第二話

 翌朝――


 私は左大臣家の西のたいにいた。


 薬師くすしに話を聞いたヨネによると、私達はまた薬で全員眠らされてしまっていたらしい。

 そのうえ今回は建物に火をけられたようで内裏のほとんどが燃えてしまったそうだ。


 あのとき恒躬つねみが来てくれなければ私達は全員焼け死んでいたところだったそうですわ……!


 岩手によると、恒躬が駆け付けて蔀戸しとみど蹴破けやぶって私達を連れ出してくれたらしい。


 内裏が焼失しょうしつしてしまったので今上の外祖父(母方のお祖父様という意味ですわ)で、女御の父親である左大臣の邸が里内裏になったのである。


 何しろ建物はどこも床から屋根まで木で出来ているから一旦火が出るとあっという間に燃えてしまうのだ。


 そのため内裏が建て直されるまでの間、貴族の邸を臨時の内裏とすることがよくあった(それを里内裏というんですのよ)。

 中宮は大貴族の姫なので大抵の場合、中宮の(父親の)邸が里内裏になる。


「ーーーーー!」

 叫び声のような孔雀の鳴き声が聞こえた。


 そういえばここにも孔雀がいるんでしたわ……。


 せっかく今上の近くで女房達に噂話をさせて左大臣に下賜かしさせましたのに……。


「ぎゃっ、ぎゃっ」

 鸚鵡おうむが孔雀に答えるように鳴く。


 左大臣に下賜したのは孔雀だけだ。

 孔雀や鸚鵡は下賜以外では貴族が手に入れることは無理だから(信じられませんけど孔雀を欲しがってる者もいるんですのよ)わざわざ内裏から連れてきたんだろう。


 そのとき、私の隣で猫が寝返りを打った。

 さすが左大臣家は炭を惜しみなく使っているから室内が暖かい。


 今上が庭で犬と遊んでいる。

 献上されてきた動物は皆ここへ移ってきたらしい。


 …………ということは、もしかしてあの孔雀も内裏から連れてきたのかしら……。


 今上の無事な姿を見て一安心した私は鳥籠の中でぶつぶつと人の言葉からは掛け離れた鳴き声を出している鸚鵡を横目で見た。


 いつになったら言葉を覚えるのかしら……。


「恒躬を呼んでちょうだい」

 私は岩手に申し付けた。


「はい、少々お待ち下さい」

 岩手がそう言って出ていくと女房達が御簾みすの用意を始める。


 ここにいる大勢の女房達のほとんどは左大臣家の女房よね……?


 準三后じゅんさんごうを貰ってもこれだけ大勢の女房を養えるとは思えない。


 せめてこのうちの半分くらいは左大臣家に残ってくれると良いのだけれど……。


「誰か来るの?」

 私が訊ねると、

「え……今、左兵衛さひょうえすけ様を呼ばれたので……」

 ヨネが答えた。


「もしかしてここにいるの!?」

「はい」


 そんなやりとりをしている間に恒躬がやってきた。


「夕辺は助けてくれてありがとうございました」

「どういたしまして」

「でも、どうしてあそこにいましたの?」


 女房達は岩手以外全員寝込んでいて助けを呼びにいけなかったそうだし、唯一起きていた岩手も中から出られなかったそうだ(岩手は聞き込みをしていて夕餉を食べそびれたので眠らなかったそうですわ)。


 そうなるとなぜ恒躬があそこにいたのかという疑問が湧く。


 前にも助けてくれたし、やはり内裏の女房の誰かのところに通っているのかしら……?


「このまえ狙われたでしょう。だから警戒してたんですよ」

「まさか……この寒いのに毎晩内裏の外を彷徨うろついてましたの!?」

「いえ、さすがにそれは無理です」

 恒躬が即答する。


 それはそうだ。

 毎晩徹夜で外にいるのは冬でなくても無理だ。

 仕事に差し支える。


「郎党に交替で見張らせていたんです。何かあったら左兵衛府に知らせに来るようにと」

宿直とのいをしていないときは邸まで知らせに走らせるつもりでしたの?」


 馬に乗れば無理ではないが――。


「官舎に泊まっていました」

「毎晩!?」

「はい」


 仕事に差し障ったらどうするつもりなのかしら……?


