第二話

「宮様! お生まれになったそうです! 親王様だそうです!」

 女房がやってきて嬉しそうな声で報告した。


 まだ親王ではないと思うけれど……。


 と思ったが、喜んでいるのに水を差すのもどうかと考えたので黙っていた。

 どうせ左大臣が子供に親王宣下しんのうせんげを下すように手を回すでしょうし。


 私としても春宮候補が生まれてくれたのは有難い。

 これで左大臣もこれ以上ぐだぐだ言い訳したりせずに準三后じゅんさんごうをくれるはずだけれど――。


 ただ、お兄様に息子が産まれたから安心というわけではない。

 というより、別の心配事が出来たとも言える。


 何が心配なのかというと、これで今上おとうとが退位しても次の帝がいるということである。

 それもさきの帝の子――もし新院おにいさまが退位していなければ次の帝は今日生まれた甥だったはずなのだ。


 だから甥が春宮になるのは構わない。

 即位させるのは今上が元服してからにして欲しいのだけれど――。


 ただ、甥が元服するのは十年以上後だし、その頃には今上には皇子が生まれているだろう。


 甥が春宮になった後で今上に皇子が生まれてしまうと、今上の皇子か、春宮(今日生まれた甥)か、どちらを帝に立てるかで揉めるのは目に見えている。


 過去にこう言うことは何度もあって、その度に揉めた。


 お兄様がご存命のお祖父様の法事に引っ掛かったりしなければこんな問題が起きることもなく、今上はただの親王として生きていくことが出来ましたのに……!


 まぁ弟は春宮だったからどちらにしろ甥が生まれたら全く揉めないということは有り得なかったのだけれど。


 冊立さくりつ(正式に決まっているという意味ですわ)された春宮を廃太子はいたいしにするというのは簡単ではないのだ。


 これも元服前に践祚せんそ(即位のことですわよ)させてしまう弊害へいがいである。

 子供を持てる歳になっていないから春宮になれる息子も、斎王になれる娘もいないのだ。

 そのせいで本来娘でなければならないはずの斎王に妹や従兄弟が選ばれてしまうのである。


 従姉妹ですらないのに斎王に選ばれてしまった清子女王だっていい迷惑ですわよね……。


 私は女御にお祝いの文を書いた。


「会えるようになったら会わせてほしいと伝えて」

 と言って文をヨネに渡すと庭に目を向けた。



 顔を出したばかりの朝日に照らされて雪がきらめいている。


〝つのさはふ いはれなくとも 岩手山いはてやま 言はれましかば 雪は消えむと〟


〝つのさはふ いはみの想ひ つもれども いはばぞ雪は 露と消えゆく〟


 私は雪を見ながら二通の文の歌を思い出していた。


『また〝つのさはふ〟ですね』

『〝雪〟もですわ』


 女房達の言葉が蘇る。


 それと〝い〟もですわね……。


『言はれましかば(もし言ったとしたら)』


『いはば』も『岩場』と『言わば』を掛けているとして、『言うなれば』では意味が通らないから、そうすると『言わば』も『言ったとしたら』だろう。


 となるとどちらも『言ったとしたら雪が消える』ということになる。


『もし言ったら雪が消える』


 脅迫、と取れなくもないですわね……。


 仮に脅しだったとして、何を口止めしていたのかしら……?


 行田ははかなくなってしまいましたけど……。


 この『雪』は『行田』の『ゆき』だったの……?


 それとも――



 数日後――



 私は甥と初対面していた。

 今上も一緒である。


 女御が産まれたばかりの赤子をあやしている。


「可愛いね」

 今上が言った。


「今上もこんな感じだったんですよ」

「主上もこんな感じでしたよ」

 私と女御が同時に言った。


 母親が違うとは言え今上と私は姉弟だし、女御にとっては甥である。


 生まれたばかりの頃から今上のことを見てきた。

 だからこそ、元服もしてないうちに出家などさせたくないのだ。


 今上にも自分の子供を抱いてほしいですわ……。


 お兄様は出家されても自分の子供を抱いていましたけど……。


 そんな事を考えながら私がふと目を上げると二階棚にかいだな(小物を置く小さな棚ですわ)に螺鈿らでんで装飾をほどこされた文箱ふばこが置いてあった。


「女御、文箱が見付かったのですか?」

 私がそう訊ねると、

「いえ、無くなったのは金の蒔絵まきえの文箱ですわ」

 女御が答える。


 つまり螺鈿細工らでんざいくの文箱の他に金の蒔絵の文箱まであるんですのね……。


 どんだけ金持ちなんですの……!?


「どうせならこの文箱が無くなってくれれば良かったんですのに」

「この文箱に嫌な思い出でも?」

「そうではなく……蒔絵の文箱に大事な文が入っていたので……」


 金の蒔絵の文箱に入れておくような文という事は相当大事なもののはずだ。


 もしかして女御にもお兄様以外に想う方がいたのかしら……。


 皇子を産んだ女御が他の殿方に秘めた思いを抱いていたなどと言う事が知られたら大変な事に――。


「今上……いえ、新院がたった一度だけ下さった御文おふみなんです」

 女御が小さな声でぼそっと呟いた。


「…………え?」


 聞き間違い……?


 新院って……お兄様!?


 夫からの文が一度しかなかったということですの……!?


 呆れましたわ! お兄様ったら!


