第三話

 その時――


「宮様、左兵衛さひょうえすけ様が参られました」

 ヨネが言った。


「通して」

 私がそう言うと岩手達が御簾みすの用意を始め、ヨネが恒躬つねみを呼びに行った。


「恒躬、今日はなんですの?」

「何って、今朝騒ぎがあったと伺ったので……」

「ああ、それは唐猫がくちなわを捕まえて見せに来たんですのよ。ホントに人騒がせなんですから……」

 私は、そっと猫が入っている懐を押さえた。


「朝方の話ですよ。滝口がまだ蔀戸しとみどが閉じていたと……」

「目を覚ましたら枕元に猫が蛇の死骸と一緒にいたんですわ。女御の話だと猫は獲物を見せに……」

「その蛇はどこですか?」

 恒躬が私の言葉を遮った。


「岩手が外に捨ててきましたけど」

きざはしの下に」

 岩手が階の方を指す。


 恒躬は岩手が指した階に向かった。

 高欄こうらんから身を乗り出して下を覗き込み、それから岩手に手招きをした。


 しばらくして恒躬が戻ってきた。


「どうかしましたの?」

「宮、今は冬です」

「そうね」

 私は今朝んだ歌をえいじたが恒躬も感心してくれなかったようだ。


「蛇というのは冬は冬眠します」

 恒躬が言った。


「あっ……!?」


 そうでしたわ……!


 斎宮の御神体が蛇なのに忘れていた(言い訳させていただくなら私が伊勢にいたのは一月足らずだったからですわ!)。


「しかも朝起きる前という事は猫が出入りする隙間などなかったでしょう」

「あっ!?」


 そうでしたわ……。


 建物にはほぼ壁が無いから昼間は吹きっさらしのようなものなのを几帳きちょう衝立ついたてなどで風を防いでいる状態だが夜は妻戸つまど蔀戸しとみどを閉めるから猫ですら出入りできる隙間はないのだ。


「そしてあの蛇はこの辺にはいません」

「え……? では、どこの……」

「そこまでは……郎党に蛇を詳しい者のところに持っていかせて調べさせます。もしかしたらどこの蛇か分かるかもしれません」


 恒躬が郎党を呼びに行かせていたのはそう言うことだったらしい。


「では……一体どういう事ですの?」

「おそらく誰かがあなたを狙って毒蛇をここに放ったのだと思います。ただ、猫に見付かって捕まってしまったのでしょう。寒くて動きが鈍っている時期ですし」

「まぁ……」

 私は言葉を失った。


「でも、どうして私が狙われますの?」

「そこまでは……ただ、外からでは蛇だって入れないでしょう。入れられたとしてもこの御帳台まで蛇を誘導できるとは思えませんし」


 確かに恒躬の言うとおりだ。

 蔀戸から入り込んだとして、庇を通過しないと御帳台がおいてある母屋まで来られない。

 壁が無いとはいっても庇には女房達の房の衝立が並んでいる。


 中にいた者が御帳台の辺りに放したと考えるのが自然だろう。


 だが、それは女房の誰かがやったということになる。


 まさか……。


 一体誰が……。


「この前、内裏に入り込もうとした襲撃者と同じ者の仕業だと考えるべきでしょうね」

「…………」

「ですが、そうなると恨みではないと思うのですが、そうだとすると後は……」

 そこまで言って恒躬は言葉を切った。


 恒躬はおそらく左大臣が私を女帝にするのを阻止したいと思っている者の仕業だと思っているのだろう。

 だが、それを望むのは帥宮そちのみや上総かずさの宮のどちらかを帝に擁立ようりつしたいと考えている者と言うことになる。


 だが、そんな者がいるのだろうか?


 私が知らないだけなのかしら……?


