第20話 懐古

 私たちは、スフィアの言葉に従い、サフィールの街からさらに砂漠の奥地へと進んだ場所にそびえ立つ、巨大な建造物の前に立っていた。


 「……ピラミッド、ですか」


 私は目の前にそびえる巨大な三角錐を見上げ、呆然と呟いた。大砂漠のさらに奥深く。地図にも記されていないような場所に、これほど巨大で精巧な石造りの建造物が鎮座している。


 その威容は、人間の領域を遥かに超えていた。


 「ここよ」


 スフィアは闘技場での怯え様が嘘のように、得意げに胸を張った。


 「サフィールを作った、大昔の王様のお墓だよ。アタシのパパがずっと守ってた場所なの! この一番奥にすっごく広いお花畑があって、そこにあなたたちが探してる光る花が咲いてるの」


 「王の墓……きっと罠だらけだぜ」


 シェバンニがピラミッドの入り口と思しき、暗い穴を睨みつけながら唸った。


 「当然でしょ? だって、パパの大事な宝物庫だもん。入ったら死ぬわよ!」


 それに対し、スフィアはケラケラと笑う。彼女にとって死とは、やはりそれくらいの軽いものらしい。


 シモが、そのスフィアの頭にぽん、と優しく手を置いた。


 「ありがとう、スフィア。ここまで案内してくれて……キミも一緒に来るかい?」


 シモの問いに、スフィアはきょとんとした顔をしたが、すぐに「あ!」と思い出したように手を叩いた。


 「そうだ! やることがあったんだった! アタシ闘技場に戻る!」


 「え!?」


 「なっ、まさか、逃げる気か!」


 シェバンニが即座に鋭い爪を剥き出しにする。少女は羽をパタパタと動かし、勢いよく首を横に振った。


 「シモが言ったじゃない、謝る相手が違うって! だから、アタシ、ちゃんと謝ってくる! アタシが殺しちゃった人たち……のご家族? とか、怖がらせた街の人たちに!」


 その言葉はあまりにも真っ直ぐなのだが、しかし、どこかズレていた。


 「……大丈夫なんですか?」


 私は思わず心配の声を上げていた。あんな惨劇を引き起こした後だ。住民たちの憎しみはスフィアが思うよりずっと深く、泥のように重い。


 謝罪に行ったところで、彼女が袋叩きに遭うか、最悪殺されかねない。


 「悪趣味な冗談としか思えん」


 インヒューマが冷ややかに事実を告げる。マシュマロのような見た目だった頃と比べ、その姿は随分と威圧的に見える。


 「う……」


 怯んだように後ずさるスフィアの背を、シモが優しく支えた。


 「直接謝りたいのかい?」


 「う、うん! 謝りたい!」


 「そうだね……そうしたらインヒューマ、お願いできるかな」


 「……ハァ、承知した」


 シモの意図を汲み、インヒューマは一歩前に出た。一瞬彼の姿が揺らいだと思うと、じんわりと紙を割くように、インヒューマが二人になった。


 「分身ですか……!」


 「この程度造作もないわ、なぁ私」「あぁ、寧ろ出来ないことを恥じるほどにな」


 インヒューマ同士が肩を組み、互いに意地悪な笑みを浮かべて私をなじる。


 「別れたとはいえ、能力は半減もしない」「貴様が同じようにやったところで……盾にしかならん肉袋が一つ生まれるだけだろうがな」


 頼もしさよりも、憎たらしさが明らかに倍増していた。


 「仕方ない。街の住民たちとの仲裁は、私が責任を持って見届けよう」


 「えー、このオジサンと?」


 「貴様の態度次第では、な。見ているのは私しかいないのだからな……」


 「チャントシマス! イッテキマス!」


 こうして、スフィアは護衛役となったインヒューマと共に闘技場へと戻っていった。


 残されたのは、シモ、私、シェバンニ、オリジナルのインヒューマの四人。


 「……さて」


 シモは目の前のピラミッドの入り口、深淵のように暗い闇へと視線を向けた。


 「僕たちも行こうか。スフィアが戻ってくる前に、道を作っておいてあげないとね」


 「お人好しだなぁ……あのガキが、素直に街の人間に謝れるとは思えねぇが」


 シェバンニはぼやきつつも、その鼻は既にピラミッドの内部から漏れ出す匂いを嗅ぎ分けていた。


 「……行きますか」


 私たちは顔を見合わせ頷くと、サフィールの王が眠るという大迷宮へと一歩踏み出した。


 * * *


 ピラミッドの内部は外の暑さが嘘のように、ひんやりとした石の冷気に満ちていた。加えて、黄金色に輝く壁画や装飾に目が眩んで仕方ない。


 しかし足を踏み入れた瞬間、数千年分の埃とカビ、そして重厚な死の匂いが私たちの鼻腔を突いた。


 「……うっ」


 「チッ……こりゃ想像以上だぜ……ッ」


 鼻を抑える私の隣で、シェバンニが涙目を擦っている。獣の嗅覚では尚更厳しいのだろう。


 入り口から続く通路は一本道に見えた。皆でそのまま進もうとしたが、インヒューマは私の肩を叩いた。


 「探知を怠るなよ」


