【09】
「今から話すことは、はっきり言って民間人のあんた方に話していい内容ではないんだ。だから俺の独り言だと思って聞いてくれ」
伊野の言葉に、光と渚は無言で肯く。
「その教団というのは、名前は伏せるが、所謂カルトとは考えられていなかった。少なくともこれまで、公安が目を付けていた訳ではないんだ。宗派は分からんが、多分仏教系の教団だったと思う。まあ、特に過激な教義を掲げている訳でもなく、信者から過剰な金品を吸い上げているということもないらしい。どちらかと言えば、教祖の父親が選挙に利用している意味合いの方が大きいと思われていたようだ」
伊野は一旦言葉を切って、光たちの反応を見た。2人は相変わらず無言である。
「教祖のカリスマ性は相当高いらしく、信者は教祖に盲従している。この辺りは、新興宗教にはありがちなんだが」
「その教団とかと、ストーカーの奴と何の関係があんの?」
光が口を挟む。少し焦れてきたようだ。
「それがな。沢渡君というよりも、彼の父親絡みじゃないかと、公安は見ているらしい」
「ストーカーの親父?」
「そうなんだ。彼の父親というのは、若い頃にソ連、今のロシアと周辺国を放浪した経験があるらしくてな。どういう経緯かは不明だが、その時に中央アジアの小国と太いパイプが出来たらしい」
「それで?全然話が見えてこないんだけど」
「まあ、焦るな。順序だてて話さないと、ややこしい<独り言>なんでな」
伊野は焦れる光を宥めた。
渚は既に関心をなくしたらしく、室内をぼんやりと見回している。
「公安は最初、沢渡君の父親を張っていたんだよ」
「どういうこと?」
「その中央アジアの小国というのが、ロシアよりの独裁政権だったのと、沢渡君の父親が、過激派とまではいかないまでも、若い頃に学生運動にかなり入れ込んでいた経歴があるので、まあ一応目を付けておこうかといったところのようだ。そこに何故か保守系与党の大物の娘が教祖をしている教団が絡んできたので、公安も少し混乱したらしい」
光はその話を聞いて、困惑した表情を浮かべる。
「最初は利権絡みかと思われたようだ。何しろその小国はレアメタルの埋蔵量が多いことで注目を浴びている国なんでな。しかし教団が父親ではなく、沢渡君に接触しようとしていることに、公安はさらに混乱したようだ」
「それでストーカーを探し始めたと」
それまで無関心だった渚が、突然話に割り込んできた。
「そういうことだ。ところが当の沢渡君が姿を眩ましてしまったので、蘆田さん、あんたに接触を図ったというのが経緯らしい」
光は伊野の話を聞いて、一応事情は理解したが、それでも釈然としない。
「何でその教団とやらは、ストーカーと接触しようとしたの?というか、攫おうとしたらしいけど」
「ちょっと待て。攫おうとしたというのは、誰からの情報かね?」
「本人だよ」
「本人?」
「そう。だから隠れてたんだって」
そこで光は、自分の知っている情報を、伊野に洗いざらいさらけ出した。『萬福軒』のおっちゃん夫婦の事情も含めてだ。
彼女の話を聞いた伊野は、難しい顔で考え込む。
「さっきの質問だけどさ。何で教団はストーカーを攫おうとしたんだろう?」
「それは分からんな」
「もしかして、ストーカーを洗脳して、何かしようとしてるとか」
また口を挟んだ渚を、光と伊野が驚いた目で見る。
「確かに、あり得ないことでもないが…」
口ごもる伊野に、光が言った。
「まあ、考えたって分からんもんは分からんのじゃない?それよりさ、警察はこれから先どうすんの?」
「そうだな。沢渡君が誘拐されて、それに教団が絡んでいるということは、その『萬福軒』の夫妻の話から確実なようだからな。そうなれば刑事事件だ。今までは公安の縄張りということで遠慮してたが、刑事部としても動く瞑目が出来た。ただ」
「ただ?」
「今日あんたらに話した内容は、他では絶対話さんでくれ」
伊野の要求に、光と渚は同時に頷いた。
