キミはガラスのサンドリヨン

かごめ

プロローグ 静寂の道

 今夜も雪が降っている。


 大雪なんて予報はなかったはずなのに、何故か今は牡丹雪が次々と押し寄せて来ている。カマイタチのような冷風によって運ばれる牡丹雪は鋭く、剥き出しの頰はともかく着込んでいるコート越しでもその痛みは充分に感じ取れる。自転車に至っては牡丹雪の滝を割る修業の道だ。だから、


「後ろ、寒くない?」


 後ろから俺の腰に手を回しているヒメ――灰原姫子はいばらひめこに声をかけた。


「うん……大丈夫……だよ」


 聞こえて来たのは牡丹雪と夜の帳にそのまま吸い込まれてしまいそうな姫子の声。何度も訊いた所為か、少しだけ返事に力がない感じがした。


「大丈夫……掴んでるだけで割れることはないから……」


 これが決死の行動だということはわかっているし、ヒメの覚悟も理解しているつもりだけど、俺が一つ運転を誤れば粉々だし、彼女が力尽きて手を放しても粉々だ。どうしても確認は頻繁になる。


「心配してくれるのは嬉しいけど……心配し過ぎだよ。そういうの……心配される方からすると逆効果だからね……?」


「ここまで来たのに何かあったら……そう考えたら、さ」


「大丈夫……。弱ってるけど……そこまで弱ってはいないから……さ」


 さいですか。


 視界を奪おうとする牡丹雪を拭い払い、俺は自転車の速度を少しだけ上げた。


 今日は十二月二十五日。この国では由来とか宗教的な意味合いとか、そんなことを吹っ飛ばしてとにかくめでたい日だ。人も街並もイルミネーションで着飾ると思うんだけど、この町――波邇夜市はによしにはそのイベントすら届かない。届くのは心細い街灯と俺の自転車が伸ばす光だけだ。


「世間様はすっかりクリスマスだねぇ……」


「あれ、ケーキとか欲しかった?」


「ん〜ん……ある意味でおめでたい日だけど、そういう気分じゃ……ないかな」


 ヒメはそう言うと、腰に回している片手を少しだけギュッ、と強めた。それに応える言葉を引き出しの中から探してみたが、ひっくり返してみても気の利いた言葉は出て来なかった。


「カー君、本音を言うとね……もう少し穏やかに飛び出したかったなぁ……って」


「作戦遂行レベルを最大5で表すなら?」


「遂行レベル……2かな?」


 その結果に俺の両肩はコントみたいにずっこけた。横転はしなくても、心そのものは横転したようなものだ。あれだけ苦労したのに、囚われのお姫様は救出作戦にご不満なのだから。


「厳しい採点なことで。あれしか方法はなかったんだからさ……」


「うん……それはわかってるよ……わかってる……」


 わかってる、とヒメは背中で囁いた。


 その囁きを最後に、ヒメも俺もそれ以上は何も言わずに目的地を待った。


 通り過ぎる街灯、流れる牡丹雪と凍りつく暗い街並、夜を背負う怪獣のような山々の影、誰からも祝福されていない俺たちの旅路を見ているようで、俺は前だけを見据えるようにした。


 振り返ることはもうない。見るのは前だけだ。


 俺は命を背負う現実を連れて、誰もいない夜の道路を走った。

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