第2話(全4話)

「あれっ!」


紀代子は指差しをして、のっぺらぼうの女を確認している。


「何だ・・嘘じゃないんだーー」


五月さつきはクールにタバコの火を消し車の後部座席のドアを開けた。

現在、幡野は女性ふたりを引き連れレジデンス南の、駐車場に来ている。


「あ、消えた」


紀代子は、のっぺらぼうを見失った。


「取りえず・・」


彼は丑三うしみつ時のアパートの階段に冷静に促してゆく。

抜けて無くなっている前歯を治さない幡野は良く云えば質素だが、悪く云えば金の使い所を知らない男とも云えた。どうしても仕事で不利になると会話から地主たる側面観プロフィールを口にする為ケチな印象を更に深めてしまっている。


*****


(遊園地などに招待するのと比較すれば、タダみたいなモノだ!)


幡野はペンライトを照らしながら、ふたりを建て屋に誘いつつ、こう解釈していた。

頭には直径十センチほどのハゲがあり色弱用のメガネを掛ける幡野は女には色男と評されない外見を仕方無く生きてきた。


(こいつ、バツイチのくせにイイ女だな)


普段より下品な言葉で彼はひとり心に呟いている。

当の女達は当然、幡野を男として認めていない。


”いいよ、幡野さん。向こうの仕事、仕上げといて・・”


今日も紀代子にあしらわれていた。

毛深いゴリゴリとした指が米粒大こめつぶだいのスプリングを上手く扱えていない。


(情けない)


こんな心持ちを立ち退き荘の女の件で埋め合わせようと独り気を吐いていた。


*****


「居る!」


二階の突き当たりの角部屋に霊を見た。


「帰ろう」


五月は離れない紀代子を階段方面へと、追い出す。


「足が速いーーって噂でしょう?」


紀代子は幡野を問いただした。

ともかく車へと向かう。

幡野は紀代子に背中を押され気分が良かった。


「早く! 幡野さん」


紀代子の怒りはマジであった。

ソフトボールを定期的にプレイする紀代子の体型はルノアールの油絵の裸婦の様にポッチャリとしていた。

唄が好きでカラオケではマイクを離さない類型タイプだが実は芸能事務所とも連絡を取っている。しかし、その事務所からは ”着物のモデルがです” と彼女は理想の扱いを受けていなかった。普段は二児の母である自身を少し悔やんでいるかの様に皆に解釈されている。


*****


ーーガチャ・ガチャーー


ドアノブを動かす音が階段まで響いて通る。


「早くしなさいよ、ハゲ!」


五月は子供を産めず離縁した過去があるからか、他人に対して、いざという時、口調が厳しい。


ーーガン・グァンーー


ドアノブの音より、ドアその物を無理に開けようとする音に変わった。


「バカ、早く乗せろ」


腕組みをしながら車の後部座席のドアの前で五月は幡野に命令をぶつけている。


”幡野栄、誇りを保て!”


自身を仕事の休憩中、ふるい立たせる為、こう独り言を呟くと五月には・・


”貧しい人間をバカにする気か?”


ーーと叱咤されてしまう。

五月がモデル体型で凛々りりしい性格もあるが、普段、困った時の応急処置として云ってしまう地主のエピソードがその因とも感じ取れた。


*****


「あぁっ・・」


車のヘッドライトを点けるとボンネットの真ん前に、のっぺらぼうの女が背中を向けて立っていて首から軽く振り向いた。


「やだぁ、早く」


後部座席の紀代子は運転席のシートを叩きながら幡野にバックで駐車場を出るよう激しく促してゆく。


「ひぃィ」


これには幡野も度肝を抜かれた。

紀代子も夫に浮気をされ、人生、脱線し始めた時節に入っていた。


(ノッペラボウの女が関与してなければ、こんなハゲと行動を共にしない)


紀代子は幡野の車の後部座席でこう考えていた。


(再婚するなら、もっとした男・・)


恋人は探しているが金なんて要らなかった。夫の父が現在・勤務する現場の協力会社の社長なので実は業務上、皆と立場は違っていた。


*****


”アタシ、報われないんだよね・・”


これが、のっぺらぼうの女のキマリ文句だと云われている。


「もう、ヤダ!」


車で送り届けられた紀代子と五月のカバンの中から、このキマリ文句を記した・メモダイのカードが、それぞれの自宅にて発見された。


(あの時ふたりのカバンは車中にあったのだが・・鍵を掛け幡野は建て屋に向かった・・なのにカバンに、このカードが?)


女性ふたりは後日この話で持ちきりになった。五月にとって、このカードは予想以上の驚きとなる。


(元より幡野なんて信じていない)


心にそう誓ってはいたが、何故、このカードが手元にあるのか立証・出来ない。

普段は或るカリスマ占い師を信じ、彼女の示す通り新しい衣服をろす日を守ったりする位の信者なのだが・・五月には人生哲学を崩す出来事とあい、なってしまっていた・・


*****


ーーコン・コンーー


明くる深夜、仕事の帰り幡野は車中にて信号待ちの際、助手席の窓をノックされた。


「はい」


そう云って車中・独り窓を開けると・・


「どうしてアタシから逃げるの?」


のっぺらぼうの女が尋ねてきた。


「ひぇェ」


信号の色は確認も半ば、幡野はアクセルをふかし、その場を光の如く立ち去っていった。

思えば今日は嫌な一日であった。

トイレが休憩中、混み合うので別棟の其処そこに向かった。


「む?」


強烈な悪臭がその近辺を漂っている。

考えてみると、その棟は五月しか仕事をしていない。

男女間のトイレの壁は薄く現場へ戻りがてら五月と目が合ったが、睨まれてしまった。

美しい彼女の自尊心を傷付けた模様だ。


*****


「そこの青い車、止まりなさい」


サイレンに気付き幡野は車を道路・左端に、留めた。


(マジ、やばいよ)


紀代子の不安気なセリフが幡野の脳裏をよぎる。珍しく、この日の勤務中は紀代子の方から話し掛けてきたのだが、昨日のメモ大のカードについて幡野が仕掛けたか・どうか確認に来ていたのだ。


「聞いてますか? 幡野さん」


警官は罰金の書類を手渡し少し途方に暮れる幡野を開放した。

我に帰ると自転車で通勤を強いられる。

それも明日からだ。

幡野の自宅から会社までには立川市を通過しきらなければ到達しない。


(かなりキツイな・・)


筋肉質ではあっても、仕事場での彼は冴えない男。本当に心の底より、立ち退き荘の女を恐れ始めていた。


(続)

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