第21話 夏が待っている

 二月から四月初頭にかけて、引越し屋と電気屋は目が回るような忙しさだと言う。

 そう聞いてはいたのだが、実際家電配送のバイトをしてみると目が回るどころの騒ぎでは無い。

 今なんか、エレベーターの無い団地の五階まで、百キロを超える冷蔵庫を二人だけで上げているのである。正直生きた心地がしなかった。

 もちろん階段、数十万もするの商品だ。正社員である兄の誘導で少しずつ運ぶのだが、重さもさることながら、破損したら兄自身が弁済すると言うのだがらたまったものでは無い。

 軍手をした手でダンボールに巻かれたバンドを必死に掴み、汗だくになりながら何とか運び込み、壁と床に傷を付けぬ様何とか設置。

 説明は兄の仕事なのでその間にゴミやダンボールなんかを片付け、トラックの中ので次の現場のを準備しておく。

 自分に割り振られた仕事を終えて、俺は汗を拭いながら助手席に座った。今日の配送の中で一番きつい現場が終わった事に少しほっとする。

 ガチャっと運転席のドアが開いて、兄が飛び乗るみたいに乗車してきた。

「お待たせー、ジュースもらった。アキラどっちが良い?」

「こっちが良い」

 迷わずスポーツドリンクを貰うと、兄は緑茶のキャップを開けながら笑った。

「結構キツかったべ?」

「マジとんでもない……」

 こんなにきつい現場は一日一件か二件だが、それでも繁忙期は一日十五件前後の現場を回る。正直休憩なんて無いようなもので、パンをかじりながら運転する兄の横で、コンビニ弁当を食べているような有様だ。

 しかし給料は良い。その額日当一万。短い春休みだけでも結構良い金額になる。

 春休みが明けても月に何度かは働くつもりだ。しかし、梅雨の雨や夏の暑さの中、このバイトをすると思うと中々ぞっとする。

 無論、受験勉強が順調に進めばである。が、しかし、

「すっごい体鍛えられそう……」

俺はまだ張っている筋肉を揉んでみる。何日か働いただけで腕が太くなった気がするのは気のせいだろうか。

「アキラはαだし、続けてたらめちゃくちゃ腕太くなると思うぜ」

 そう言う兄は、兄弟で唯一のβだ。一番上の兄と俺はαである。……家に居辛かった事は想像に難くない。

 二番目の兄は高校を出て直ぐ、母の反対を押し切って家電配送の会社に就職し、家を出た。

 俺とよく似た顔立ちだが背は少し低く、だが細く硬い筋肉が格好良くて羨ましい。一見着痩せしているが、一人で百キロまでなら背負えると言う。つくづくとんでもない仕事だ。

「俺も鍛えたら兄ちゃんみたいに格好良くなるかな」

「お前カワイイな!?」

「知ってる」


 丸一日のバイトを終えて、疲れた身体を引き摺るようにしてやっと寮に帰ると、カケルが少ない荷物をまとめている所だった。

 三年は個室になるので明日は部屋替え。二年間相部屋だったカケルとも一応お別れである。

「お帰りー」

「ただいま」

 こんなやり取りも今日で最後だ。俺の荷物は殆ど片付いていて、日用品以外は大体個室に運び入れてあった。

 春の匂いがして、桜が散って、その後の事はまだ想像出来ない。

 八月になったらカナタさんの受験は終わる。

 俺はその頃何をやっているんだろう。

「なんか実感湧かないなー、明日から一人かぁ」

 カケルの声が少しいつもと違う。

「何? 泣いてんの?」

「うるせぇ悪いかよ」

「部屋変わるだけで別にまた会えばいいじゃん」

 カケルはグズグズしつつ、小声で言う。

「……毎日遊びに行ってもいい?」

「毎日はうぜぇわ」

「ひどい!」

 俺は寂しいのを茶化して誤魔化してみる。明日からは一人なのだ。

「お前絶対また何かやらかすだろ、俺もう助けんから」

「えー……俺も色々懲りたんだって」

「絶対また女関係でやらかすわ」

「……なるべく気を付ける……!」

 カケルはそう言うとやっと笑って、持っていた服を置いて俺に向き直った。

「あのΩのおにーさんに『ありがとうございました』って伝えて?」

 そう言う顔は、去年より少し大人びている様に見えた。皆変わっていく。俺はどうなるんだろう。カナタさんは、高卒認定を取れたらどうなるんだろう。

 スマホがポコンと鳴った。タイトルにあるのは「ZA/JAMP」の文字。

 登録しておいた、ZA/JAMPのオフィシャルアカウントからの通知だ。

 開くと、ホールツアー決定の知らせ。

「……会えたら、言うよ」

 春の匂いの後、桜が散って、暑い暑い夏が来て、その後俺達はどうなるんだろう。


 英語のテキストが一段落して一息ついた時、スマホが震えて通知を知らせた。メールである。ファンクラブのお知らせだ。

『ZA/JAMPホールツアー決定!!』

「決まったんだ……」

 ツアー日帝はまだ告知されて居ない。

 俺はスマホを伏せて、またテキストに向き直った。期待してはいけない。

『じゃあ俺と行きましょう!』

 そう言ってくれただけで十分。それで満足しないと。

 だけど、少しドキドキしてしまう自分も居る。もしかしたら、ひょっとすると、アキラくんと一緒に行けるだろうか。

「……俺らしく無いな」

 あんまり期待を持たないようにしないと、ダメだった時のダメージが大きい。

 それは分かっているのに、なんとなくアキラくんと一緒に行ける気がする、なんて。


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