第33話 信頼できる人

「ヒナ」

「…………っ!」


 いつの間にか考え込んでいた陽奈子の傍に来ていたマティスが、そっと右腕に触れる。

 陽奈子が不安を感じていることを察して、気遣ってくれた優しさだったに違いないのに、これまで陽奈子と同じような境遇で、ドラゴンになった人達の行く末を理解した陽奈子に、その優しさを受け入れる余裕はなかった。

 ビクリと震えるまま反射的に振りほどいたその力は、いとも簡単にマティスを吹き飛ばしてしまう。


「「マティス様!」」

「大丈夫」


 ロベルトとリディの、焦ったような声が重なる。

 そして陽奈子に対し、穏やかな態度から一変して臨戦態勢を取った二人を制してくれたのは、吹き飛ばされたマティス本人だった。


 片手を上げて二人を止めながら、吹き飛ばされた空中でくるりと身体を反転させ、何事もなかったように綺麗に地面に降り立つ。

 マティスの身体能力は、どんなに凄い体操選手よりも軽いんじゃないかと思われた。


「ごめんごめん。急に触ったから、驚かせちゃったよな」

「ごめんなさい。心配して下さったのに……お怪我はありませんか?」

「平気」


 駆け足で陽奈子の傍まで戻ってきたマティスは、変わらず優しい笑顔を向け、先んじて謝ってくれた。

 どう考えても悪いのは陽奈子だったから、自分のしでかしてしまった事に、おろおろとしながら怪我の心配をする陽奈子に、両手を振り回しながらぴょんぴょんと飛び跳ねる姿に、涙が零れる。


 自分の意思とは違う身体の動きは、確かにこの世界の人々にとって脅威の存在と言われても仕方ない。

 制御できない巨大過ぎる力は、悪でしかないのだ。


「私、自分が怖いです」


 誰かを傷つけるつもりなんてなくても、ほんの少し驚いただけの反応で、簡単に人を吹き飛ばせてしまう。

 マティスだったから何もなくて済んだけれど、これが何の力も持たない幼い子供だったらどうなっていた事だろうと、ぞっとする。


 常に、心を落ち着けていられれば良いのかもしれない。

 でも、何事にも動じず、冷静に精神を安定させておけるほど、陽奈子は大人じゃない。

 例え大人だったとしても、余程の修行を積んだ高僧でもない限り、一生驚きもせず動揺もしないでいられる人間なんていないだろう。


 この身体で居る限り、今後を左右する不安要素になる。

 世界を滅ぼしたいなんて露ほども思っていなくても、自分の意思とは関係なく、もしかしたらそんな日が来てしまうんじゃないかという恐怖が、この姿でいる限りずっとつきまとう。


「ヒナ、ちゃんと俺を見てみろ」

「……マティス、さん」

「ヒナが思っているよりずっと、俺は強い。そう簡単に傷ついたりしないし、ヒナを見捨てて一人になんてしない」


 そっと拭われた涙の先にあったのは、相変わらずの不安を全部吹き飛ばしてくれるような、王子様スマイル。

 多少の事にはびくともしないその笑顔は、確かに陽奈子が思っているよりもずっとずっと、強い人なのかもしれないと思わせてくれる。

 頼って傍に居ても良いのだと、信じさせてくれる。


「本当、に?」

「任せろ、って言っただろ。俺に出来ない事はない」

「凄い自信」

「そうそう。ヒナはそうやって笑っていた方が良い」


 自信満々に言い切るマティスの力強さに少しだけ笑うと、マティスは「よし」と頷いてくるりと後ろを向く。

 その先には、まだ臨戦態勢のロベルトとリディさんがいた。


「お前らも、この位の事でヒナを怖がらせんな」

「申し訳ございません」

「ごめんなさぁい」

「ま、ヒナを最初に驚かせたのは、俺だけどな」


 マティスを守る事を、第一に考えているロベルトとリディさんが取った行動は、敵意を向けられた陽奈子から見ても、正しいと思う。

 自分の為に起こした行動だと、わかっているからだろう。

 マティスは、謝罪する二人をそれ以上は責めず、自分のせいだと笑って終わりにした。


 陽奈子はまだ学生で、社会に出たことがないし、運動部に所属した経験もないから、上下関係の厳しさというものがあまり身近にはない。

 けれどそれでも、マティスみたいな人が上司だったら、きっと仕え甲斐があるんだろうな、と思う。

 全幅の信頼を置いて、付いて行きたくなる人というのは、きっとマティスの様な人物の事を言うのだろう。


 ロベルトとリディさんは、すぐに陽奈子にも頭を下げてくれた。

 二人が動いたのは、マティスを攻撃された際の反射的なものなのだろうとわかっていたし、ドラゴンがこの世界の脅威だという常識を、聞いたばかりだ。


 それに何より、自分の意思とは関係なくとも、驚いたからとはいえ力加減を上手く把握出来ないまま、マティスを吹き飛ばしてしまったのは、陽奈子自身である。

 陽奈子に否があると思ったから、泣きそうになりながら「ごめんなさい」と、二人に何度も頭を下げた。


 すると、ロベルトとリディが「やり過ぎた」と感じていたのか、更に気まずそうな顔で頭を下げる。

 ぺこぺことお互いに頭を下げ合う三人が、「いつまで謝り合っているんだ」とマティスに笑われた事で、謝罪合戦はようやく終了した。

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