第三話

 左大臣はやってくると円座わろうだに座った。


「管弦の宴ですか」

 私は言った。


「はい、庚申待こうしんまちの晩に。よろしければ宮様のきんことをお聞かせ頂けないでしょうか」

 左大臣が答える。


 庚申待ちの晩は夜眠らないようにするために詩歌や管弦の催しをするのだ。


「構いませんわ」

 私(の言葉を伝える女房)はそう言ってから、

「ところで左大臣、私もいつまでも内裏にいるわけにもいきませんわ。そろそろやしきに移ろうと思いますの」

 と続けた。


 もちろん、私には頼れる祖父母がいないから出ていくとなったらどこかに邸と下働きの者を用意しなければならない。

 そして――。


準三后じゅんさんごう〟を貰わなければならない。


 私は遠回しに準三后の催促さいそくをしたのだ。


御上おかみも宮様が戻られて喜んでいるご様子。そう急ぐ必要はないでしょう」

 左大臣はそう答えると準三后のことには触れないまま行ってしまった。


「ちょっと!? 準三后は!? 準三后はどうなるんですの!?」

 私が左大臣を引き止めようとするのを女房達の総掛かりで押し止められてしまった。


「ちょっと! どうして止めるの!?」


 掛かってるのはお前達の生活なのよ!


「はしたのうございます」

 大弐だいにが私をたしなめる。


「お前達は食事なしで衣裳も着たきりでいいの!?」

 私が女房達を睨み付けると、女房達は黙り込んでしまった。


 この中の何人かはおそらく次の出仕先が決まっているのだろう。

 女御も何人か引き受けてくれると言っていた。


 だが、まだ残っている女房は大勢いる。

 その女房達を養うためには私の品位の収入では足りないのだ。

 乳母子のヨネと他に二、三人程度ならなんとかなるが今は何十人もいるのである。


「宮様、どうして準三后というものが必要なんですか?」

 岩手が言った。


「簡単にいうと準三后自体は待遇たいぐうのことよ」


 皇族や貴族は位階に応じた俸禄ほうろく(収入)が貰える(皇族にも品位と言う位がありますのよ)。


「準三后というのは三后(太皇太后、皇太后、皇后)に準じる待遇で、主に俸禄のことなんですけど、実は他にもっと大事なものがありますの!」

「俸禄よりも大事な物があるんですか!?」

 岩手が勢い込んで訊ねてきた。


「あるわ。それは年官年爵ねんかんねんしゃくですわ!」

「年官年爵?」

「年官年爵というのは除目じもくの時に官位や官職を推薦できる権利ですわ」


 俸禄と言うのは水田なので不作などがあったりして収穫が安定しないが年官年爵に年貢の多寡たか(要は多いか少ないか)は関係ない。


「誰か推薦したい方がいらっしゃるんですか?」

「そうじゃないの。推薦してその人が官位や官職を貰うとお礼が貰えるのよ。確実に昇進できるとなれば誰だって推薦してほしいと思うでしょう?」


 だから推薦すれば当然謝礼がある。


 まぁ正確に言うと少し違うのだが、要は官位や官職の推薦が収入になるという事ですわ。


 後ろ盾もなく、親の財産もない私にとって準三后の年官年爵というのは命綱なのだ。


 私は斎宮に選ばれたときに三品を与えられたので俸禄はありますけど……。


 帰ってきたら準三后に叙するから、とお父様やお兄様に言われたものの――。


 ちゃんと頂かないうちに退下となると、あの話はなかったことに、と言われてしまうかもしれない。

 何しろお父様もお兄様も今は院だし、今上帝である弟は元服もまだだから政は全て摂政がやっている。つまり、お兄様を騙して出家させた左大臣が。


「では、内裏を出た後の衣裳やご飯が粗末になるか豪華になるかは準三后次第という事ですね!」

「そうよ」


 豪華になることはないが、少なくとも粗末になることもない。


「では、なんとしてでも準三后をたまわる必要があるという事なんですね!」

「そうよ」

「宮様! 私、お力になりますから何卒年官年爵を勝ち取ってくださいね!」

「もちろんよ!」


 でも華やかな生活に憧れているなら女御の女房になった方がいいと思うけれど……。



 翌朝――



 岩手が私の髪をきながら何度目かの溜息をいた。


「岩手、どうかしたの?」

 私は岩手に声を掛けた。


「あ、宮様、心配をお掛けしてすみません」

 岩手が申し訳なさそうに謝る。


「宮様の御髪おぐしがあまりにも見事なのがうらやましくて……」

 そう言ってまた溜息をく。


「私もこんなに見事な髪だったらと思うと……」

 岩手が羨ましそうに答えた。


 美女の条件にも色々あるが、髪が黒くて真っ直ぐで長いというのは必須と言っていい。


 顔が関係ないのは結婚するまでは顔を見ることはないからだろう。

 それはともかく――。


 私は黒くて真っ直ぐで長くて量も多いが、岩手は巻き毛で「何度梳いてもすぐに絡まる」と愚痴をこぼしていたことがあるくらいだ。


 正直、顔と同じく髪だって妻になるまでは見る機会がないのだから――と思ったが、岩手は女房だから殿方と話す機会も多い。

 その時しっかり顔を見られているだろう。


「どうしたの? 急に」

 私がそう訊ねると、

「…………」

 岩手は黙り込んでしまった。


「ごめんなさい、立ち入りすぎ……」

「いえ! いいんです。実は……振られたんです」

「髪のことで?」

「はい」


 嘘でしょ……。


 どうせ真っ暗なところでしか逢わないから髪なんか見えないのに……。


「あ、それはそうと、里子女王様のことで気になることを聞いたんですけど……」

「何かあったの?」

「はい、実は清子女王と里子女王は仲がよろしくないとか……」


 仲が良くないのに庚申待ちを一緒にするの?