 そのお陰でみんな助かったのだけれど……。



 翌朝――



 起きて外を見た私は愕然がくぜんとした。

 庭に恒躬がいたのだ。


「恒躬! 恒躬はどうしてここにいるんですの!?」

 私が訊ねると、

「さぁ……? 何かご用でもおありなのでは?」

 ヨネが首を傾げながら答えた。



 数日後――



 恒躬は相変わらずしょっちゅう左大臣家の庭を彷徨うろついている。


 武官の着る闕腋袍けってきのほう(動きやすいように脇をい合わせていない袍ですわ)に冠にはおいかけ(馬の毛を半円形に開いたもの)、腰に太刀をいている。


 しかし恒躬は兵衛である。

 帝の警護は近衛の役目なのだ。

 恒躬がここをうろうろしている理由はない。


 さすがに気になったので恒躬を呼びにいかせた。


「恒躬、どうしていつも左大臣家ここにいるんですの?」

 私(の言葉を伝える女房)がそう訊ねると、

「左大臣に頼んで泊まらせていただいております」

 恒躬が涼しい顔でそう答える。


「左大臣の姫のどなたかに婿入りしたのですか?」

「またあなたが狙われるかもしれませんので」


 普段なら『そんなことあるわけないでしょう』というところだけれど薬を盛られて眠らされた上に火をけられたのだ。


「左大臣に元気な姿を見られてもいいんですの?」

「それどころではないでしょう。あなたが狙われているのに」


 あら……。


 悪い気はしませんわ……。



「宮様! 大変でございます!」

 岩手が西の対に駆け込んできた。


「今度はどうしたの?」

「また宴の松原で女房が……はかなくなって裸で……」


 いい加減にして欲しいですわ……。


 女房に何の恨みがありますの……?


「それで……」

 岩手がそこで口籠くちごもる。


「……もしかして今上の悪い噂?」

「はい……その、女房がいなくなった夜、やはり赤気せっきが出たとかで……赤気は鬼が出現するときに出るという噂が……」

 岩手が言いづらそうな口調で教えてくれる。


 私は溜息をいた。


 赤気というのは『日本書紀』にも出ているくらいだから未知の現象ではない。

 ただ、それほど頻繁ひんぱんに起こるようなことでもない。


 普通は生涯に一度見られるかどうかというところである。

 これだけしょっちゅう起きるのは珍事ちんじと言って差し支えない。


 それに加えて客星きゃくせいですものね……。


 客星はもう見えなくなったらしいが。



「宮様! 噂はお聞きになりましたか!?」

 里子女王がやってきた。


 女性がこんなに気軽にで歩いて大丈夫なのかしら……。


 赤気さえ出ていなければ殺人事件などそれほど注目されないのだ。


 なぜか?


 人が殺されるのは珍しくないからですわ……。


 なぜ貴族が牛車で移動するかご存じ?


 死は〝死穢しえ〟といわれ、見ただけでも触れたことになり、見てしまうと数日間、自宅で潔斎しなければならなくなる。


 しかし道端に死体が転がってるというのはよくあるのだ(人の死体とは限りませんけど)。

 その時、牛車の中は外とは別の空間なので横を通っても死体を見なければ死穢に触れたことにならない――ということになっている。

 だから一々牛車に乗って移動するのだ。


 そして死体というのは行き倒れの場合もあるが、引きぎ(いわゆる追い剥ぎのことですわ)に殺された死体のことも多い。


 都というのはそれくらい治安が悪いのだ。

 いくら警護が付いているとは言え、女性がで歩くのは危険なのである。


 ちなみに内裏の、それも中宮様の殿舎で引き剥ぎにった女房もいるんですのよ……。


 外で引き剥ぎにって凍死した女房もいる。

 内裏や大内裏の中でさえそうなのだから市中などはもっとひどい状況なのだ。


「ええ」

「今上は退位なさったりしませんよね!? お祖母様はお元気になられてしまいましたの!」


 まるで悪い事みたいに言わなくても……。


「このままでは次の斎王は私ですわ! 宮様! なんとしても事件を解決して今上の悪い噂を消しましょう! が君は千代にましませ! ですわ!」

「そうね」

「千代どころか万代よろづよまで君が代でいていただかなければ!」


 さすがに一万年も在位しなくても良いのだけれど……。


 とはいえ七歳で出家も困るし、帥宮おじさまが即位されるならともかく(別に上総の宮でも構いませんけど)私は女帝なんてお断りですわ……!


「と言う訳で宮様、私は何を調べてくればよろしいでしょうか!」

「そうねぇ……」

 私が考え込んだとき、簀子すのこの方から騒がしい声が聞こえてきた。


「女御様! おまちください!」

 外から聞こえてきた女房の言葉に驚いて里子女王と顔を見合わせたとき、御簾の向こうから女御が入ってきた。


「宮様!」

「女御、出歩いて大丈夫なの!?」

「それどころではございませんわ!」


 そうかしら……?


左大臣家うちが呪われていると言われているそうですわね!?」

 女御の言葉に私は思わず里子女王の方を振り返った。


「そうなの?」

「え……申し訳ございません。主上のことしか聞いていませんでした。左大臣おとどもなんですか?」

 里子女王が驚いたように聞き返す。


 私は訊ねるように岩手の方を見た。

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