「右衛門の佐様は何かおっしゃってました?」

 私がそう訊ねると、恒躬は急に不機嫌そうな表情になって、

「なぜ右衛門の佐が急に出てくるんですか」

 と逆に訊ねてきた。


「なぜってこの前の襲撃者を捜しているのではありませんの?」

「どうですかね」


 どうして急に機嫌が悪くなったのかしら……。


 私は不思議に思ったが、そのとき以前、女房の一人が言っていたことを思い出した。

 仲の良い友達が異性と仲良くしていると不機嫌になる人がいるそうだ。


 恒躬も私が右衛門の佐様と仲良くするのは嫌なんですのね……。


 私は思わず、ふふっと微笑ってしまった。


「なんですか?」

「恒躬、私はあなたのお友達を取ったりしませんわ」

「は……?」


 恒躬が訳が分からないと言う表情を浮かべる。


「何も私に焼き餅を焼かなくても……」

「なっ、何を言ってるんですか、あなたは」

 恒躬が赤くなる。


 赤くなったという事はホントに私に焼き餅を焼いていたんですのね……。


 私がくすくす笑っていると、

「失礼します!」

 と言って帰ってしまった。


「宮様……」

 大弐が呆れたような顔でこちらを見ている。


揶揄からかったつもりはなかったんですけど……ふふ」

 私が微笑わらいながらそう言うと大弐は溜息をいた。



「宮様、内裏の女房でいなくなった者がいないか調べて参ったのですが……」

 ヨネが言った。


「どうだったの?」

「いなくなった者がいないわけではなかったのですが……今のところ実家に帰っただけのようです」

 ヨネはそう言ってから、

「一応、見落としがいないか確かめてはいるのですが……」

 と付け加えた。


 だが、女房は出入りが激しいし、夜盗が入ってきても孔雀と犬しか騒がない程度には警備が緩い。

 女房や女官の名前を記録しているわけでもない。


 まぁ、女房名など記録してあったところであまり意味はありませんけど……。


 正直、帰ったのか殺されたのかを確認するのには時間が掛かるだろう。


「あ、宮様、私からもご報告が」

 紀中納言が言った。


「実は女御様の物が頻繁ひんぱんに無くなっているんだそうです」

「頻繁に?」

「はい」


 あれだけの物に囲まれていても気付くということは相当な数が無くなっているのだろう。


「もしかしてそれで女御が……」

「他の物なら女御様も気になさらなかったのですが、捜されていたのは大切にされていた物だとかで」


 やはり大抵の物は無くなっても気にしないんですのね……。


 でも、そんな女御が大事にしていた物って……。


「一体どんな宝物なのかしら?」

「なんでも文箱ふばこらしいのですが、金箔の蒔絵まきえほどこされた物だそうです」

「文箱ねぇ……」


 文箱は文を入れる小さな箱である。

 当然、入っているのは文だろう(黄金が詰まってたとしても驚きませんけど)。



 私は清涼殿に向かった。

 今上と双六を一緒にする約束をしているのだ。


 隣を歩くヨネが几帳きちょうを持っていてくる。


 ここで言う几帳は部屋に置いてある几帳とは違いますわよ。

 棒の先に何枚もの布を吊してある物も几帳というのである。


 貴人(当然ここでは私ですわよ)が壁の無い渡殿わたどの(渡り廊下ですわ)などを歩くとき、お付きの女房が几帳を持って一緒に歩いて貴人の顔を隠すのだ。



 双六をしながら主上の話を聞いていると、合いの手を入れるかのように、

「ぎょぎょっ」

「ぎょろぎょろ」

「ぎゃっぎゃっ」

 と言う声が聞こえてくる。


 この前、孔雀と一緒に献上された鸚鵡おうむである。


 私は止まり木に泊まっている鸚鵡を横目で見た。


 青いその鳥は気持ちよさそうにギョロギョロ言っている。


「これは唐の言葉なんですの?」

 私は鸚鵡を横目で見ながら訊ねた。


 人の言葉を話す珍しい鳥だからということで献上されたはずだ。

 だが、少なくともこれは私達が話している言葉ではない。


「教えてないから覚えてないんだって。教えれば覚えるって言ってたよ。おねーさま、おねーさま」

「なんですの、いきなり」

「こうやって繰り返し言っていると『お姉様』って言葉を覚えるって」

「まぁ……」


 鸚鵡に覚えさせたい言葉が『お姉様』なのは嬉しいですわ……。


「唐には他にも珍しい鳥が沢山いるんだって」


 鳥はもう十分ですわ……。


 まだ白黒の熊の剥製はくせいの方が増しマシですわ。

 少なくともぎゃーぎゃー鳴いて騒いだりしない。



 私が藤壺に戻ると――


「宮様! 大変でございます!」

 駆け込んできた岩手を、

「岩手!」

 大弐が叱り付ける。


「大弐、良いから。岩手、どうしたの?」

「また宴の松原で女房が……」

「そう……」


 早く犯人を捕まえてもらわないと、また凶兆などと言う噂が立ってしま……。


「どこの女房がいなくなったのか調べて参りました」

「あら。さすがね」

 私がそう言うと岩手は誇らしげな顔をしながら続けた。


弘徽殿こきでんの古参の女房の一人がいなくなったそうです」

「女御の女房ってこと!? それ、女御はご存じなの?」

「いいえ、身元が分からないので。それで女御様がその女房を捜しているそうなのですが……」

「ヨネ、弘徽殿に行って女御に伺ってもいいかご都合を伺ってきて」

 私がそう言うとヨネが出ていった。


「女御様のところに伺う前にお耳にお入れしておきたいのですが……」

「なにかあるの?」

「女房がいなくなったのは一昨日なのに発見されたのは今朝だそうなんです」

「そう」


 それが何を意味するのかはよく分からなかったが私は心の隅に止めておくことにした。

 そして――

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