 「え?」


 「目に映るもの全てを疑え。ここは、スフィンクスが守っていた場所だぞ」


 インヒューマが何やら古い呪文を唱えると、目の前の空間が即座に歪み、本来の姿を表した。


 黄金に輝いて見えた壁は、実はじっとりと湿った苔むしたレンガのようで、そこかしこに無数の蜘蛛の巣が張り巡らされていた。


 「幻影魔術か……原始的だが悪質極まりないな」


 インヒューマが更に通路の先を魔力で探査し、顔をしかめる。


 「この通路、罠ばかりだな。天井が落ちるか、床が抜けるか、あるいは壁から槍が飛び出すか……今見ただけでも、この二十メートルほどの通路に三十を超える術式が仕掛けられている」


 インヒューマの言葉に、私はゴクリと唾を飲んだ。スフィアの「入ったら死ぬわよ」は冗談ではなかったのだ。


 「それだけじゃねぇ」


 シェバンニが通路の奥を睨みつけて呟いた。彼は喉をヒイヒイ言わせ、変な咳をしているが、その鼻は確実に機能している。


 「多分、吸い込んだだけで肺が腐るくらい毒が充満してる部屋とかあるぞ、これ」


 魔術的な罠と、物理的・生物的な罠。それが、このピラミッドの基本構造らしい。


 「……どうしますか、シモ」


 私が不安げにシモを見ると、彼は困ったように笑った。


 「困ったな……僕たち、ダンジョン攻略ってあまり得意じゃないんだよね」


 「勇者パーティーなのに!?」


 「寄り道とかしなかったからさ、僕たち。どちらかというと……」


 「貴様のせいだろうが」


 シモの言葉を、インヒューマが即座に遮った。


 「貴様の『最短距離で魔王を叩く』という脳筋方針のせいだ」


 「ああ、本当にな!」


 シェバンニも目を擦りながら同意する。


 「おかげで旅の途中、宝の一つも手に入らなかったじゃねぇか。極貧旅だったんだぞ?」


 「……シモって案外、適当なんですか」


 「「あぁ、そうだぞ」」


  二人の声が綺麗に重なった。


 そして「だが」と、インヒューマはまるでショーの主役気取りで、優雅に手を広げた。


 「これ幸い、貴様のような新顔もいることだ。あの頃のように蛮族じみた真似はできん……久しぶりに私の優秀な頭脳と、この駄犬の壊れた鼻を存分に使うとしよう」


 「クソデブ……望むところだ、鼻が鳴るぜ!」


 さっきまでの緊張感はどこへやら、二人はいつものように競い合い始めた。シモを押し除け、ずんずんと前に出ようとする。


 「……仲良しですね」


 私が苦笑すると、シモも「うん」と頷いた。


 「インヒューマが魔術系統の罠、シェバンニが物理的な罠を探知して。僕は魔物の除去をするよ。チコルは……」


 シモは私に向き直り、優しく微笑んだ。


 「みんなの護衛と、何かあった時のための回復、お願いできる? 一番大事な役目だ」


 「……! はい!」


 私は強く頷いた。もう守られるだけではない。私にもできることがあるのだ。


 こうして、世にも奇妙なダンジョン攻略が始まった。


 「三メートル先、右の壁。魔法を使うなよ、反応して毒矢が出る」


 「おうよ。けどその手前、床! 一枚だけ匂いが違う! そいつを踏んでも毒矢が出そうだ!」


 「連動しているようだな……ならばチコル、五メートル先の天井、あのレリーフを寸分違わず撃ち落とせ。それがトラップの起点だ。そこを破壊すれば、この区画の罠は停止するだろう」


 「分かりました!」


 私が杖から放った光の矢が、インヒューマの指した位置を正確に撃ち抜いた。


 ガガガガガッと地響きがし、私たちが通るはずだった通路の壁から無数の槍が飛び出し、床が抜け、天井から酸の霧が噴き出すのが見えた。


 インヒューマが指摘した天井のレリーフは、赤く点滅した後、強力な爆発を起こした。


 「「「「…………」」」」


 私たちはその惨状を安全な場所から見つめ、どっと冷や汗をかいた。


 もし、どちらか片方の探知だけを信じていたら。あるいは、私の一撃が僅かでも逸れていたら。私たちは今頃、このピラミッドに転がる、新たな骸の一つになっていただろう。


 そう。この迷宮には、至る所に先人たちの遺骸が転がっていた。


 インヒューマの魔術で幻影が剥がされた通路の脇には、いつのものかも分からない無数の骸がそのままになっていた。


 立派な白銀の鎧を着たまま、壁と床から同時に突き出た槍に串刺しにされた騎士。


 魔導士のローブを纏い、宝箱に手をかけたまま、ミイラ化している者。その宝箱は、今もなお強力な呪いのオーラを放っている。


 彼らもまた、何かを求めてここに来た冒険者だったのだろう。


 「……い、行こうか」


 「はい……」


 少し気まずい雰囲気を醸し出しながら、私たちはじりじりと迷宮の奥目指して歩くのだった。

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