「それから、この先は警察に任せて、あんたらは絶対関わらんで欲しい」
「もちろんだよ。そんな、政治家とか教団とかが絡んでる、危ないことに関わる訳ないじゃん」
光の言葉に、伊野は疑わし気な目を向ける。
「本当に頼むぞ。何しろあんたらの無謀っぷりは、<ストリーム>の時に折り紙付きだからな」
「いや、いや。もうあんなことしないって」
光は苦笑いしながら、きっぱりと否定したが、伊野は相変わらず疑わしそうな表情だ。
「とにかく、絶対に関わるなよ。それから、公安は今後も張り付くと思うが、あんまり邪険にしないでやってくれ。一応同じ組織なんでな」
そう言って、伊野は話を打ち切った。
***
警視庁の庁舎を出ると、渚は開放されたと言わんばかりに大きく伸びをした。
「それで、これからどうすんの?」
「ううん。取り敢えず『萬福軒』に行って、おっちゃんたちに話を訊こうかな。もしかしたらストーカーの居場所とか分かるかも知れんし」
「それ聞いてどうする?」
渚は横目で強い疑いの眼差しを向ける。
「どうするって、伊野のおっさんに知らせるだけじゃん」
「本当にそれだけ?そこに乗り込んでやろうとか、無謀なこと考えてんじゃないの?」
「あ、アホか。さっきも言ったけど、あたしはもう無謀なことはしません」
光は断言したが、渚の疑念は晴れないようだ。口元を少し歪めながら、光の顔を横目で見ている。
「何なのよ。その疑いの目は。やらないと言ったら、やらん」
「まあいいや。そんじゃ、『萬福軒』に行くとしますか」
渚の言葉に光は慌てる。
「ちょっと。何であんたまで来る訳?」
「行くに決まってるでしょ。ここまで巻き込まれたんだから、後には引けん」
「何、訳の分からんこと言っとる。もう、あんたは関わらんでいい」
「いいから。さっさと行くよ」
そう言うと渚は、光を急かして駅に向かった。
***
2人が『萬福軒』に到着すると、店は閉まっていて入口に紙が貼られていた。
「しばらくの間休業します」
貼紙を読んだ光は、険しい表情を浮かべる。
「もしかして、教団とやらに攫われたか?」
その時背後から声がかかった。
「あんたら、ここで何してる」
振り向くと、馴染みの田中刑事の顔があった。
「何って。バイト先を訪ねてきただけですけど。それよりさ。おっちゃんたち、どこに行ったか、あんた知らね?」
「知る訳ないだろ。馴れ馴れしくするんじゃないよ」
そう言って田中が顔を歪めると、横から渚が口を挟んだ。
「正直に白状せんと、また蹴り上げるぞ」
その言葉に田中はビクンとする。どうやらトラウマになっているようだ。
「うるさい。知らないもんは知らんのだ!そんなことより、さっさと立ち去りなさい。もう二度と関わるんじゃない」
田中は顔を真っ赤にして凄んだが、もはやヒカナギコンビの敵ではない。冷笑を浮かべる2人に、それ以上何も言えなくなってしまった。
「まあ、帰るけど。あんたらも煩くつきまとわんで欲しいわ。かなり鬱陶しいんで」
光は捨て台詞を残して、渚を促した。
***
マンションに戻った2人は、部屋着に着替えると、とりあえずダイニングに集まってビールを口にする。
光は相変わらず釈然としない様子だ。
その顔を見て渚が彼女を嗜めた。
「まあ、あんたが納得いかんのは分からんでもないが、今んところ動きようがないでしょ。伊野のおっさんからも言われてるんだし、下手な動きは止めときな」
その物言いに少しカチンときて、光は言い返す。
「何度も言うけど、あたしは関わる気はないの」
それでも疑わし気な目を向ける渚に、光が言い返そうとした時、インターフォンが鳴った。
光が出て見ると、モニターに映った男が言った。
「光さん。小宮山です。沢渡さんのことで、お話したいことがあるんですけど」
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