2 おかえり

 奏斗は花穂が日本を経ってから、寂し気な曲ばかり聴くようになってしまっていた。以前住んでいたマンションの横を通り過ぎる時、チラリと建物を見上げる。元恋人であり花穂が留学する原因になった愛美とのごたごたが済んだら、一緒に暮らす約束をしていた。あの時は叶わなかった約束。


 大学1年の終わり、高校時代に期間限定で付き合っていた花穂と旅行先で再会。愛美の望みを叶えるためであり、全てを終わりにするつもりだった場所で。

 あの時はまだ自分の気持ちがどうあるのか、はっきりしないままだった。

 だが愛美との違いが何かを理解した瞬間でもある。

 自分の気持ちを自覚してからは必死だった。二度と失いたくないと思ったのはあれが初めて。


『選択肢を失わせることで気持ちが自分に向くとでも?』

 ”そこまでしたいのか?”と愛美に問えば、

『寄ってたかって奏斗をそんな風にしたのはあの姉弟と教師でしょう? わたしたちから未来を奪ったのはあいつらの方よ』

 ”これくらいの罰は受けるべきだ”と彼女は言った。

 その言葉に奏斗は切なげな瞳を向ける。

『追い打ちをかけているのは愛美だよ?』

 奏斗の言葉に彼女は怒りの表情を収めた。

『2年』

『うん?』

『2年経っても気持ちが変わらなかったら、諦めてあげる』

 それが彼女からの条件。


 花穂とよく一緒に行ったスーパーの駐車場に車を停めるとため息をつく。

 恋愛とはなんだろうかと考える。自分はただ、好きな人と一緒にいたかっただけなのだ。

 離れたくらいで変わる気持ちならば、諦めるに値しない。愛美はそういった。


 車から降りるとエコバッグを掴む。シンプルな白の麻混合の素材でできたそれは花穂から貰ったものだった。

 2年は長くて短い。

「いや、長いよ」

 忌々しいとでも言うように呟いて店の中に足を踏み入れた。

 少し値の張るスーパーではあるが、来客があるのだ。丁度良いだろう。

 買い物をし自宅マンションに戻るとドアの前に誰かが立っていた。

「?」

 帽子を目深にかぶっており、何かに寄りかかっている。体系の隠れる上着のため男女の判別も難しい。

 だが、セキュリティのしっかりしたマンションだ。

「うちに何か……」

 管理人が通したということは知り合いだろうかと思っていると相手がこちらに表を向けた。


「おかえり、奏斗」

「え?!」

 キャリーケースから離れた彼女は近くまで歩いてきた奏斗にぎゅっと抱き着く。

「花穂?」

「何よ、他に女でも招いてるの?」

 エコバックを床に置くと彼女を抱きしめ返した奏斗。

「会いたかった」

「相変わらず可愛いわね、あなた。わたしもよ」


 家の前で立ち話は近所迷惑になってしまうと思った奏斗が家の中に彼女を促す。

「どんなところか楽しみにしていたの」

 花穂は嬉しそうに奏斗に渡されたエコバッグを持ち中に入っていく。

 奏斗はドアの横に置かれたキャリーケースを持ち上げた。

「空港からそのまま来たの?」

 持ち上げで廊下に下ろすと、

「ううん。実家に寄って当座必要なものを詰めて来たの」

と彼女。

「そっか」

 微笑む彼女の背中を見送ってキャリーケースを彼女の部屋に運び込む。


「どう?」

 彼女の部屋からでた奏斗はリビングから外を眺める花穂に問う。

「申し分ないわ。希望通りね」

 振り返った彼女の笑顔は眩しかった。

 奏斗はカウンターに寄りかかり、ポットから二つのカップにお湯を注ぐ。

「あら、いい匂い」

「引っ越し祝いに貰った紅茶」

 傍に寄ってきた彼女に軽く紅茶の缶を掲げて見せた奏斗。

 隣に並んだ彼女にカップの一つを向ける。


「ありがとう」

 彼女は部屋を選ぶにあたり数点の要望を伝えてきた。

 一つは互いの部屋が欲しいということ。もう一つはキッチンは広い方がいいとのこと。一人になる空間はとても大切なものだという。それはパートナーでも同じ。始終同じ空間にいることは気を遣うことが多くなるということでもある。日本は狭いから余計にそうだと彼女は言う。

 何はともあれ、これからは一緒に居られることが嬉しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る