 いくら決められた妻とは言え子までなした女性に一度しか文を書いてないなんて……!


「恥ずかしいので今のことは内密にお願いします。誰にも言ったことがないんですのよ」

 女御が決まり悪そうな表情で言う。


「…………は?」


 どこから突っ込めばいいんですの……!?


 妻に一度しか文を出してない夫……?


 夫からの文を大事にしていることを内緒にしている妻……?


 二人揃って呆れますけど……似た者夫婦かもしれませんわ……!


 もう夫婦ではありませんけど……。


「……女房にも?」

 私もささやき声で訊ねた。


 女御が頬を染めてかすかに頷く。


 文箱の中身なんて隠してても女房には知られていそうではありますけど……。


 でも……。


 女房達に言っていないのだとしたら何故女御が蒔絵の文箱を大切にしているのか知らない者もいたかもしれない。


 大切にしているのを見て金目の物か、人に知られては困る何か(そんな物があるとも思えませんけど)が入っていると思って取ったのかもしれない。


 私は赤子を覗き込む振りで女御に顔を寄せた。


「口が硬くて信用のおける女房はいます?」

 私は女御にだけ聞こえる声で囁いた。


「嘘をいても人から見抜かれない女房だと尚いいんですけど」

「ええ、いますわ」

 女御も囁き返す。


「後で貸して頂ける?」

「ええ、もちろんですわ」

「ホントに可愛いですわ」

 私はそう言って女御から身体を離した。



 母屋に戻った私は、左大臣を呼ぶように言った。


 左大臣がすぐにやってくる。


「梅見の宴ですか」

「ええ、開いていただけます?」

「いいでしょう。ご希望の日にちなどは……?」

 左大臣は即座に承諾した。


「それはお任せしますわ。準備などもあるでしょうし」

かしこまりました」

「では、後で宴の日付をお知らせ下さい」

 私がそう言うと、左大臣は戻っていった。


 左大臣と入れ違いに女御の女房がやってきた。


 私は女房にやってほしいことを伝えた。



 一月十六日――



 今日は踏歌節会とうかのせちえである。


 昔は十四日に『男踏歌おどうか』、十六日が『女踏歌めどうか』だったのだが、大分前に男踏歌はなくなり今は女踏歌だけである。


 本来なら紫宸殿ししんでんの前庭を舞妓ぶきが踏歌をしながら三周する。

 今は里内裏なので寝殿の前の庭を三周することになる。


 そして節会なので終わったら宴である。



 十七日は射礼じゃらいといって弓の腕を競う行事がある。


 矢が当たれば報償ほうしょうとしてろくの布をたまわることが出来たが、それだけではなく武官――六衛府ろくえふの者で、恒躬つねみ(左兵衛の佐)や右衛門の佐がそうですわ――の勤務評定にも関わるんですのよ。


 十八日は射遺いのこし賭弓のりゆみというやはり弓の行事がある。


 二十日の内宴という大規模な宴でようやくお正月の行事が一段落する。


 内宴には恒躬と右衛門の佐も来るので里子女王を誘った。

 そして恒躬と右衛門の佐に宴を抜け出してきてもらった。


「恒躬、右衛門の佐様、何か分かったことはありまして?」

 私の問いに、

「いえ……」

「まだです」

 恒躬と右衛門の佐が答える。


「怪しい者の中に『つの』か『ゆき』の付く名前か地名はありまして? あるいは『いわ』とか」

「…………」

 右衛門の佐が考え込むような表情になった。


「なんだ?」

 恒躬が右衛門の佐を促す。


「女御の女房の娘に『つゆ』という姫がいるのですが、しばらく前から姿が見えないらしいと」

 右衛門の佐が言った。


「その女房というのは……」

 私が名前を挙げると右衛門の佐が頷く。


「夜盗に連れ去られたということはあり得まして?」

「あるでしょうね」

「助け出せそうですか?」

「生きているなら。夜盗の根城の見当だけでも付けられれば……」

 右衛門の佐が言った。


「怪しいところの中に『いわ』が関係するところはありまして?」

 私の言葉に右衛門の佐が考え込む。


「名前に『いわ』が付くとか特徴のある岩が近くにあるとか」

 私の言葉に、

「……あるいは垂水たるみの辺りとか」

 右衛門の佐が言った。


〝いははしる〟でも〝いはそそく〟でも〝たるみ〟に掛かる。


 さすが右衛門の佐は歌が得意なだけはある。


「ですが、宮様、垂水は少々遠いのではございませんか?」

 岩手が言った。


「〝岩走いははしる〟や〝岩そそぐいはそそく〟は岩の上を走る水だから垂水というのは滝や滝つぼ、水が流れ込む池のことでもあるのよ」

「それはそれで沢山あるような……」

 岩手はそう言ったが右衛門の佐にはおそらく垂水に心当たりがあるのだろう。


 放免が報告してきた根城の一つにそういう場所があるのかもしれない――例えば六条とか。


 里子女王や岩手、紀中納言、恒躬からも話を聞いた私はヨネに紙を持ってこさせると、三枚の紙にそれぞれ課題を書いた。


「恒躬、里子女王、右衛門の佐様、今度の梅見の会に是非いらして下さい。そのときに……」

 女房達が恒躬達に歌題を渡す。


「それで歌を作ってきて下さい。梅見の会、楽しみにしていますわ」



 梅見の会当日――

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