第三十話「麻理恵に気づかされる」

 琴音が寝る前寝転がってネムのブログを読み返していたら、麻理恵からのメッセージが入った。


――聞いてよ彼氏できたんだけど――


――よかったね。この間の人?――


――そう。付き合うのおっけーもらった。ガチ幸せ――


 麻理恵は続けて送ってくる。


――身体の関係なしでいいって約束取り付けた。ぷらとでいいって――


――理解ある人だね――


 過去のことを打ち明けたのかどうかは聞けなかった。仲間内でどれくらい知られているのかも、琴音には分からない。


 琴音は別の切り口で、気になっていることを聞いてみる決意を固めた。かなりためらったが、麻理恵の気持ちを知りたいのだ。 


――気分悪くしないでほしいんだけど――


――なに――


――白田先生のことは忘れられそう?――


 少しの間麻理恵からの反応はない。三分ほどの沈黙の後、画面に麻理恵からのメッセージが現れる。


――寿馬には会いたい。あの人を忘れるのは無理だよ。けど――


 琴音は麻理恵の返信を待つ。


――もちろん怒ってもいる。されたこと覚えてる。でもウチは寿馬とまた会って話をしてえよ。会えるなら、今からでも家を飛び出して会いに行くんだ。でも寿馬とはもうどうやっても会えねえ。それは分かってんだ――


 麻理恵の言葉がまだ続くのは分かったので、琴音は静かに画面を見つめる。


――寿馬がいなくても、ウチは生きていかなきゃなんねえんだって、自分に何度も言い聞かせて、今まで生きてきた。だから彼氏も作れた。寿馬がいないと生きていけねえって思ってたけど、ウチ、まだ生きてるわけじゃん。すっげーつらいけど、でももう寿馬なしで生きていけると思う――



 麻理恵とおやすみを言い合ってから、琴音は麻理恵からのメッセージを何度も読み返す。

 

 彼女の言葉に感銘を受けたのだ。私も、ネムがいなくなった世界でどう生きていけばよいか分からない。でも、ネムが本当にいなくなるのだとしても、私は私として生きていかなきゃいけないんだ。


 ネムの不在の痛みはいつまで経っても消えず、和らぐことさえない。しかし琴音は震える自分の二本の脚で立ち、自力で生きようとし始めたのである。



 週末に麻理恵と待ち合わせた。久しぶりに二人で遊ぶことになったのだ。麻理恵は革ジャンのポケットに両手を突っ込んで現れた。


 約束通りバスで大型ショッピングモールへ向かう。


 着くなり麻理恵が


「ドーナッツ屋行かね? 腹減った」


と言う。


「彼氏がさ、ドーナッツじゃご飯にならねえからダメって言うの。それで最近行けてねんだ」 


「私、ジュースだけでいい?」


「いちいちそんな文句言わねえし」


 店に着いても、麻理恵は言葉通りの態度だった。母や歌羽のように、食べさせようとしてこなかったので琴音は安心する。本当は味付きのものは飲みたくなかったが、席を占領するのに何も頼まないわけにはいかなくて、琴音はノンカロリーのウーロン茶を頼んでお茶を濁す。