 少し引っ掛かったが私には関係ない。


 まずは自分の心配をしないと……。



 庚申の日――



 里子女王がやってきた。


「宮様のお言葉に甘えて一晩お邪魔いたします」


 えっ……!?


 まさか、ここに泊まるということですの!?


〝今度の庚申待こうしんまちの日にこちらに伺いたいと思うのですが……〟


 そういえば『初斎院しょさいいんに』とは言っていなかったけど……。


 里子女王が庚申待をしたいといったのは初めて会ったときだった。


 いくら従妹とは言え初対面の相手のところに泊まりに来たいなんて思うものですの?


 そりゃ、使ってない殿舎でんしゃは沢山あるし、どうせ今夜は一晩中起きていなければならないから構いませんけど……。


 話すことがないのでは眠ってしまいそうですわ……。


「清子女王の初斎院はどちらなの?」

 私が小声で女房に訊ねると、

昭陽舎しょうようしゃでございます」

 女房が内裏の殿舎の名前をげた。


「え、内裏なの?」

 私は思わず聞き返した。


「左兵衛府の殿舎がこの前の火事で焼けてしまったので……」

 女房が答える。


 同じ内裏の中に姉がいるのに飛香舎ここに泊まりたいの……?


「なんで内裏ここで庚申待ちがしたいのかしら」

 私が小声で呟くと、

「元斎王だからでは?」

 女房が声をひそめて言った。


「斎王としての心得を聞きたいってことですの? でも伊勢に行くのは清子女王の方ですわよ」

 私がささやき返す。


「不審に思われて当然です」

 突然、里子女王が言った。


 あら、聞こえたのかしら……。


「ここは率直に申し上げます」

 里子女王はそこで一旦言葉を切った。


 それから覚悟を決めたように顔を上げる。


「宮様にこんなことを申し上げるのは失礼だとは思いますけど――」

 里子女王はそう言って私の顔を見る。

 私は続けるように促した。


「――私は斎王にはなりたくないんです!」

 里子女王は一気に話すと息を吐いた。


「斎王になったのは清子女王でしょ」

「姉の次は私です」


 斎王は何人かの候補者の中から占いで選ばれる。

 しかし、候補になる女性には『未婚』という条件が付く。


 これが曲者なのだ。


 今は選べるほど沢山の内親王や女王はいない。

 帝に即位するのが元服前だと子供がいないのは当然として、早くに退位させられてしまうと出家することになるからやはり子供が出来ない――まぁ、建前は。


 親王と内親王というのは原則として(在位中の帝)の子供である(例外はありますわよ)。


 この意味が分かりまして?


 退位した後に出来た子供はの子供ではないため宣下が下されないのだ――そもそも退位したら出家するから子供は生まれないはず、というのはおいといて。


 春宮時代に子供がなく、即位してからの期間が短いと親王や内親王も少なくなってしまうのである。


 そこで斎王の候補を女王まで範囲を広げたのだが、そもそも親王がいなければ王や女王も生まれない――王や女王というのは親王や内親王の子や孫、それより後の世代だからだ。

 それで本来は斎王に選ばれないはずの今上帝の従妹の子供(つまり清子女王)が選定されたのである。


「でも、左大臣もさすがに今上は当分退位させないでしょ」


 今上には内親王もいないが親王もいない。

 そして弟もいない。


 今上に皇子が生まれる前に退位させたら皇統こうとう帥宮そちのみやに移ってしまうのだ。

 左大臣としてはそれは困るだろう。


 里子女王はしばらく黙り込んでいた後、

「ですが……」

 と言ったきり、また口をつぐんだ。


「何か気になることでも?」

 私は水を向けたが、里子女王はしばらく黙っていた。

 やがて――。


「御上に……おかしな噂が立っているそうで……」

「主上の噂って?」

 私は聞き返した。

 そう言えば女房達もそんなようなことを言っていた。


「この間からの火事も、夜盗が内裏に入ったのも、姉の悪い噂も全て今上帝が御上に相応ふさわしくないからではと……」


 帝が相応しくないと世が乱れると言われている。

 悪いことが次々に起こっているのは偶然ではない、天の怒りだ――少なくとも世間の人々はそう考える。


 夜盗が内裏に入り込んでくるのは庶民の生活が苦しくなっているからだし、内裏まで入ってこられるのは滝口を始めとした警護の者達の気のゆるみのせいとも言える。

 そして、それらは帝の政が悪いからということになるのだ。


 まぁ今まつりごとをしているのは左大臣だというのはおいといて……。


 帝が相応しくないと天が言っている、ということになってしまうと左大臣が退位させたくないと思っていても譲位せざるをえなくなってしまうかもしれない。


 そうなると新しい帝が即位することになるし、新しい帝が立てば斎王も新しく選び直される――のだが、今言ったように斎王になれる女性はあまり残っていないから里子女王でほぼ決まりだろう。

 他に未婚の皇族が全くいないわけではないが喪中でも斎王にはなれないから、どうしても候補者が限られてしまうのだ。

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