宮崎さんである。もう帰る所なのか、スーツ姿でカゴの中には弁当が入っていた。
「あ、こんばんは……腹減っちゃって」
「え? 今日グラタンじゃねぇの?」
グラタン…………?
「えっ、食べてないです」
「何で? さっきカナタ材料とか買ってたけど……あー……」
何か気が付いてしまった顔の宮崎さんが、なんとも言えない気まずい顔で言葉を濁す。
俺はやらかしたらしい。冷蔵庫には無かったからオーブンレンジの中かも知れない。
「か、帰ります!」
「あー……まあ仲良くしろよ」
せっかくカナタが作って待っててくれてたのに!
俺はコーラで許してもらえる事を祈りつつ、慌てて会計をして、寒空の下アパートに走った。
終
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