「この新作食いたかったー。食えて嬉しい」


「おいしい?」


「超うまい。今度みんなに教えてやろ」


 嬉しそうに色とりどりのドーナッツを頬張る麻理恵を見て、琴音は微笑ましく思う。 


 食事の時間がいつもこんな風に穏やかだったらいいのに……。


 一息つくと、麻理恵が尋ねてきた。


「今日は何見たい?」


「麻理恵の見たいところ行くのでいいよ」


「えー、何見よっかな」


 ドーナッツ店を出て、なんとなく歩くうちに、二人はティーンの女子向けの文房具と雑貨の店に辿り着く。麻理恵は自然と商品に手を伸ばす。


「このペンケース可愛いじゃん」


 麻理恵が手に取ったのは、ベージュの生地の上に英字が印刷され、ウサギの絵が描かれている布製の細長いペンケースだ。  


「そうだね」


「これよりホワイトの方がいいな。でもちょい高えや」


 麻理恵は隣の白いバージョンを指し、商品を棚に戻すと琴音を一瞥して、こう言う。


「琴音も見なよ」


「えー、私はいいや」


 麻理恵は口を窄めてから前を向き、奥へ行く。


「これよくね? キャラものかな」


 とコップを見せてきた。透明なアクリルのコップに薄い朱色と水色でポップな魚の絵が描いてある。


「どう?」


「うーん、どうなんだろ。私はセンスないから」


「そんな自信ないこと言わんでいいから」


「だって、本当だもん。私が選んでも意味ない。あんまりおしゃれなのは私に不相応だから」


「そのよく分かんねえ考え、琴音のどっから来るの?」


 麻理恵が少し機嫌の悪い声を出したので、琴音は慌てた。


「ごめん」


「怒ってない。でもなんでそんな自分下げるようなこと言うのか、分かんね。誰かに何か言われた?」 


 麻理恵は琴音の顔を見つめてくる。 


「豊子ちゃんに、私はセンスないって、散々言われて、思い知ったの」 


「何、豊子って」


 麻理恵は眉をひそめて、言ってくる。


「あの琴音を子分みたいに侍らせていっつもまとわりついて、延々とチクチクチクチク攻撃してたあれ? あれのこと?」 


「そんな風に見えてたの?」


「みんな陰口言ってたよ、ぶっちゃけ。なんであんなに琴音に偉そうなんだろうって。自分が依存してるくせにさ。小せえガキじゃねえのに」 


 琴音は思いもよらぬ評価に戸惑いを隠せなかった。すかさず麻理恵は指摘する。 


「言われてんの、知らなかったっしょ」 


「みんな豊子ちゃんのことは好きなんだと思ってた」


「好きなわけないじゃん。あんなのモロにいじめだよ。あんな奴のことは忘れていいんだよ。今すぐ忘れな」


 麻理恵は驚いている琴音の肩を叩く。 


「そうさ、豊子とかいう女のことは気にすんな。琴音は遠慮しないでやりたいようにやりゃいいんだよ」


 麻理恵の言葉は琴音の傷む胸を貫くようだった。痛みに直接作用するもので、苦しいが、癒えていく感覚もある。まるで沁みる傷薬のようだ。



 琴音は麻理恵にせっつかれて、自分の見たい店を選んだ。完全に誰かの前で意思を示せるようになるまでは時間が掛かりそうだが、琴音の中でスイッチが切り替わる感覚があった。



 帰りのバスで、琴音がスマートフォンでネムのブログを開き、相変わらず更新がないのを浮かない顔で確認すると、麻理恵が横からのぞき込んでくる。


「またそれ見てる」


「気づいてたの」


「行きでも、ドーナッツ屋でも見てたじゃん。あんまりずっと見てるから彼氏のブログかなと思ってたけど、それ、ぬしどう見ても女じゃね」 


「彼氏とかじゃないよ」


 琴音は驚き慌てた。


「友だちのブログなんだ」


 琴音は話し出す。


「このブログを私が見始めて、知り合った。ラインも本名も知ってる。一回会って遊んだ。すごくいい子なんだ。私のことを分かってくれて……。でも、二ヶ月くらい前に入院しちゃってね」


「なんで」


「自殺図っちゃって」 


 麻理恵は顔をしかめる。


「病んでんな」


「無事だったみたいだけど――死んじゃう前に見つかったからね――それはよかったけど、入院して以来、ずっと更新がないの。スマホもパソコンも取り上げられて使えないって言ってたけど。私は戻ってきてほしい。また話がしたいし、すごく会いたいよ。でも」


 琴音は一瞬声を詰まらせる。数秒唇をかみしめたが、懸命に言葉を絞り出す。


「半分諦めてる。退院できるのかどうかも分からないし、退院できたとしてもブログと私の前へ戻ってくる保証はない。分かんないけど。それで、今日こそ今こそ更新ないかと思って、つい四六時中ブログ見ちゃうよ」


「まだ諦める必要ないんじゃね」


 麻理恵の一層優しい声に、琴音は心を打たれ、麻理恵の顔を見た。


「きっと戻ってくる。仲よかったんだろ? 友だちなら、琴音との関係をそんな簡単に切らねえよ。向こうもきっと琴音のこと大切に思ってる。待つのも苦しいだろうけどよ、信じて待ってみな」


 琴音は涙ぐんだ。そうか、戻ってくるように、麻理恵には見えるんだ。まだ希望はあるかもしれない。もう少し、待とう。琴音はそう決心を固めたのである。

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